忍者ブログ
更新日記と小説(18禁)とたまに嘆き. 嫌いな方・興味のない方・間違っちゃった方はバックバック

2024

0519
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2009

0301
vizard(91)


兄達に背を向けた後、部屋に戻るまでの一哉の顔は、笑いを浮かべていた。
それは、兄弟に見せた嘲笑の笑みではなく、とても人に向けられるような優しい笑みでもなかった。凶悪と言う言葉がぴったりと当て嵌まるようなそれ。
くつくつと肩を揺らして歩く姿を誰にも見られることがなかったのは、唯一の救いかもしれない。



手に入った―。


何がと問うのは、無粋だろう。
それは、彼自身にしか分からない。

唯一の例外は、綾と怜迩の存在だけである――



どこから、一哉の予定通りだったのかは誰もわからない。
それは、彼にしか分からないことだろう。





再婚を許可した水原の思惑も虚しく、その後2人が離婚に至ることは無かった。

息子である怜迩に30まで自由をあげたのもせめてもの罪滅ぼし。
その間、事実が彼に伝わることはなかった。
その怜迩の出生については口を閉ざし続けたことが、後に禍根を残す結果となった。





ゆっくりと流れる時間は現在が幸せそのものであるという証だろうか。
気づけば、長い時間が経過していた。
先ほどまでのぐずっていた泣き声とは異なり、きゃっきゃと零れるはしゃぎ声も実に心地よい。

「総帥。お時間です」

突如姿を現した男に、水原―一哉は、驚いたのか、目をぱちぱちと瞬かせて、難しい顔をしている相手を見返した。

「あらあら、一哉さんってばまた仕事抜けてきてたってこと?」
「伊達…。お前も老けたな」

しみじみと己を呼びにきた男である伊達を見て、一哉は言う。
綾は、すぐに脱力したようなため息が聞こえてくるのに苦笑を浮かべずには、いられなかった。
すぐに背筋を正して伊達は、一哉に促す。

「内藤がかりかりしてます。早くお戻りください」
「あちゃー。しばらく拘束しすぎたかなぁ。そろそろ休みあげないと息吹くん切れかな」

なんて、軽口を叩きながら椅子から立ち上がると軽く伸びをした後、まだ座っている綾へと顔を近づける。

「いってきます」
「いってらっしゃい」

互いに挨拶を交わすと、どちらからともなく軽く唇を触れ合わせた。

「待たせたな」

と横で控えていた伊達に向かって部屋を出ようとした一哉だったが、己へと寄せられる視線に気づき自然と顔がそちらに向いてしまった。
そこに居たのは、既に見飽きているのだろう呆れたような顔をしている息子の怜迩と、子供を既に産んでいるのだからそれ以上のことを自分だってしているというのに、たった軽いキスをしている男女を見て顔を真っ赤にさせている希莉、そして、何が何だかよく分かっていない海里がこちらを見ていた。
ただ、唯一の例外は、赤子の萌だけが先ほどと変わらない様子であるということ。
すぐに、揶揄うように顔を歪めた。

「あらら、刺激が強かったかな~」
「いいから、とっとと行け!伊達が困ってる」

希莉を揶揄おうとして彼女に近づこうとするが、希莉の前に怜迩が出てきて、声を荒げた。
楽しみを邪魔されたようで、一哉が残念そうな顔をしてみるが、すでに息子にそんな顔は通用しない。
わざとらしく肩を竦めて見せると伊達に向き直った。

「かいりしってるよー。きりちゃんとれいちゃんもよくやってるよね~」
「こら!海里!」

海里と希莉の声を背中に感じながら、くすくすと肩を揺らしながら彼はこう言った。

「幸せっていいよね~」

と軽口を叩いては、少し後ろ髪を引かれる思いをしながら部屋を後にした。



そんなもの求めてなどいなかったのだ。
自分と母親を貶めた奴らに復讐がしたかった―。
その過程で得たものは、彼の想像していたものより遥かに大きく、そして幸あるものだった。それだけに過ぎない。





だが、最後にこれだけは伝えておこう―。

現在、水原の家で働く者の中、また水原グループにも関連する者の中にも“草壁”と名のつく者たちはいない――


(了)
PR

2009

0224
vizard(90)

 
草壁は、久しぶりに足を踏み入れる屋敷の前に立ち、緊張した面持ちででかい建物を見上げた。
彼は、既に息子に後を任せて、第一線から退いていた。
今日は、草壁家にとって主家である水原の主人から呼び出されて、久方振りに足を踏み入れたのだった。

電話越しに、水原本人から連絡を貰ったときは、身構えずにはいられなかった。
ただ端的に、顔を出せと呼ばれたのだ。一哉のことで話があると―。
自分が過去に撒いた種が原因に過ぎないのだが、彼の頭痛の原因である一哉の名前を聞いた時、即座に思ったのが、何か不興でも買うようなことをしたのだろうかという不安だった。
用件だけを伝えると電話は切れてしまい、それ以上、草壁は水原から何かを聞くことはできなかった。

屋敷と呼ぶのがまさに相応しいただ、でかいだけの建物を見上げたまま、ごくりと緊張したように喉を上下させた。
やがて、覚悟を決めて連れてきた3男である御津とともに中に足を踏み入れた。
他の2人は、既についているに違いない。





草壁は、屋敷内で働く他の使用人に案内されるままに水原の部屋に案内された。
ただ、室内に入って気づいたのは違和感だった。

綾と並んで部屋の中央に配置されたコの字型に配置されたソファのうち横に長いソファに座る息子の1人―一哉の姿。
1人掛けようのソファに上機嫌の水原が腰をかけている。

草壁が感じた違和感は決して間違いなどではない。
本来、使用人である一哉が主人であろう綾の横に腰をかけるなどあってはならないこと。
草壁は、過去にそうやって一哉だけでなく、他の3人の息子たちにも同じように教育してきたのだ。
眉間に皺を寄せたまま、部屋の入り口で立っていると水原が、一哉たちの座るソファと対面に配置されたソファに座るように促す。
水原に言われたのなら、他のことに気を取られるよりもまず、彼の言葉に従う。何十年とついてきた職務の影響か、彼はすぐに一哉の前に腰を下ろした。
遅れて、長男と次男である弥一と宗司が部屋に入ってきた。
先に父親について到着していた御津を併せた彼らは、父親の座るソファの後ろに立っていた。
ただ、彼らも綾の横に座る一哉に戸惑いを隠せない者、腹立たしさを覚えている者とそれぞれだった。

必要な人間が揃ったところで、水原が口火を切った。

「急に呼び出して悪かったな」

という主人の労いの言葉に、草壁は緩く首を振ってみせた。
主人の命あらば、従うのが己の使命であるということを嫌でも理解して―理解し過ぎていたからだ。

「呼び出したのは、綾の再婚のことなのだが…」

一哉のことで呼び出された筈なのに、水原の口から出てきたのが綾の再婚話とあって、一瞬虚を突かれたようになる彼らだったが、その直後、一様に嫌な予感というよりも直感が彼らの中で沸き起こる。
草壁よりも、彼の子供達が顕著であり、綾の話をしているのに自然と視線は一哉へと向いてしまうのを止められなかった。
彼らの視線の先には、飄々とした様子で何も読み取ることのできない表情を浮かべた一哉がそこにいただけだった。

「再婚されるのですか?」
「ええ」

草壁は動揺を感じながらも、綾本人に問うた。
幸せというものを体中から撒き散らしながら、綾は頷いた。

「おめでとうございます」
「ありがとう」
「お相手の方は?」

希望を籠めて問うた。
まさか、彼女の横に座る自分の血を引いた子供ではあるまいと―。

「あら、何言ってるの?ここに居るじゃない。一哉以外に誰がいるっていうの」

綾が一哉の肩に手を置いて答えた。
草壁は、やはりと瞼を伏せた。
一哉の兄にあたる、弥一、宗司、御津は息を飲んだ。

「―というわけだ。綾がどうしても一哉が良いと言ってな。認めなければ、怜迩を連れて家を出るという始末だ…」

困ったように言う水原の姿が草壁には印象的だった。
どこか自分には、関係ないもののように話を聞いていた。

「もちろん、一哉には水原の籍に入ってもらうことになる」

漸く、ここへ彼らを呼び出した理由を切り出した。
ただ、彼らが聞いているかどうかは否めないところだったが…。

「草壁の人間だった一哉だが、これからは水原の人間になる。その辺りをきちんと弁えるように―。今までのように振舞うことは許されないことだと思え」
「…はい」

水原の当主たる厳しい言葉に、ただ呆然と頷くだけだった。

「今日、呼び出したのはこのことを伝えるためだけではなくてな。一哉には、これから私について、経営面のことなどを覚えてもらわなくてはならん。これまでのように怜迩と綾を護衛をする人間が1人減ることになるそこでだ…。一哉の穴を御津に埋めて貰おうと考えていたのだが…」
「な…」

水原の提案に、張本人である御津が喉の奥で息を飲んだ。
彼らの横にいた弥一と宗司は揃って御津を見た。
御津にしてみたら冗談ではなかった―。
何故、自分が愛人の子である一哉の穴埋めに回らなければならないのだ。
それが、主家の人間となるなんて耐え難い。
ぎりぎりと奥歯を摺りながら、悠然と座る一哉を見た。
御津と目が合った瞬間に、一哉は笑った。
その笑いは、まさに嘲笑でしかなかった。
ますます、御津の怒りのボルテージが上がっていく。

「…構わないですが…、御津に一哉の穴が埋まるかどうか」

父親も父親で御津がいる目の前で、御津が一哉よりも劣るということをはっきりと口にした。
それにも、御津は許しがたい行為でしかなかった。
そんな御津の耳に、これまで黙っていた一哉の声が届く。

「旦那様」
「何だ?」
「私の後は、伊達に任せればよろしいかと。彼なら、怜迩様も懐いておりますし、能力もそこにいる御津より数段上です」
「そうね。今更、新しい人が来て怜迩が混乱するより、いいんじゃないかしら?」

一哉の言葉に、綾も同意するように頷いた。

「そうか。お前たちが言うならそれでいいか。悪い、今の話は忘れてくれていい」
「わかりました」

草壁は水原の言葉に、食い下がることなく、頷いた。
納得いかないのは、御津だった。

「お待ちください!納得いきません!!」

食らい下がった御津だった。
だが、しかし…。

「弥一、宗司。御津を連れていけ」

他の子供達に、命じて頭に血を上らせた御津を部屋から追い出した。
3人の子供達の姿がいなくなった後、彼は水原に向かって深々と頭を下げた。

「お見苦しいところをお見せしてしまいました」
「いや、構わぬ。詳しいことが決まったらまた追って、連絡させて貰うが、宜しく頼むよ」
「かしこまりました」

頭を下げたまま、そう告げると顔を上げて、機敏な動作でその部屋を後にした草壁だった。
ただ、最後に見た息子の読めない表情に何故か恐ろしさを感じたのだった。



父親が帰った後、一哉も適当な理由をつけて部屋を辞した。
彼が部屋の外に出るともう既に引き返した後だと思っていた兄達の姿がそこにはあった。
父親と一緒に来たはずなのに、御津の姿もそこにはあった。
草壁の兄弟が4人揃ったのは、いつ振りか―。
一哉の姿を認めると彼は、一哉に飛び掛って襟首を力いっぱい掴んだ。
それでも、一哉は顔色を変えなかった。
その気になればいつでも、こんな男倒せると分かっていたからだ。

「貴様!よくも…」
「御津、邪魔だ」

だが、すぐに御津は弥一によって後ろに下がらされた。
一哉から離される間にも不満を口にしていた御津だったが、一哉は気にした様子もなく、乱れた衣服を整えていた。

「ふん。上手くやったもんだな。さすが、売女の血を引くだけのことはある」

卑屈な笑みを浮かべて弥一は、一哉に言い捨てた。
一哉は、鼻で笑って返すだけだった。
彼らの横を通り過ぎようとする。自分へと付きまとう恨みの篭った6つの目を感じながら―。
数歩、進んだところでぴたりと足を止め、一哉は、ゆっくりと背後を振り返った。

「今後は、私に対してそんな言葉を吐くこともできなくなるのでご注意くださいね。兄さん。度が過ぎれば、いくら兄とて穏便には済ませられませんよ?」

口の端を持ち上げ、勝ち誇ったように笑い、“兄さん”という言葉を強調した一哉だったが、それが彼らには余計に癪に障った。
くすりと笑みを零すと後は、見向きもせずに姿を消した。
それが、彼らが兄弟として交わした最後の言葉だった。

2009

0218
vizard(89)

水原は、中々次の言葉を口にしようとはしなかった。
頭の中で整理をしようと―結論を出そうとしている様子だった。
やがて、小さな声ではあるが、その時間をかけて考えた水原の考えを口にし始めた。

「…本当に幸せになれるのは…私の選んだ男と―」

時間をかけた割には、進歩がないものだと水原の言葉を聞きながら、一哉は思った。
そして、水原の言葉を遮るようにして進言した。
波紋を広げるような言葉を―。

「果たしてそうでしょうか」

聞きようによっては、自分の方がふさわしいという意味合いに聞こえなくもない。
実質、水原にはそう聞こえていた。
不快そうに眉間に皺を寄せ、一哉を見返す。
一哉は自分へと寄せられる疑念の眼差しを受け止め、変わらず瞳で見返した。

「どういうことだ?」
「幸せなど他人に強制されたものによって得るものではないでしょう。お嬢様には、お嬢様の価値観がございます。もし他人の幸せを自分の判断で決める人がいたとしたら、それはただの傲慢ではないでしょうか」

暗に水原のことを揶揄した。
そして、更に続けた。

「嫌だと仰っているお嬢様に、無理やり相手の方をあてがったとしても、お嬢様も相手の方も不幸になるだけです」
「そんなことはない」

にっこりと笑った一哉に、水原は憮然として表情と声音で一蹴した。

「私の…」

さらに、何かを言いかけた水原だったが、どうせ同じ言葉の繰り返しだろうと一哉は、聞くことに辟易して、その彼の言葉を塞いだ。

「お忘れですか?」
「…何をだ」
「堺様のことですよ」

少し強い口調で現在、この屋敷内では暗黙のうちに禁句となっていた男の名を口にした。
ますます、水原の顔は険しくなる。
だが、一哉はそんな男の様子など気に留めるような小さな肝の男ではなかった。
煽るように、薄く笑いながら、事実を口にした。

「嫌がるお嬢様に結婚を強いた結果、現在の状態になったのではないでしょうか」
「ふん。あれは、あの男に甲斐性がなかっただけだ」

鼻で笑うと、卑屈な表情を浮かべる。
男の言葉を静かに聞きながら、本当にどこまでも成長のないジジイだと一哉は心中で嘯いた。

「だとしてもです。お嬢様が結婚というものに抵抗を感じてもお嬢様を責めることはできません。寧ろ、責められるべきはお嬢様にそのような結婚を強いた私達ではありませんか?」
「だから、私は今度は…」
「それならば、お嬢様が望んだようにさせるべきではないかと私は申し上げているのです」

既に、水原は、自分よりも遥かに年若い男の術中に嵌まっていたのかもしれない。
このとき、完全に一哉のペースで会話が進んでいた。
もう水原に残されたのは、一哉に翻弄されるままに言葉を紡いでいくことだけかもしれない―。

「仮に、お嬢様が望まれるように私と結婚したとして、お嬢様が途中でこれは間違いだったと気づけば今度は、旦那様のご意向に沿ってくださると思いますが…」
「う…うむ」

ぎこちない所作で頷く男に、面には出さずに「馬鹿か」と嘲笑した。

「何事も経験してみないと分からないと思いますし、私とお嬢様を再婚させたくないと仰るようでしたら今のままでもよろしいかと思います」
「それは、ならん」

強く反発するように水原は一哉の言葉に反発するように声をあげた。
だが、それも一哉の計算のうちだった。
想像を裏切らない予想通りの水原の様子に、声を立てて笑いたくなるのを堪えた。

「それでは、いつまでも綾が惨めなままで可哀想だ」

「よく言う」と男の言葉に耳を傾けながら胸中で呟いた。

「では、どうなさいますか?怜迩様を引き合いに出すほどです。嫌がる相手と再婚させることはできないでしょう。そんなことをした日には、本当に怜迩様を連れて出て行きかねない」

追い討ちをかける。
何も今、結論を出さずとも良かったのだが、もう既に水原は、この場で結論を出さなければならないものだと錯覚していた。
じわりじわりと本人が知らないうちに侵食していくような一哉。
それに汚染されきってしまっていたと言ってもいいかもしれない。
ただ、知らぬは本人ばかり―。

「……怜迩がいるから跡継ぎには…事欠かないが」

何気なく水原が呟いたその言葉に、一哉の目つきが鋭くなる。
自分の狙い通り、水原の中で怜迩は堺の血を引いていることになっているが、いくら憎い男の子供でも自分の跡継ぎには、怜迩をと考えているようだった。
真実を綾が怜迩に伝えようとしていたことを止めさせたことは成功していただろう。
その事実を知るのは、綾と一哉の2人しかいない。
水原は、2人に踊らされるだけだった。

一哉の判断、そして、大分前に出来上がっていた筋書きは成功していた。

「問題は、ないか…。とはいえ、もし綾と結婚するとなったらお前もこれまでのようにはいかないぞ」
「それが、お嬢様の望みなら甘んじて受ける覚悟はできております」
「…そうか」

満足そうに頷くとそのまま続けた。

「あれのことだ。数年で終わるとは、思うが」
「ええ。私もお嬢様が本当にお気づきなるまで、影ながらお手伝いさせて頂きます」
「このことは私とお前の間だけの話にしておいてくれ」

もとより、誰にも言うつもりはない。
そもそも自分達にとって事が上手く運ぶように一哉は、言葉を選んだだけに過ぎない。

「心得ております」

深く頭を垂れ、承服の意を表す一哉に、すっかり彼によって騙された男は、満足そうに何度も頷くと今までの様相が嘘のように上機嫌だった。
騙されているとも気づかずに――

「そうと決まれば、のんびりとは、していられないな」

そう言って、水原は慌しく部屋を出て行った。
頭を下げていたままだった一哉は、扉がゆっくりと音を立てて閉まるのを聞いた後、顔を上げて、ソファに背中を預け、天井を見上げた。

「以外に簡単だったな…」

口の端を持ち上げ、笑みと呼ぶには凶悪すぎるそれを浮かべたまま、やがて、くつくつと声を立てて笑い始めた。
その笑い声はしばらくの間、彼以外誰もいない部屋に響き渡った。





その直後、父親自身から決定を知らされた喜びのあまり、ここ数年間の間決して見せることのなかった彼女本来の笑顔を見せては、父親に飛びつき、抱きついて彼女の歓喜を表現した。
娘の嬉しそうな姿を見るのは、実に久しぶりのような気がして、水原は少しの罪悪感を感じつつも、一哉の助言通り、こちらを選択して良かったなどと甘いことを考えていた。
もう既に遅いというのに―。
決して、操られるままに、快諾した男の思惑通りに事が運ぶ事はない。
いくら待てども、起こらないのだ。起こりえる訳がなかった。

仕組まれた選択に、彼が後に引き返すことはできなかった。
そして、その裏で糸を引いていた者に気づくこともできなかった。


 

2009

0213
vizard(88)
 

素早く時計で時間を確認した。
一瞬だけみた時計盤の針の指す時刻で、彼女がどこにいるか検討をつける。
急ぎ足で向かうその先に大人しく彼女がいてくれればいいが――
広い屋敷の敷地内を早足で歩く彼の脳裏には、次から次へとひっきりなしに、疑問や問い詰めたいことなどが湧いてきて止まない。
妙な焦燥感が彼の体を襲う。
緊張か―。それとも、ただテンションが上がっているだけなのか―。
心臓が早鐘を打つ音がすぐ側で聞こえてくるような気がした。

しかし、得てしてこういう時ほど間が悪いというか自分の思い通り事が運ばないのは何故だろうか。
日ごろの行いの悪さが、具現化したものなのだろうか―。

運悪く、前方から歩いてくる水原に気づいて一哉の足は止まった。
先に気づいたのは一哉の方だった。
道を開けて、壁に背中をつけ、じっと水原が通りすぎるのを待つ。
このまま、自分に何の言葉をかけることもなく…。

だが、一哉の希望も虚しく、水原は彼の存在に気がつくと、困ったような表情を浮かべて、一哉と視線を交差させた。
直感的に自分の願いは散ったと悟った一哉。
思わず身構えた。

水原は、一哉の前にくると足を止め、一哉に向き直った。
見た目温和そうに見え、性格も破綻者には決して見えないが、実のところかなりの傲岸不遜な人間である男が水原の視線が怖いと感じた。
とはいえ、それを表面に出して、相手に悟らせるような真似は決してしないのだが…。

「少しだけでいい、時間あるか?聞きたいことがある」

水原はどこか重々しい口調で一哉に告げる。
一応は、一哉に伺いを立てる形で聞いてくる水原だったが、それを拒否する力は一哉には無かった。
勿論、水原とて相手から拒否の言葉が出てくることなど期待していない。
一哉は、現時点で情報の整理ができていない。
こんな状態で水原と話をすることなど、望ましくないだろうし、望んでいなかった。寧ろ、避けたかった。
舌打ちしたいのを抑えて、水原の後をついていく数やだった。





主人である水原の部屋に通された一哉は、相手の出方を伺うため、水原の動き―指の先まで注意深く目を光らせた。
どこか落ち着かない様子で煙草に火をつける男の仕草に相手もそわそわしていると判断はできたが―。
できたところで何の解決にもならない。
ただ、相手が切り出すのを辛抱強く待った。

「あー、呼び出しておいてすまない」

煙草の2本目が漸く吸い終わるかどうかというところで、部屋に入ってからというものの初めて口を開いた水原だった。

「…いえ。それで、お話とは」
「綾のことなんだが…」

非常に言い難そうに漸く、口火を切った。
一哉が詳細―詳細というのは語弊があるかもしれないが、綾の再婚相手に自分の名があがったということを知ったのはつい先刻のことだが、このタイミングで水原に呼ばれたのだから、彼から何か聞かれるにしてもその話しかないだろうということは分かっていた。

「何でしょう?」
「その…、何だ。この前、綾に再婚の話を切り出したんだ」
「…そうですか。これは、あくまで私の見解に過ぎませんが、お嬢様は再婚など望んでいらっしゃらないかと。時期尚早ではありませんか?」
「…う、うむ」

一哉の指摘に、水原は困ったように眉間に皺を刻みながら、ゆっくりと頷いた。

「だが…。そうもいくまい。早々に、見つけてやらなければと思ってだな…」

水原の言い分を聞きながら、一哉は内心で目の前の男を鼻で笑った。

―どこまで、傲慢な男だ…。と。

一度目に水原が選び、娘に宛がった堺という男によって恥を掻かされたことに懲りていないのだろうか―。
全てが自分の思惑通りに事が運んでいくとでも思っているのだろうか。
最初から、綾は既に選んでいるのだ。
最早、親から与えられたものをただ、享受するだけの幼い子供ではない。ましてや、綾は水原にとっての意志のない人形ではないのだ。

それを一哉の目の前の男は、全く理解していないのだ。
一哉は男の口から語られるものには興味がないのだろう。
右から左へと聞き流していた。
そして、時間をかけて漸く本題へと入っていった。

「綾が私の選んだ男ではなく、再婚するならお前だと言い出したんだ。一哉」

やはり、事実か―。と。
一番最初に思ったのはそんなことだった。
驚きは、伊達から聞かされた時だけだった。
今は、驚きというよりも綾が水原に何と言ったかだけ気になる。

「どういうことでしょう?」
「いや、私もよくわからんのだ。何故、綾がこんなこと言い出したのか。お前と綾は、別に…」
「私とお嬢様の間には、特に私の職務の域を超えた関係などありません」

ちらりと水原を伺うような視線を寄越してきた相手の言葉を遮るようにして言い切る。
ほっとしたように水原の肩の力が抜けていくのが、一哉には手に取るようにわかった。

「それは、綾も言っていたし、わかっている…」

口ではそう言いつつも、一哉の口からそれを聞くまでは安堵できなかったのだろう。
2人の言葉が全くの嘘であるということは疑わずに―。
一哉は、水原の態度で綾が事実を全て口にした訳ではないということを悟る。

「何故、私の名前が出てきたのでしょう?不思議ですね」

今の水原の困惑に同意するように、一哉が白々しくもそう口にすると今まで大人しかったのが嘘のように、水原は捲くし立てるように言葉を並べる。

「全く、その通りだ。私の選んだ男の何が気に入らないと言うんだ。私の目に狂いはないはずだというのに、使用人の1人であるお前が良いなんて…。認めてくれなければ怜迩を連れて家を出ると言い出す始末だ。アレの我侭には、ほとほと困る」

堺のことはすっかり忘れているようだった。
自分を過信するにも程がある。
娘の意思を我侭の一言で片付ける男―。
もとはと言えば、彼が彼女をそうさせたのに違いはないのに…。

馬鹿かと内心では、一蹴しながらそれに応じるように口を開いた。

「そんなことまで仰っていたんですか?」
「ああ、全く…」
「それで、旦那様はどのようにお考えていらっしゃいますか」

水原の核心に迫ろうとして、そう尋ねた一哉の瞳は、まだ己の中で答えが出ていないのだろう水原が一哉の視線から逃げるようにして顔を逸らしたのを、肉食獣が獲物を狙うかのような鈍色の光を放っていた。


 

2009

0206
vizard(87)

ぽかんと口を開け、突拍子もないことを言い出した娘の顔をまじまじと見つめた。
父親の視線に娘は、本気だということを表すように逃げることなく、真正面から父親を見返した。

「…ほ、本気で言っているのか?」

どうか嘘だと言ってくれとばかりに問う水原の声は、俄かに震えていた。
世迷いごとを言い出すにも程がある。
醜聞もいいところだ。

一介の使用人の中の1人に過ぎない男となど――

だが、本気の綾には冗談だと笑って言うつもりは毛頭なかった。
堺のときのようにどれだけ綾が嫌がっても再婚させられたらたまらない。
このまま父親の意志をごり押しされて再婚しなければならないのなら、いっそのことと―という綾なりの賭けだった。
愕然としている父親に向かって、彼の縋るような視線をも突っ張るように言い捨てた。

「本気よ。こんなことで冗談言っても仕方ないでしょ」
「…なっ」
「一哉がいいの。一哉じゃなきゃイヤ。認めてくれないなら、怜迩を連れて家を出てやるから」
「ちょ…ちょっと待て」

一度、言ってしまったものは、引き返すことはできない。
どうせなら、このまま認めさせてやると綾は強く出た。
条件のように怜迩の存在を引き合いに出してやる。
そうすれば、水原も強く出られまいと踏んで、彼女はそれを口にした。

綾の狙い通り、水原は慌てた。
体を前のめりに倒しながら、娘に詰め寄る。
挑むように自分を見つめてくる娘を見て、彼の脳裏に嫌な予想が過ぎっていく。
これまで、想像だにしなかった―。

「まさか…」

瞬きも忘れて綾に見入り、恐る恐る言いかけたまま、一度己を落ち着かせるためだろうか。ごくりと喉を上下させた。

「綾。お前、一哉と…」
「ちょっと変な想像しないでくれないかしら?」

父親が皆まで言うのを待っていられなかったのか、それとも別の意図があるのか。
綾は、水原の言葉を遮り、眉間に皺を寄せた険しい表情、険の篭った声で即座に否定とも取れる言葉を口にした。
とりあえずの否定に水原は、急速に自分が落ち着いていくのを感じた。
しかし、どうも腑に落ちない。

―では、何故急に一哉の名が綾から出てきたのか。

確かに、綾の側には常に一哉が控えている。
接する時間は確かに多いことは事実だ。
とはいえ、それは彼女が再婚者として一哉を挙げる理由にはならないだろう。

綾と水原。
彼らの関係は、一般から見たら主人と使用人の関係に過ぎない。
従って、その関係以上の間柄になっていないと綾が再婚者として一哉の名前を挙げる理由にはならないと思ったのだ。
彼の考えは、間違ってなどいない。

2人は、既に夫婦以上の親密な関係を築いていることに間違いはないのだが、それを正直に打ち明けるほど綾も命知らずではなかった。
昔の彼女なら素直に口にしていたかもしれないが、直情的に進んでも事は上手くくものといかないものの判断はできるようになっていた。
ポーカフェイスで、水原からの視線をやり過ごす彼女と水原の腹の探りあいは続く。

「じゃあ、何で…一哉なんだ?」
「まだ、何もないわ。碌に知らない男と再婚させられる位なら一哉が良いってだけよ」
「…しかし、」

綾の言い分には、納得できなかったようで、眉間に深い皺を刻んだままだった。

「何よ。お父様が選んだ人だって、お父様の部下なんだから一緒じゃない」

と綾は主張してみるが、部下と言っても与えられた役目も社会的地位も全く異なる。

「いくら真面目だからって、いざという時に頼りにならないかもしれない男なんて嫌よ。私が誘拐されたときも、怜迩が事故に巻き込まれたときも助けてくれたのは、一哉じゃない」

怜迩の時には、実際にすぐ側まで迫っていた命の危険から怜迩を守ったのは、伊達であるが、強調するためにもう過去の出来事になりつつあった怜迩の話や数年前の自分の身にあったことを切り出した。
それに対して、丁度良い言い返す言葉も見つからなかったのか、水原は口をへの字にしたまま、押し黙ってしまった。
そんな父親に対し、追い討ちをかけるかのように綾は、再度同じ言葉を繰り返した。

「一哉以外の人間と再婚しろって言うなら、怜迩連れて出て行くわ。冗談でもなんでもないわよ。本気だから、覚えておいて頂戴」

とだけ言い置くと、後は話すことはないという意志表示のつもりもあってか、そのまま部屋を後にした綾だった。
水原の慌てて呼び止めようとする声にも振り返らなかった。





水原と綾との間だけの話だったはずのそれは、どこからか漏れ、驚くほどの早さで水原の家で働く使用人達の間を駆け巡った。
一哉は、自分へと向けられる何らかの意志を持った視線に違和感を覚えただけだった。
遠巻きに自分を指差して何かを話している同僚。

そわそわした使用人たちの動きに、綾は気づいていたが、彼らが口にすることは事実なので放っておいた。
むしろ、逆手にとって利用してやろうとすら思っていたのだ。
周りから固めてやれば、自分の意見をごり押ししてくる父親を納得させることができると思ったのだ。



同僚達の様子と己へと向けられる視線に不審感を抱いていた一哉だったが、彼らの様相の理由は、伊達の口から聞かされることとなった。

「綾様と再婚されるって本当ですか?」
「は?」

いつも飄々と、時に厳しい表情を見せる男の珍しく、呆けたような顔を伊達はこの先忘れることはできないだろう。
一見の勝ちはある顔だった。

しかし、同時に他の人間達が噂することは間違いなのだろうか―。
とも思った。
綾自身が否定しているのを聞いたことがない伊達は、てっきり事実であり、そう遠くない未来のはずだと思っていたのだ。
ただ、いつも伊達の近くにいるはずの男だけが何も言わない―。
もし、他の者たちが口々に噂しているのが事実なら、男の口から己へと語られてもいいはずだと思っていたのだ。
我慢できなくなった伊達が、意を決して一哉本人に聞いてみたものの、この有様だ。
違うのかと身構える伊達に、一哉は不快そうに眉間に皺を寄せ、目を細めた。

「何だそれは…。最近のほかの人間の変な様子はそれか…」
「違うんですか?綾様が旦那様に―」

と伊達が自分が聞いた話をそっくりそのまま伝えようとしたところ、皆まで言い終わる前に、一哉が背中を向けて、どこかへと姿を消していってしまった。
呼び止めることも後を追いかけることもできずに伊達は、ただ一哉の背中を見送っただけだった。
見送る男の背中がそれを拒絶していた―。


カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
フリーエリア
最新CM
[02/18 誤字報告]
[02/16 MN]
[04/14 sega]
[01/27 海]
[06/27 けー]
最新記事
(12/31)
(09/25)
(06/28)
(03/01)
(02/24)
最新TB
プロフィール
HN:
HP:
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
最古記事
(01/01)
(01/01)
(02/10)
(02/10)
(02/11)
忍者ブログ [PR]
* Template by TMP