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更新日記と小説(18禁)とたまに嘆き. 嫌いな方・興味のない方・間違っちゃった方はバックバック

2024

0519
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2009

0218
vizard(89)

水原は、中々次の言葉を口にしようとはしなかった。
頭の中で整理をしようと―結論を出そうとしている様子だった。
やがて、小さな声ではあるが、その時間をかけて考えた水原の考えを口にし始めた。

「…本当に幸せになれるのは…私の選んだ男と―」

時間をかけた割には、進歩がないものだと水原の言葉を聞きながら、一哉は思った。
そして、水原の言葉を遮るようにして進言した。
波紋を広げるような言葉を―。

「果たしてそうでしょうか」

聞きようによっては、自分の方がふさわしいという意味合いに聞こえなくもない。
実質、水原にはそう聞こえていた。
不快そうに眉間に皺を寄せ、一哉を見返す。
一哉は自分へと寄せられる疑念の眼差しを受け止め、変わらず瞳で見返した。

「どういうことだ?」
「幸せなど他人に強制されたものによって得るものではないでしょう。お嬢様には、お嬢様の価値観がございます。もし他人の幸せを自分の判断で決める人がいたとしたら、それはただの傲慢ではないでしょうか」

暗に水原のことを揶揄した。
そして、更に続けた。

「嫌だと仰っているお嬢様に、無理やり相手の方をあてがったとしても、お嬢様も相手の方も不幸になるだけです」
「そんなことはない」

にっこりと笑った一哉に、水原は憮然として表情と声音で一蹴した。

「私の…」

さらに、何かを言いかけた水原だったが、どうせ同じ言葉の繰り返しだろうと一哉は、聞くことに辟易して、その彼の言葉を塞いだ。

「お忘れですか?」
「…何をだ」
「堺様のことですよ」

少し強い口調で現在、この屋敷内では暗黙のうちに禁句となっていた男の名を口にした。
ますます、水原の顔は険しくなる。
だが、一哉はそんな男の様子など気に留めるような小さな肝の男ではなかった。
煽るように、薄く笑いながら、事実を口にした。

「嫌がるお嬢様に結婚を強いた結果、現在の状態になったのではないでしょうか」
「ふん。あれは、あの男に甲斐性がなかっただけだ」

鼻で笑うと、卑屈な表情を浮かべる。
男の言葉を静かに聞きながら、本当にどこまでも成長のないジジイだと一哉は心中で嘯いた。

「だとしてもです。お嬢様が結婚というものに抵抗を感じてもお嬢様を責めることはできません。寧ろ、責められるべきはお嬢様にそのような結婚を強いた私達ではありませんか?」
「だから、私は今度は…」
「それならば、お嬢様が望んだようにさせるべきではないかと私は申し上げているのです」

既に、水原は、自分よりも遥かに年若い男の術中に嵌まっていたのかもしれない。
このとき、完全に一哉のペースで会話が進んでいた。
もう水原に残されたのは、一哉に翻弄されるままに言葉を紡いでいくことだけかもしれない―。

「仮に、お嬢様が望まれるように私と結婚したとして、お嬢様が途中でこれは間違いだったと気づけば今度は、旦那様のご意向に沿ってくださると思いますが…」
「う…うむ」

ぎこちない所作で頷く男に、面には出さずに「馬鹿か」と嘲笑した。

「何事も経験してみないと分からないと思いますし、私とお嬢様を再婚させたくないと仰るようでしたら今のままでもよろしいかと思います」
「それは、ならん」

強く反発するように水原は一哉の言葉に反発するように声をあげた。
だが、それも一哉の計算のうちだった。
想像を裏切らない予想通りの水原の様子に、声を立てて笑いたくなるのを堪えた。

「それでは、いつまでも綾が惨めなままで可哀想だ」

「よく言う」と男の言葉に耳を傾けながら胸中で呟いた。

「では、どうなさいますか?怜迩様を引き合いに出すほどです。嫌がる相手と再婚させることはできないでしょう。そんなことをした日には、本当に怜迩様を連れて出て行きかねない」

追い討ちをかける。
何も今、結論を出さずとも良かったのだが、もう既に水原は、この場で結論を出さなければならないものだと錯覚していた。
じわりじわりと本人が知らないうちに侵食していくような一哉。
それに汚染されきってしまっていたと言ってもいいかもしれない。
ただ、知らぬは本人ばかり―。

「……怜迩がいるから跡継ぎには…事欠かないが」

何気なく水原が呟いたその言葉に、一哉の目つきが鋭くなる。
自分の狙い通り、水原の中で怜迩は堺の血を引いていることになっているが、いくら憎い男の子供でも自分の跡継ぎには、怜迩をと考えているようだった。
真実を綾が怜迩に伝えようとしていたことを止めさせたことは成功していただろう。
その事実を知るのは、綾と一哉の2人しかいない。
水原は、2人に踊らされるだけだった。

一哉の判断、そして、大分前に出来上がっていた筋書きは成功していた。

「問題は、ないか…。とはいえ、もし綾と結婚するとなったらお前もこれまでのようにはいかないぞ」
「それが、お嬢様の望みなら甘んじて受ける覚悟はできております」
「…そうか」

満足そうに頷くとそのまま続けた。

「あれのことだ。数年で終わるとは、思うが」
「ええ。私もお嬢様が本当にお気づきなるまで、影ながらお手伝いさせて頂きます」
「このことは私とお前の間だけの話にしておいてくれ」

もとより、誰にも言うつもりはない。
そもそも自分達にとって事が上手く運ぶように一哉は、言葉を選んだだけに過ぎない。

「心得ております」

深く頭を垂れ、承服の意を表す一哉に、すっかり彼によって騙された男は、満足そうに何度も頷くと今までの様相が嘘のように上機嫌だった。
騙されているとも気づかずに――

「そうと決まれば、のんびりとは、していられないな」

そう言って、水原は慌しく部屋を出て行った。
頭を下げていたままだった一哉は、扉がゆっくりと音を立てて閉まるのを聞いた後、顔を上げて、ソファに背中を預け、天井を見上げた。

「以外に簡単だったな…」

口の端を持ち上げ、笑みと呼ぶには凶悪すぎるそれを浮かべたまま、やがて、くつくつと声を立てて笑い始めた。
その笑い声はしばらくの間、彼以外誰もいない部屋に響き渡った。





その直後、父親自身から決定を知らされた喜びのあまり、ここ数年間の間決して見せることのなかった彼女本来の笑顔を見せては、父親に飛びつき、抱きついて彼女の歓喜を表現した。
娘の嬉しそうな姿を見るのは、実に久しぶりのような気がして、水原は少しの罪悪感を感じつつも、一哉の助言通り、こちらを選択して良かったなどと甘いことを考えていた。
もう既に遅いというのに―。
決して、操られるままに、快諾した男の思惑通りに事が運ぶ事はない。
いくら待てども、起こらないのだ。起こりえる訳がなかった。

仕組まれた選択に、彼が後に引き返すことはできなかった。
そして、その裏で糸を引いていた者に気づくこともできなかった。


 
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2009

0213
vizard(88)
 

素早く時計で時間を確認した。
一瞬だけみた時計盤の針の指す時刻で、彼女がどこにいるか検討をつける。
急ぎ足で向かうその先に大人しく彼女がいてくれればいいが――
広い屋敷の敷地内を早足で歩く彼の脳裏には、次から次へとひっきりなしに、疑問や問い詰めたいことなどが湧いてきて止まない。
妙な焦燥感が彼の体を襲う。
緊張か―。それとも、ただテンションが上がっているだけなのか―。
心臓が早鐘を打つ音がすぐ側で聞こえてくるような気がした。

しかし、得てしてこういう時ほど間が悪いというか自分の思い通り事が運ばないのは何故だろうか。
日ごろの行いの悪さが、具現化したものなのだろうか―。

運悪く、前方から歩いてくる水原に気づいて一哉の足は止まった。
先に気づいたのは一哉の方だった。
道を開けて、壁に背中をつけ、じっと水原が通りすぎるのを待つ。
このまま、自分に何の言葉をかけることもなく…。

だが、一哉の希望も虚しく、水原は彼の存在に気がつくと、困ったような表情を浮かべて、一哉と視線を交差させた。
直感的に自分の願いは散ったと悟った一哉。
思わず身構えた。

水原は、一哉の前にくると足を止め、一哉に向き直った。
見た目温和そうに見え、性格も破綻者には決して見えないが、実のところかなりの傲岸不遜な人間である男が水原の視線が怖いと感じた。
とはいえ、それを表面に出して、相手に悟らせるような真似は決してしないのだが…。

「少しだけでいい、時間あるか?聞きたいことがある」

水原はどこか重々しい口調で一哉に告げる。
一応は、一哉に伺いを立てる形で聞いてくる水原だったが、それを拒否する力は一哉には無かった。
勿論、水原とて相手から拒否の言葉が出てくることなど期待していない。
一哉は、現時点で情報の整理ができていない。
こんな状態で水原と話をすることなど、望ましくないだろうし、望んでいなかった。寧ろ、避けたかった。
舌打ちしたいのを抑えて、水原の後をついていく数やだった。





主人である水原の部屋に通された一哉は、相手の出方を伺うため、水原の動き―指の先まで注意深く目を光らせた。
どこか落ち着かない様子で煙草に火をつける男の仕草に相手もそわそわしていると判断はできたが―。
できたところで何の解決にもならない。
ただ、相手が切り出すのを辛抱強く待った。

「あー、呼び出しておいてすまない」

煙草の2本目が漸く吸い終わるかどうかというところで、部屋に入ってからというものの初めて口を開いた水原だった。

「…いえ。それで、お話とは」
「綾のことなんだが…」

非常に言い難そうに漸く、口火を切った。
一哉が詳細―詳細というのは語弊があるかもしれないが、綾の再婚相手に自分の名があがったということを知ったのはつい先刻のことだが、このタイミングで水原に呼ばれたのだから、彼から何か聞かれるにしてもその話しかないだろうということは分かっていた。

「何でしょう?」
「その…、何だ。この前、綾に再婚の話を切り出したんだ」
「…そうですか。これは、あくまで私の見解に過ぎませんが、お嬢様は再婚など望んでいらっしゃらないかと。時期尚早ではありませんか?」
「…う、うむ」

一哉の指摘に、水原は困ったように眉間に皺を刻みながら、ゆっくりと頷いた。

「だが…。そうもいくまい。早々に、見つけてやらなければと思ってだな…」

水原の言い分を聞きながら、一哉は内心で目の前の男を鼻で笑った。

―どこまで、傲慢な男だ…。と。

一度目に水原が選び、娘に宛がった堺という男によって恥を掻かされたことに懲りていないのだろうか―。
全てが自分の思惑通りに事が運んでいくとでも思っているのだろうか。
最初から、綾は既に選んでいるのだ。
最早、親から与えられたものをただ、享受するだけの幼い子供ではない。ましてや、綾は水原にとっての意志のない人形ではないのだ。

それを一哉の目の前の男は、全く理解していないのだ。
一哉は男の口から語られるものには興味がないのだろう。
右から左へと聞き流していた。
そして、時間をかけて漸く本題へと入っていった。

「綾が私の選んだ男ではなく、再婚するならお前だと言い出したんだ。一哉」

やはり、事実か―。と。
一番最初に思ったのはそんなことだった。
驚きは、伊達から聞かされた時だけだった。
今は、驚きというよりも綾が水原に何と言ったかだけ気になる。

「どういうことでしょう?」
「いや、私もよくわからんのだ。何故、綾がこんなこと言い出したのか。お前と綾は、別に…」
「私とお嬢様の間には、特に私の職務の域を超えた関係などありません」

ちらりと水原を伺うような視線を寄越してきた相手の言葉を遮るようにして言い切る。
ほっとしたように水原の肩の力が抜けていくのが、一哉には手に取るようにわかった。

「それは、綾も言っていたし、わかっている…」

口ではそう言いつつも、一哉の口からそれを聞くまでは安堵できなかったのだろう。
2人の言葉が全くの嘘であるということは疑わずに―。
一哉は、水原の態度で綾が事実を全て口にした訳ではないということを悟る。

「何故、私の名前が出てきたのでしょう?不思議ですね」

今の水原の困惑に同意するように、一哉が白々しくもそう口にすると今まで大人しかったのが嘘のように、水原は捲くし立てるように言葉を並べる。

「全く、その通りだ。私の選んだ男の何が気に入らないと言うんだ。私の目に狂いはないはずだというのに、使用人の1人であるお前が良いなんて…。認めてくれなければ怜迩を連れて家を出ると言い出す始末だ。アレの我侭には、ほとほと困る」

堺のことはすっかり忘れているようだった。
自分を過信するにも程がある。
娘の意思を我侭の一言で片付ける男―。
もとはと言えば、彼が彼女をそうさせたのに違いはないのに…。

馬鹿かと内心では、一蹴しながらそれに応じるように口を開いた。

「そんなことまで仰っていたんですか?」
「ああ、全く…」
「それで、旦那様はどのようにお考えていらっしゃいますか」

水原の核心に迫ろうとして、そう尋ねた一哉の瞳は、まだ己の中で答えが出ていないのだろう水原が一哉の視線から逃げるようにして顔を逸らしたのを、肉食獣が獲物を狙うかのような鈍色の光を放っていた。


 

2009

0206
vizard(87)

ぽかんと口を開け、突拍子もないことを言い出した娘の顔をまじまじと見つめた。
父親の視線に娘は、本気だということを表すように逃げることなく、真正面から父親を見返した。

「…ほ、本気で言っているのか?」

どうか嘘だと言ってくれとばかりに問う水原の声は、俄かに震えていた。
世迷いごとを言い出すにも程がある。
醜聞もいいところだ。

一介の使用人の中の1人に過ぎない男となど――

だが、本気の綾には冗談だと笑って言うつもりは毛頭なかった。
堺のときのようにどれだけ綾が嫌がっても再婚させられたらたまらない。
このまま父親の意志をごり押しされて再婚しなければならないのなら、いっそのことと―という綾なりの賭けだった。
愕然としている父親に向かって、彼の縋るような視線をも突っ張るように言い捨てた。

「本気よ。こんなことで冗談言っても仕方ないでしょ」
「…なっ」
「一哉がいいの。一哉じゃなきゃイヤ。認めてくれないなら、怜迩を連れて家を出てやるから」
「ちょ…ちょっと待て」

一度、言ってしまったものは、引き返すことはできない。
どうせなら、このまま認めさせてやると綾は強く出た。
条件のように怜迩の存在を引き合いに出してやる。
そうすれば、水原も強く出られまいと踏んで、彼女はそれを口にした。

綾の狙い通り、水原は慌てた。
体を前のめりに倒しながら、娘に詰め寄る。
挑むように自分を見つめてくる娘を見て、彼の脳裏に嫌な予想が過ぎっていく。
これまで、想像だにしなかった―。

「まさか…」

瞬きも忘れて綾に見入り、恐る恐る言いかけたまま、一度己を落ち着かせるためだろうか。ごくりと喉を上下させた。

「綾。お前、一哉と…」
「ちょっと変な想像しないでくれないかしら?」

父親が皆まで言うのを待っていられなかったのか、それとも別の意図があるのか。
綾は、水原の言葉を遮り、眉間に皺を寄せた険しい表情、険の篭った声で即座に否定とも取れる言葉を口にした。
とりあえずの否定に水原は、急速に自分が落ち着いていくのを感じた。
しかし、どうも腑に落ちない。

―では、何故急に一哉の名が綾から出てきたのか。

確かに、綾の側には常に一哉が控えている。
接する時間は確かに多いことは事実だ。
とはいえ、それは彼女が再婚者として一哉を挙げる理由にはならないだろう。

綾と水原。
彼らの関係は、一般から見たら主人と使用人の関係に過ぎない。
従って、その関係以上の間柄になっていないと綾が再婚者として一哉の名前を挙げる理由にはならないと思ったのだ。
彼の考えは、間違ってなどいない。

2人は、既に夫婦以上の親密な関係を築いていることに間違いはないのだが、それを正直に打ち明けるほど綾も命知らずではなかった。
昔の彼女なら素直に口にしていたかもしれないが、直情的に進んでも事は上手くくものといかないものの判断はできるようになっていた。
ポーカフェイスで、水原からの視線をやり過ごす彼女と水原の腹の探りあいは続く。

「じゃあ、何で…一哉なんだ?」
「まだ、何もないわ。碌に知らない男と再婚させられる位なら一哉が良いってだけよ」
「…しかし、」

綾の言い分には、納得できなかったようで、眉間に深い皺を刻んだままだった。

「何よ。お父様が選んだ人だって、お父様の部下なんだから一緒じゃない」

と綾は主張してみるが、部下と言っても与えられた役目も社会的地位も全く異なる。

「いくら真面目だからって、いざという時に頼りにならないかもしれない男なんて嫌よ。私が誘拐されたときも、怜迩が事故に巻き込まれたときも助けてくれたのは、一哉じゃない」

怜迩の時には、実際にすぐ側まで迫っていた命の危険から怜迩を守ったのは、伊達であるが、強調するためにもう過去の出来事になりつつあった怜迩の話や数年前の自分の身にあったことを切り出した。
それに対して、丁度良い言い返す言葉も見つからなかったのか、水原は口をへの字にしたまま、押し黙ってしまった。
そんな父親に対し、追い討ちをかけるかのように綾は、再度同じ言葉を繰り返した。

「一哉以外の人間と再婚しろって言うなら、怜迩連れて出て行くわ。冗談でもなんでもないわよ。本気だから、覚えておいて頂戴」

とだけ言い置くと、後は話すことはないという意志表示のつもりもあってか、そのまま部屋を後にした綾だった。
水原の慌てて呼び止めようとする声にも振り返らなかった。





水原と綾との間だけの話だったはずのそれは、どこからか漏れ、驚くほどの早さで水原の家で働く使用人達の間を駆け巡った。
一哉は、自分へと向けられる何らかの意志を持った視線に違和感を覚えただけだった。
遠巻きに自分を指差して何かを話している同僚。

そわそわした使用人たちの動きに、綾は気づいていたが、彼らが口にすることは事実なので放っておいた。
むしろ、逆手にとって利用してやろうとすら思っていたのだ。
周りから固めてやれば、自分の意見をごり押ししてくる父親を納得させることができると思ったのだ。



同僚達の様子と己へと向けられる視線に不審感を抱いていた一哉だったが、彼らの様相の理由は、伊達の口から聞かされることとなった。

「綾様と再婚されるって本当ですか?」
「は?」

いつも飄々と、時に厳しい表情を見せる男の珍しく、呆けたような顔を伊達はこの先忘れることはできないだろう。
一見の勝ちはある顔だった。

しかし、同時に他の人間達が噂することは間違いなのだろうか―。
とも思った。
綾自身が否定しているのを聞いたことがない伊達は、てっきり事実であり、そう遠くない未来のはずだと思っていたのだ。
ただ、いつも伊達の近くにいるはずの男だけが何も言わない―。
もし、他の者たちが口々に噂しているのが事実なら、男の口から己へと語られてもいいはずだと思っていたのだ。
我慢できなくなった伊達が、意を決して一哉本人に聞いてみたものの、この有様だ。
違うのかと身構える伊達に、一哉は不快そうに眉間に皺を寄せ、目を細めた。

「何だそれは…。最近のほかの人間の変な様子はそれか…」
「違うんですか?綾様が旦那様に―」

と伊達が自分が聞いた話をそっくりそのまま伝えようとしたところ、皆まで言い終わる前に、一哉が背中を向けて、どこかへと姿を消していってしまった。
呼び止めることも後を追いかけることもできずに伊達は、ただ一哉の背中を見送っただけだった。
見送る男の背中がそれを拒絶していた―。


2009

0131
vizard(86)

――時間は早く流れるように過ぎていく。

一哉の杞憂もそのままに、堺は妙な動きを見せることもなく、穏やかな時間を過ごしていた。
堺は水原の怒りを買ったことでその対応に追われる生活を強いられた。
一哉への恨みはありこそすれ、ただ報復をする時間もそれを計画する時間も無いほどに追われていた。
恨みだけが募っていくそんな時間の浪費しか彼にはなかった。

対照的に長年邪魔な存在でしか成り得なかった男を追い出すことができ、晴れて自由の身になった綾は自由気ままな時間を過ごしていた。
自由の身という表現は、男が居ようが居まいが、そこに存在しないもののように扱っていた彼女にとって些か可笑しい気がしないでもないが、法的にも、対外的にももう他人であるという証明があるのは、やはり彼女にとって与える印象は殊の外大きかったようだ。
数ヶ月前に水原の家で起きた醜聞とその結末を知っている者たちは、彼女を腫れ物に触るように扱ったが、そんなことは彼女からしてみれば瑣末なことにしか感じられなかった。
今まで以上に早く過ぎ去っていくように感じられる時間を彼女は、実に堪能していた。

そんな綾とは打って変わって、父親である水原は最近、富に頭を悩ませていた。
ここ数ヶ月の娘の様子と言えば、実に楽しそうで、生き生きとしている。それは、自分の選択に誤りがなかったという証拠だろうと彼自身、納得している。
自分の手で追い出し、もう自分の目の前からいなくなった男については、考えるだけの時間も勿体ないとばかりに、既に眼中になどない。
そんな彼の悩みは、夫に浮気されて離婚したというレッテルが世間的に張られた娘のことだった。
綾にしてみれば余計なお世話の一言に過ぎないだろうが、世間の体裁を気にする彼は、このまま彼女を放っておくことができなかった。
そもそもが、堺は自分が宛がった男だ。
次こそは、と目下自分の眼鏡に適う男を探している。
しかし、既に堺という男を選んでいる彼の眼鏡というものが如何なるものかは甚だ疑問であるのだが…。

綾と顔を合わせた時に、会話に織り交ぜてそれとなく彼女の意志を伺ってはみるものの、綾は全く興味がない様子だった。
このまま放っておけば、再婚までに相当の時間を要することは必至―。
もとより、水原は知らないが一哉がいればそれで満足な綾のことだ。そんな時はこないだろうと言った方がより正しいのかもしれない。
娘にそんな気がなくとも、父親としてどうにかせねばなるまいと妙な使命感に燃えて彼は、娘の再婚相手探しを水面下で続けた。
そして、漸くこれなら娘の納得してくれるに違いないという妙な自信を持てる人物を見つけた。
相手にも打診し、後は娘を納得させるだけというところまで準備を進めた上で彼は、綾を呼び出した。



父親に呼び出された綾は、一体何の話だろうかと訝しみながら、水原のいる書斎に入る。
妙に上機嫌な父がそこに居て、知らず知らずのうちに綾は、身構えた。
往々にして父が上機嫌なときには、碌なことがおきやしない―。
綾は、そう思っていた。
唯一の出入り口であるドア付近に立ち、このまま回れ右して帰ってやろうかと思案したままの綾に部屋の奥にあるソファに腰をかけるように促す水原。

「こっちへ来なさい」

言われるままに、綾は彼の真向かいにある1人掛けようのソファに腰をかけてみる。
座るなり、年のせいかもう皺が入ってきている水原がより深く皺を刻みながら、一冊の写真を渡してくる。
皮で綺麗に装丁されたそれに綾の警戒心がますます大きくなる。

「何。これ」
「いいから、見てみなさい」

ゆっくりと開けてみるのだが、そこに映っていたのは綾も知っている男。
父親の部下にあたる男の写真だった。

「どうだ?」
「…どうだって言われても。この写真が何か?」

答えは、聞かなくても分かっていた綾だったが、聞かずにはいられない。

「何って…。再婚相手には、うってつけだろう。この男なら、私も良く知っている。あの男のような真似は決してしないと思うぞ」

暗に堺のことを口にした水原だったが、綾は聞く気がないのだろう。
自分から聞いておきながら右から左へと聞き流すだけだった。
父親が言い終わるのを待って、拒絶の態度を示す。

「嫌よ」

ばっさりと切り捨てるように言うと手にしていた写真を2人の体の間にある机にぽいっとゴミでも捨てるみたいに放り投げた。

「何が嫌なんだ。真面目でいい男だ」
「全部」

ぷいっと子供のようにそっぽを向きながら答える綾に水原は思わず渋面を刻んだ。

「綾」

嗜めるように名を呼ばれて、綾はちらりと横目で父親を盗み見た。

「再婚なんてしない」
「そうはいかないだろう」
「体裁が悪いって言うんでしょ?」

核心をつかれて水原は軽く息を飲む。
わざとらしく咳払いをした後、すぐに補足を入れる。

「…まぁ、それもあるが…。お前は、あの男に裏切られた直後だから、嫌かもしれないが。怜迩のことを考えてみなさい。父親がいないというのは、可哀想だ」

堺のことを強調する水原だったが、その言葉は綾には響かない。
怜迩のことを引き合いに出されたら、多少の罪悪感は感じないでもない。
しかし、たとえ堺が居たとしても、怜迩の中で父親という存在がそれほど大きいものではないに違いない。
ほとんど家に寄り付かない男だった。また、自分とは全く血の繋がっていない怜迩に対して、堺も愛情など向けられる訳もなく、逆に憎しみに近い感情を抱いていたくらいだ。
怜迩の中で、父親というものはさしたるものではないだろう。
従って、綾は変わらず―それどころか、強くもう一度拒絶した。

「嫌ったらイヤなの」

娘の反抗に、父親は対応に困った。
どうやって言い包めようかと思案している途中に綾は、父親に向かって飛んでもない言葉を吐いた。
そっぽを向いたまま、つんとした口調で己の意志を口にした。

「そんなに私に再婚しろって言いたいの?」
「当然だ。それが女の幸せじゃないのか?」

勘違いも甚だしいというもの―。
その言い草には、腹立たしさを感じずにはいられない綾だったが、それには気づかない振りをして、醜い感情に蓋をした。

「そう。そんなに世間が気になるわけ…」
「どうして、そんな言い方をするんだ」

娘の言い草を嗜めようとする水原だったが、彼の言葉を遮って綾が強い口調で言葉を紡ぐ。

「そんなに体裁を気にして再婚しろって言うなら、一哉がいいわ。一哉とならしてあげる」

何も取り繕ってなどいない彼女の本心だった。
娘の言葉に口をぽかんと開け、呆気にとられる父親の顔を綾は一生忘れることはないだろう。
むしろ清清しい気分だった。

2009

0125
vizard(85)
 

伊達が、山崎が怜迩を狙わせた本当の人物である堺の名を一哉から聞かされたのは全てが終了した後―堺が離婚届にサインさせられ、家から追い出された後だった。
怜迩の父である堺が何故と疑問に思わないわけがない。
しかし、彼が聞いても一哉は答えてはくれなかった。
「さぁ」と何か知っている様子なのに、惚けるだけだった。
納得いかないという意志を籠めて、一哉を見ても彼は仕方なさそうに笑うだけで決して答えはくれなかった。
それどころか、一哉は伊達にそれ以上の疑問を抱かせないようにするためにか、間を与えずに彼に命じた。
不服そうな顔を隠さない伊達の名を嗜めるように呼ぶ。

「伊達」
「…何でしょう」

声にも不満が表れてはいたが、敢えて気づかない振りをした。

「堺を見張れ。何かしてくるかもしれん」

淡々と事務的な口調で命じる一哉。
命じるだけ命じると、彼は不満ありありの様相を呈した伊達から視線を逸らした。
最後に流し見た姿は口をへの字に曲げ、眉間に皺を寄せた状態だった。
きつく結ばれた薄い唇からは、男の命令を遂行する旨の返事は出てこなかった。
一瞬、視界に止めただけの姿だったが、どこか子供が拗ねているような印象を一哉に与えるそれだった。
いつまで、待っても返ってくることのない返事に、一哉はわざとらしく呆れたようなため息を零して見せた。

「何だ?」

相手を見ることも無く、問うたその声は彼が狙った所為もあって、殊の外、険のあるように聞こえた。
それまで全身で不満だということを表していた伊達は、その声に慌てて「何でもありません。わかりました」と答えると自分を見ていない相手に一礼してその場を去った。
遠ざかる足音を耳にしながら、一哉はちらりとその後姿を確認してやれやれとばかりに少し大袈裟に肩を竦めた。

半ば、遠ざけるようにして堺の見張りを命じた一哉だったが、何も考えなしに伊達に命じているわけではなかった。
一哉が伊達に命じたことは、一哉自身危惧していることであるし、無理やり水原の家から追い出したのだ。
逆恨みをする可能性もゼロとは言い切れない。また、捨て身で暴挙に出る可能性だってある。
まだ、自分には及ばない点が見受けられつつも無能ではないと一哉は、伊達のことを判断したが故に彼にその仕事を任せたのだ。
自分がその役目をやっても良かったのかもしれないが、屋敷内は今、ごたついている。
まだ、興奮冷めやらぬ様子で落ち着かない使用人たちに、かなりの仕事を堺に任せていた水原自身はその処理に終われ、綾は綾で漸く得られた自由に浮かれていた。
一番、落ち着いていたのはまだ子供の怜迩だったかもしれない。

ふぅっともう一度、大きく嘆息を零すと一哉は綾に呼び出されていたことを思い出し、踵を返した。



綾の部屋に訪れた一哉を迎えたのは、瞳を爛々と輝かせた部屋の主だった。
分からないでもないが、少しあからさま過ぎやしないかと一哉の方が少なからず不安を覚えるほどだ。

「何?」

2人しかいない空間で、変に取り繕う必要もない。
いつものように砕けた言葉で問うと、フフフと薄っすらと笑みを浮かべながら、綾は一哉に近づいた。

「怜迩に本当のことを言おうと思うの」

いい考えでしょ?とばかりに顔を輝かせる綾とは対照的に、一哉の顔は曇った。
だが、すっかり浮かれている綾には一哉の表情の変化を掴むことはできなかったようだった。

「本当のことって…何を言う気?」

強張った声音には、流石の綾も気づいたようで、怪訝そうな顔つきで一哉の顔を見返した。

「何って…、怜迩が私と一哉の子供だってこと…」

一哉の様子に僅かに戸惑いを覚えながら綾が答える。
どこかしどろもどろになりながら、相手の様子を伺う。
彼女の言葉を耳にすると、一哉はぎゅっと瞼を閉じると長い息をゆっくりと時間をかけて吐き出した。
何かを思案しているような彼の姿を瞬きも忘れて食い入るように見つめる綾。
やがて、目をぱっと見開き、すぐに綾の両の瞳を捉える。
強い眼差しにびくっと体が反応した。

「駄目だ」
「…え」

きっと賛同してくれるに違いないと想像していた綾は、一哉の口から出てきた答えが全く自分の予想していたものとは180度異なるということに気づくまで時間を要した。
呆けたような顔で一哉を見返す。

「得策じゃない」

とだけ彼は答えた。
納得いかないのは、当然綾の方だ。

「何で?何で本当のこと言っちゃいけないの?」

すぐ側にある一哉の腕を掴んで、詰め寄る。

「怜迩は君と堺の子供ってことになっている」

興奮気味の綾とは異なり、こちらは落ち着いた様子で彼女の問いに答える。

「ええ、でも本当は…、一哉と私の子供よ」「僕のような使用人との子供なんてことが知れたら…旦那様はどう思う?」
「え…?」
「怜迩を後継者とは、認めてくれなくなると僕は思うよ。それに、君にも新しい縁談がくる」

それを否定できるだけの確固たる自信は、綾にはなかった。
まさに一哉が口にした考えたくない未来が容易に想像できた。
自然と口をついて出たのは、そうすることを未だ強要されたわけでもないのに、拒否の言葉だった。

「イヤよ…」
「だろう」

念を押すような一哉の言葉に綾は、無言のままおずおずと頷いた。

「だったら、怜迩は堺の子供ということにしておこう。そうすれば、怜迩には悪いけど怜迩が跡継ぎとして存在することになる。君も意志に反して結婚する必要もなくなる」
「それはそうだけど…」

それでも親として真実を子供に伝えておくべきではないのか―。
そう思っていた綾の耳に一哉の冷静で紛うことなき事実ではあるが、ただ薄情な感じもする言葉が綾の聴覚を刺激する。

「それに…、子供はどこで言いふらすかわからない。きちんと分別のつく大人になるまで待とう」

懸命な判断と言えば判断かもしれない。
一哉の言うことは、尤もなので綾もそれ以上何も言うことができなかった。



こうして、怜迩に彼自身の出生の秘密は語られることはなかった。
分別のつく大人になるまでと一哉は口にしたものの成人を迎えてもそれが告げられることはなく、その数年後幾重にも人を巻き込んで大騒動に発展するなどとはこの時の彼らには予想もつかなかったに違いない。



そのまま時間は経過していき、水原の屋敷が落ち着きを取り戻すまでそう時間はかからなかった。
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