更新日記と小説(18禁)とたまに嘆き.
嫌いな方・興味のない方・間違っちゃった方はバックバック
2009
vizard(88)
素早く時計で時間を確認した。
一瞬だけみた時計盤の針の指す時刻で、彼女がどこにいるか検討をつける。
急ぎ足で向かうその先に大人しく彼女がいてくれればいいが――。
広い屋敷の敷地内を早足で歩く彼の脳裏には、次から次へとひっきりなしに、疑問や問い詰めたいことなどが湧いてきて止まない。
妙な焦燥感が彼の体を襲う。
緊張か―。それとも、ただテンションが上がっているだけなのか―。
心臓が早鐘を打つ音がすぐ側で聞こえてくるような気がした。
しかし、得てしてこういう時ほど間が悪いというか自分の思い通り事が運ばないのは何故だろうか。
日ごろの行いの悪さが、具現化したものなのだろうか―。
運悪く、前方から歩いてくる水原に気づいて一哉の足は止まった。
先に気づいたのは一哉の方だった。
道を開けて、壁に背中をつけ、じっと水原が通りすぎるのを待つ。
このまま、自分に何の言葉をかけることもなく…。
だが、一哉の希望も虚しく、水原は彼の存在に気がつくと、困ったような表情を浮かべて、一哉と視線を交差させた。
直感的に自分の願いは散ったと悟った一哉。
思わず身構えた。
水原は、一哉の前にくると足を止め、一哉に向き直った。
見た目温和そうに見え、性格も破綻者には決して見えないが、実のところかなりの傲岸不遜な人間である男が水原の視線が怖いと感じた。
とはいえ、それを表面に出して、相手に悟らせるような真似は決してしないのだが…。
「少しだけでいい、時間あるか?聞きたいことがある」
水原はどこか重々しい口調で一哉に告げる。
一応は、一哉に伺いを立てる形で聞いてくる水原だったが、それを拒否する力は一哉には無かった。
勿論、水原とて相手から拒否の言葉が出てくることなど期待していない。
一哉は、現時点で情報の整理ができていない。
こんな状態で水原と話をすることなど、望ましくないだろうし、望んでいなかった。寧ろ、避けたかった。
舌打ちしたいのを抑えて、水原の後をついていく数やだった。
主人である水原の部屋に通された一哉は、相手の出方を伺うため、水原の動き―指の先まで注意深く目を光らせた。
どこか落ち着かない様子で煙草に火をつける男の仕草に相手もそわそわしていると判断はできたが―。
できたところで何の解決にもならない。
ただ、相手が切り出すのを辛抱強く待った。
「あー、呼び出しておいてすまない」
煙草の2本目が漸く吸い終わるかどうかというところで、部屋に入ってからというものの初めて口を開いた水原だった。
「…いえ。それで、お話とは」
「綾のことなんだが…」
非常に言い難そうに漸く、口火を切った。
一哉が詳細―詳細というのは語弊があるかもしれないが、綾の再婚相手に自分の名があがったということを知ったのはつい先刻のことだが、このタイミングで水原に呼ばれたのだから、彼から何か聞かれるにしてもその話しかないだろうということは分かっていた。
「何でしょう?」
「その…、何だ。この前、綾に再婚の話を切り出したんだ」
「…そうですか。これは、あくまで私の見解に過ぎませんが、お嬢様は再婚など望んでいらっしゃらないかと。時期尚早ではありませんか?」
「…う、うむ」
一哉の指摘に、水原は困ったように眉間に皺を刻みながら、ゆっくりと頷いた。
「だが…。そうもいくまい。早々に、見つけてやらなければと思ってだな…」
水原の言い分を聞きながら、一哉は内心で目の前の男を鼻で笑った。
―どこまで、傲慢な男だ…。と。
一度目に水原が選び、娘に宛がった堺という男によって恥を掻かされたことに懲りていないのだろうか―。
全てが自分の思惑通りに事が運んでいくとでも思っているのだろうか。
最初から、綾は既に選んでいるのだ。
最早、親から与えられたものをただ、享受するだけの幼い子供ではない。ましてや、綾は水原にとっての意志のない人形ではないのだ。
それを一哉の目の前の男は、全く理解していないのだ。
一哉は男の口から語られるものには興味がないのだろう。
右から左へと聞き流していた。
そして、時間をかけて漸く本題へと入っていった。
「綾が私の選んだ男ではなく、再婚するならお前だと言い出したんだ。一哉」
やはり、事実か―。と。
一番最初に思ったのはそんなことだった。
驚きは、伊達から聞かされた時だけだった。
今は、驚きというよりも綾が水原に何と言ったかだけ気になる。
「どういうことでしょう?」
「いや、私もよくわからんのだ。何故、綾がこんなこと言い出したのか。お前と綾は、別に…」
「私とお嬢様の間には、特に私の職務の域を超えた関係などありません」
ちらりと水原を伺うような視線を寄越してきた相手の言葉を遮るようにして言い切る。
ほっとしたように水原の肩の力が抜けていくのが、一哉には手に取るようにわかった。
「それは、綾も言っていたし、わかっている…」
口ではそう言いつつも、一哉の口からそれを聞くまでは安堵できなかったのだろう。
2人の言葉が全くの嘘であるということは疑わずに―。
一哉は、水原の態度で綾が事実を全て口にした訳ではないということを悟る。
「何故、私の名前が出てきたのでしょう?不思議ですね」
今の水原の困惑に同意するように、一哉が白々しくもそう口にすると今まで大人しかったのが嘘のように、水原は捲くし立てるように言葉を並べる。
「全く、その通りだ。私の選んだ男の何が気に入らないと言うんだ。私の目に狂いはないはずだというのに、使用人の1人であるお前が良いなんて…。認めてくれなければ怜迩を連れて家を出ると言い出す始末だ。アレの我侭には、ほとほと困る」
堺のことはすっかり忘れているようだった。
自分を過信するにも程がある。
娘の意思を我侭の一言で片付ける男―。
もとはと言えば、彼が彼女をそうさせたのに違いはないのに…。
馬鹿かと内心では、一蹴しながらそれに応じるように口を開いた。
「そんなことまで仰っていたんですか?」
「ああ、全く…」
「それで、旦那様はどのようにお考えていらっしゃいますか」
水原の核心に迫ろうとして、そう尋ねた一哉の瞳は、まだ己の中で答えが出ていないのだろう水原が一哉の視線から逃げるようにして顔を逸らしたのを、肉食獣が獲物を狙うかのような鈍色の光を放っていた。
PR