忍者ブログ
更新日記と小説(18禁)とたまに嘆き. 嫌いな方・興味のない方・間違っちゃった方はバックバック

2026

0319
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2008

0722
Vizard(70)
 

時は過ぎて綾は、特に大きな問題を迎えることなく臨月を迎えた。これ以上、喜ばしいことはないだろう。
父親である水原が、初孫の誕生をすぐ側まで控え、これでもかというほどの設備の整った病院に娘の綾を入院させ、いつ産まれてきてもいいように手配したのは当然のことだろう。
最大限のできることを金という力を使って減らせる負担は軽減する。
それは、祖父として産まれてくる孫にできる最初の贈り物であり、親として娘にしてやれる労わりの形のひとつであるかもしれないが、かといって綾は父親のその行動を喜ばしく思っているかといえば、そうではないのかもしれない。
綾にとって、今すぐにでも産まれてきそうな10ヶ月もの間、腹の中で育てた―育った愛しい男の子供と、その父親でもある一哉がいれば事足りるのだ。
それだけで、満足なのだ。
もう既に形だけになってしまった夫の姿など見えなくてもいい。見えないほうがいい。
綾の身に宿った新たな命が自分が用意した男の子供だと信じて疑わない父親のいらぬお節介など余計なお世話。
姿を見せることのない堺に水原は、しかめっ面で一体何をしているんだと綾に気遣ってかそう口にする水原だったが、寧ろ父親のその姿が綾にとっては、滑稽だった。

あの日から、もとより姿を見せなくなってはいた堺だったが、更に拍車をかけたように綾と一哉の目の前に姿を表すことはなかった。
2人の目―特に、一哉から逃げるようだった。
だからと言って、綾も一哉も2人とも、矮小な男の存在など、昔から存在しなかったかのように消し去って、日々を消化していた。





落ち着かない気持ちで待っていたのは、水原だけではなかった。
忙しなく動きまわり、落ち着きのなさを見せる水原を横目で見ながら、壁に身を寄せて不動で立っていた一哉もまた、緊張と期待と不安がない交ぜになった状態で時間が過ぎるのをただ、ひたすらに待っていた。
もしかしたら、一番動揺していたのは、初孫の誕生を待つ水原ではなく、一哉だったかもしれない。
願うことは、どうか無事で―。
どちらとは言わない。望むのは、どちらの命も……。


――名乗ることはできない。
――父親として接することも適わない。
――それでも、最大限の祝福をあげよう。
――父親として……。

それが、一哉にできる唯一のことだから――

新たな産声が聞こえるのをただ、ひたすらに待っていた。
待つのがこれほど苦痛だと感じたのは、初めてだろうか。
腕に嵌められた時計を確認しては、針だけが坦々と時を刻んでいくのを改めて実感する。
まんじりともしない時間を過ごす。

苛々したように組んだ腕を人差し指が何度も叩く水原。
時計ばかりを気にする一哉。
本来ならばいるべきはずの堺の姿は、なかった。
焦燥と苛立ちの中、その瞬間を待つ男2人の耳に慌しい靴音が飛び込んでくる。
2人の視線がその靴音の持ち主に集中する。
しかし、すぐに2人は落胆した。1人は、ありありとわかるほどの落胆の表情を浮かべて、もう1人は顔にこそ出さないものの落胆の色を表す息を吐き出した。
水原と一哉の落胆の色にも気づかない男は、額に汗を浮かべ、息を切らせてどこか焦りを浮かべた表情だった。
何かあったのだろうか。
焦燥していた男は、男達の落胆に気づくことなく足早に水原に近づくと何やら耳打ちをした。
用件を伝え終えると男は、深く頭を下げた。
水原は、目の前の深く頭を垂れる男の姿と娘が入っている分娩室を何度も交互に見やった。その表情には、困惑の色が浮かんでいた。

「会長…。お願いします」

懇願する部下の声に、水原は深く目を閉じると壁に直立不動で立って控えていた一哉の側へ来ると苦悶の表情を浮かべながら、弱弱しい声で懇願した。

「トラブルが起きたから戻る…。綾と産まれてくる子供に何かあったら連絡してくれ」

後ろ髪引かれる思いなのだろう。
一哉に向かって口を開いてはいるが、その視線はずっと別の方向を気にしていた。
主人でもある水原の言葉に従僕としての立場しか持ち得ない一哉は、男の言葉に従うほかない。
もとより、そのつもりだ…。
見ていないとは、分かっていながら軽く頷いて返答する。

「わかりました」
「…頼む」

一哉の応えを聞いてから、もう一度鷹揚に頷くとくるりと一哉に背を向けた。
尊大な口調で「行くぞ」と頭を下げ続けたままだった部下の男に声をかけると病院内から姿を消した。
院内の廊下を大股に歩く2人の男の後ろ姿が徐々に小さくなっていくのを視界の端で捕らえながらも、もう一度、一哉は時計を確認した。
既に4時間が経過していた。
初産では、時間も掛かることもままあることだ。
しかし、待つ身としてはその時間は長く感じられて仕方ない時間だ。
夜間のため、己以外誰もいなくなった廊下は暗く、不気味な雰囲気を醸し出している。
分娩室の固く閉じられた扉に目を向けた一哉の瞳は、誰もいないことも手伝ってかいつになく不安気に揺れていた。



それから、間もなくのこと元気よく泣く赤ん坊の声が聞こえた時、漸く一哉は張っていた肩の力を抜くことができた。
それと同時にこれまで固く閉ざされていた扉が開き、出てきた看護師が廊下にいるはずであろう水原の姿を見つけようとしていることに気づいたので、一哉は彼女に近づいていった。

「旦那様は、急用で帰られました」
「…そうですか」
「それで…」

俄かに驚いたような顔をしつつも、彼女はすぐに頭を切り替えて、一哉の問いに答えるべく事実だけを淡々と述べ始めた。

「元気な男の子でした。お母さんも赤ちゃんも元気ですし、何も問題はありません」

月並みな言葉で告げられる。
産まれた子供の性別が男であると知り、一哉は安堵している自分に気づいた。
そして、どこまでも打算的に考えることしかできない自分に嫌気がさした。
産まれた子供が男であったのなら、綾に課せられていた次の後継を生むという責務を果たしたことになり、例え堺の不義が水原の耳に入ることになっても次に無理強いをさせられる可能性は低いと考えたからだ。

「わかりました。旦那様に連絡してきます」
「それでは。この度はおめでとうございました」

頭を下げる看護師に背を向けて、院内の公衆電話を探すため一時、その場を離れた一哉だった。
看護師から告げられた通りの言葉をそっくりそのまま電話口の向こうにいる水原に告げたときの相手の歓喜の様相は、まるで目に浮かぶようだった。
興奮した水原に対して、早々に通話を終えるとその足で一哉は、綾の病室に向かった。
戻っているかどうか不安に思いつつ、そろりと開けた扉から病室内を確認すると、室内に設置されたベッドの上に綾が横たわっていた。
疲れきったように憔悴してはいたが、どこか満ち足りた表情の彼女。
足音を極力立てないようにして近づいていったが、何か敏感になっていたのかもしれない。綾はすぐに一哉の存在に気づいた。
一哉の顔を見るなり、疲れを色濃く残す顔に笑みを浮かべた。
何か言おうとして口を開こうとした綾だったが、それよりも先に一哉が先に言葉を紡いだ。

「お疲れ様…。綾さん」
「…一哉……」

感極まったのか、綾の目尻に光るものが一哉の視界に映った。
何と声をかけていいのかわからなくなってしまった一哉は、足早に綾の側に寄ると綾のか細い少し震えた声が聴覚を刺激した。

「私…、幸せよ。一哉の子供が産めて…。名前を付けさせてあげたり、父親としてあの子と接する機会を作ってあげることはできないけど…」

一哉は、その綾の言葉に目頭が熱くなってくるのを感じた。
枕を背に体を起こし、傍らに立つ一哉を見上げる綾の頬を指先で辿る。
そして、消え入りそうな声で「ありがとう」とだけ口にした。
誰にも邪魔されない空間で、2人だけの時間を過ごす綾と一哉だった。

PR

2008

0706

Vizard (69)



上から見下ろされる鋭い刃物のような視線を感じながら堺は、掠れるような声で尚も言葉を繰り返した。

「まさか…」

震えた声。
一哉を指差す男の指は俄かに震え初めていた。
堺の震えた様子。己の状況。綾の己のシャツを掴む手。今、この場の全ての条件、要素を鑑みて堺の脳内を支配する考えが手に取るようにわかる。
それは、確実に一哉にとっても綾にとっても喜ばしいことではない。
堺の挙動不審な態度にも一哉は、目を眇めるが、だが落ち着いていた。
焦ることも何もしない。
目の前にいるこの男が何を言ってきても一哉が動じることは一つとしてないからだ。
そのために、今までの時間の浪費と苦労がある。

先に道を踏み外したのは一体誰だったのだろうか。

堺か―。
綾か―。
一哉か―。

「まさか…」
「何か?気にかかることでもあるのですか」

殊更、ゆっくりと唇を動かして、堺の不安を煽るように口にした。

「お前かっ!!貴様!おろせ」

掴みかからんばかりの勢いで一哉と彼の背後にいる綾に飛びつこうとする堺を冷静な彼は、簡単に振り払うと無様に床に尻をつく。
上から冷え冷えとした目で何も言わずに見下ろす。
一哉は肯定も否定もしなかった。

「冗談じゃないわ」

口を開いたのは、一哉の背後に隠れていた綾だった。
それは、堺の言葉を否定するものではなく、堺は綾の答えから己の危惧が現実のものであると悟る。
目をかっと見開いて掴みかかる。
それは、いとも簡単に手早く一哉によって跳ね除けられた。
己より優れた体格を有する一哉に堺が力で適わないのは、最早明白。
それは、何より堺自身が身をもって痛感している。
力で適わなければ次に出てくるのは、言葉しかない。

「こんなことが許されると…」

腹の底から捻りだすような、苦しそうな声が零れる。
目はぎらつき、立ちはだかる一哉と一哉の背後から睨みつけてくる綾をぎろりと血走ったような瞳で睨む。

「お前の父親に知れたらこんなボディーガードの1人や2人…」

ぎりぎりっと歯軋りをしながら脅しともとれる言葉を吐く堺にも、一哉は全く顔色を変えることはなかった。
それどころか――

「ご自由にどうぞ」

涼しい顔でさらりと答えた。
途端に虚を突かれたような表情になったのは、何も堺だけではなかった。
それまでぎゅっと強い力で握っていたはずのシャツが解くように手から離れていった。
一歩、後ずさるようにして距離を置き、一哉から離れる。
目を見開き、自分からは見えない表情を想像した。
口許には、冷酷な笑みが浮かんでいるのだろうか―。
その綾の想像通り、一哉の口許には涼しい笑みが湛えられ、見るものを魅了するであろうそれは、この場における堺にとって憎らしい以外の何物でもない。

喜んでいたのは自分だけで…。
きっと自分と同じように喜んでくれると思っていたのは間違いで…。
迷惑―邪魔でしかなかったのだろうか。

今は、一哉の背後に隠れて見ることの適わない綾が見ていたら、恐らくその笑みは綾に少なからず影を落としたかもしれない。
見えなかったことは幸せかもしれない。
だが、顔を見ずとも空気で分かったのか―今にも目の前に迫ってきそうな暗い、恐ろしい未来から逃れるように距離を取り、何かから守るように手で己の下腹部を覆った。
それは、考えたくない。
考えただけでも恐ろしい。
自然と部屋の出口である扉を探す。

「何?」

うろたえる一哉を想像していた堺は、己の予想もしない応えに実に愚かしいことだが、聞いた本人である自分の方が狼狽していた。
一方の、一哉と言えば憎らしいほどに余裕綽々と言った態度で酷薄な表情を浮かべているだけだった。

「お好きにと言っただけです」

同じ言葉をもう一度繰り返した後に少しの間をおく。
堺の喉の奥で飲み込まれた音がひゅっと音を立てる。
一哉は、目を眇めながら堺を見下ろしては、追い討ちをかけるようにゆっくりと口を開いた。
耳障りの良い、だが、決して穏やかではない言葉を一哉は口にした。

「恥をかくのはあなたです」

ぴくりと堺の眉尻が動き、怪訝な顔つきで一哉の顔を見上げた。
不安気に揺れ動く堺の目は、その動揺を如実に表している。
優位にたってもおかしくないという堺の手に取るように分かる動揺。それは、主導権を既に一哉に握られた証だ。

「何…?」

喉に張り付くような声は、聞くものを不快にさせる響きだ。
掠れてほとんど音をなさない声に一哉は、片眉だけを持ち上げて見せた。
薄ら笑いだけを口許に浮かべた男の姿は、堺の瞳にさぞかし不気味に映ったに違いない。
そして、男の後ろに立つ綾は、不安だけが膨らんでいくのを感じていた。

「わ、私が綾の腹の子がお前の子だと公表すれば…」
「勝手なことしないで!」

堺の言葉にいち早く反応したのは、一番に自分の立場の危うさを感じるべき一哉ではなく、綾だった。
だが、堺は綾の言葉に激昂したように声を張り上げた。
一哉は黙ったまま2人の会話を聞いていた。

「ふざけるなっ!スキャンダルも甚だしい!いいか、腹の子は堕ろせ!」
「嫌よ!!」

咄嗟に腹をかばうようにしながら、綾は甲高いヒステリックな声を張り上げた。

「お前の意志など関係あるかっ!いいか。堕ろせ!そして、お前もこの家から追い出してやるっ!こんな不祥事を起こしてただで済むと思っているのか!?」

綾に対して怒鳴りつけた勢いのまま、一哉に向かっても啖呵をきる。

「…っく」

しかし、一哉の口から零れたのは、謝罪の言葉でも、釈明の言葉でもなく、はっきりと嘲りが含まれた嘲笑と深いため息だった。
毒気を抜かれたように、感情が昂ぶっていた堺と綾は、軽く見開いた瞳で肩を揺らして笑う一哉を見た。
2人の視線を体で受け止めながら、一哉はふと浮かべていた笑みを消失させた。
そして、鋭い眼光で堺を睨みつけながら低い地を這うような声を発した。

「自分の立場、分かってるのですか?」

冷え冷えとした身も凍りそうなその声に背筋を硬直させたのは、堺だけではなかった。
綾は、一哉の身に着けているシャツを後ろから握りしめていたが、それを掴む手から冷えていくようだった。

「ご自分のされてきたことを棚にあげて、なんと身勝手な人か…」

ゆっくりと紡がれる声に堺は、はっとしたような顔になった。

「公表していただいても結構ですよ。ただし―」

さらに一段と低くなった声は、効果覿面だった。

「自分の身の破滅を覚悟しておくことだ」

びくりと綾の一哉のシャツを掴む手が震えた。
一哉もそれに気づいていたが、視線を堺から逸らすことはしなかった。

「先に不貞を働いたのは、貴方でしょうに―。すっかり忘れてお嬢様だけを責めるなど傲慢甚だしい。いいんですよ。私の手にあるあなたの浮気の数々を旦那様にお見せすれば、事は収まります。あなたの実家は没落の一途を辿るでしょうね。当然、あなたも只では済まないはずですよね?水原の当主は、甘くはありませんよ。それに引き換え、あなたは確証もなく喚きたてるだけだ。どちらが優位かは明らかでしょうに…」

理路整然と並べられる事実は、堺に現実を突きつける。
反論したくとも糸口の一つも見つからない時点で敗北は決定したに違いない。
精々できることと言えば、苦し紛れに悪態をつくことが唯一できることだった。

「くっ…。いいか覚えておけ!」
「何をでしょう?」
「いくら腹のガキがお前の子だろうが戸籍は私の子だお前は、本当の父親にはなれない。残念だったな。―この家は俺のモノだ!」

みっともない執着心を見せて声を張り上げた堺。
冷めた視線を送る。一哉と綾。
金に―水原という家に固執する男は、みっともない、矮小な男にしか見えなかったのだった。
堺は、2人の視線に気づいていたのか気づいていなかったのか。
壊れたように乾いた笑いを浮かべては、いつまでも喚き散らしていたのだった。

 

2008

0705

Vizard (68)



急いで帰ってきた男は、屋敷内でも走ってこの部屋に訪れたのだろう肩で息をしていた。
信じられないものでも見るかのように、室内のソファに腰を下ろして寛いだように座っている妻の顔を見た。
彼女は、男を睨みつけていたが、男の目が己の目と合ったとき、意識的に口角を持ち上げてにやりと笑った。
それに気づいた男の瞳がはっとさらに見開かれた。

「あなたも聞いて飛んで帰ってきてくれたのかしら?」

目は口ほどにものを言うとは、よく言ったもの。
嘲りを含んだそれに気づかないほど男は、愚鈍ではなかった。

「聞いたと思うけれど…。私、妊娠したの。3ヶ月目らしいわ」

淀みない声でされる宣言は、男からしてみれば最終宣告のようにも感じた。
男と綾の間に最低でも半年以上は、肉体的接触はなかった。
故に、綾の腹に宿った新しい命は、決して男のものではない。
そして、彼女の発言は彼女が自身の不貞を宣言する言葉。

「二人で話がしたいだろうに、わ…私はこれで」

この場において、邪魔者であろうと判断したことと先ほどの娘の言葉にショックを隠せない男は、逃げるようにぎこちない動作で娘夫婦を残して娘の部屋を去った。
父親が自室を後にする際にも、綾は気に留めた様子もなく、対峙している色を失った堺から目を離すことはしなかった。
水原が姿を消してからもしばらくは、2人とも口を開くことも身動き一つすることもなかった。
2人きりになってから数分が経過した後、先に動いたのは堺だった。
ゆらりと身を動かして一歩、また一歩と近づいていく。

「一体、どういうことだ」

間抜けな問いを一笑すると綾は堺から視線を逸らして、何もない虚空を見つめた。

「どういうことも何もないでしょ。妊娠したってだけでしょ」
「何故だ!?妊娠など」
「するわけがないって言いたいのかしら?」

男の言葉を先に奪う。
意味深に笑いながら男を見やると苛立ちを隠せない顔をして自分を見ていることに気づく。
だが、綾は笑い返した。

「だったらどうだって言うわけ?」
「誰だ!?俺とお前の間に…」

こともなげに言い返した綾に、男は声を荒げた。
掴みかからんばかりに荒立った男は、さぞかし滑稽なもののように映ったに違いない。
自分も同じことをしていたに過ぎないというのに、それを相手に許すことはできないなどとは、傲慢他ならない。

「子供なんてできるわけないわよね?そもそも、子供を作る行為そのものしてないんだもの」
「誰だっ!言え!」
「何で、言わなくちゃいけないの?」
「言えっ!!」

跳ね除けた綾の肩を掴んでがくがくと揺さぶる。
強い力に綾が悲鳴を上げる。
前後、左右問わず揺さぶられるのは、いい感覚ではない。
強すぎる力に身の危険すら感じる。堪らず、助けを求める声を上げた。
咄嗟に出た名前は、一番近くにいて欲しいものの名前。

「か…一哉っ!」
「誰だっ!誰の子だっ!!」
「一哉!一哉っ!!」

ただ、ひたすらに一哉の名を呼ぶ。

その甲高い声は、廊下の外まで響くほど大きな声だった。
東から綾に薬をと渡されていた一哉が、彼女の部屋に向かうために廊下を歩いていたところで綾の甲高い悲鳴が聞こえてきて慌てて部屋に駆け込んだ。
一哉が部屋に飛び込んだ瞬間、彼の視界に入ってきたのは、がくがくと体が揺さぶられ、男の手によって掴まれた衣服が綾の喉元を絞め、苦しげに眉根を寄せている姿だった。

「恥知らずなっ!何をしたか分かっているのかっ!よもや…私以外の男の子など冗談ではないわっ!!」

完全に自我を見失い相手を罵るだけに成り下がった男。
その姿を目にした瞬間、一哉は手にしていた盆の上に載っていた薬とグラスに入った水など気にすることなく床に落とすと、飛びつき堺を綾から引き剥がした。
グラスが床に落ち、割れる音と同時に水が零れる音がしたが、構ってなどいられなかった。

「何をしているんですかっ」
「う、うわっ!」

一哉の手によって引き剥がされた堺はバランスを崩して見事に床に尻をついた。
そんな男のことなど捨ておいて、一哉はソファに座る綾を気にした。

「大丈夫ですか?」

綾の顔を覗き込むようにして伺う。
彼女の一哉のシャツを掴む手に、力が籠められる。

「貴様!どういうつもりだっ!」

吼える男は無視をして、綾を落ち着かせるように背中をゆっくりと摩っていた。
綾は、一哉に隠れるようにして、男から逃げる。

「どういうつもりだ?ですか…」

床に尻をついたまま無様に声を張り上げるだけの堺に背を向けていた一哉だったが、相手を見ることなく低い声を発した。
そう口にした表情は、強張り、瞳は剣呑な色を宿していた。
切れそうな刃のような表情をしている一哉を彼が声を発したと同時に見上げた綾は見てしまい、息を飲んだ。

「か…一哉」

名を口にするが、ともすれば消え入りそうな弱々しい声だった。
一哉は綾には何の返事も返すことなく、ゆっくりと背後を振り返った。決して表情は和らげることはなく。
五月蝿いくらいに喚きたてていた堺は、一瞬にして押し黙った。

「どの口がそんなことを言うのか…。今、さっき何をしていましたか?」

突き刺すような声音。
冷たい視線。
ぞくりと背筋が粟立つ。
今にも人を殺めそうな凶悪な表情。

「何をしていたかと聞いてるんです」

あくまで口調は丁寧に、しかし、高圧的に――
一哉の迫力に圧倒されて言葉も出ない。指一本動かせばそのまま取って食われると思い、動くこともできなかった。
明らかに怯えの色を見せ始めた堺を見ても、一哉は表情を和らげることはしなかった。
それどころか、綾から離れると一歩、また一歩と堺に近づいていく。
堺は、本能から距離を測ろうとして、尻をすりながら後ずさるが、歩く方が早いのは当たり前だ。
すぐに目の前に一哉が来てしまい、怯える他なかった。
威厳などあったものではない間抜けとしか言い様がない姿だった。
逸らしたいのに逸らせないと蒼白な顔で上から己を見下ろす一哉を見返すばかりの堺だったが、途中ではっとしたように大きく目を見開いてみせた。

「まさか…」

喉に絡みつくような声は、震えていた―。

 

2008

0704

Vizard (67)




自分の身に起こる事実を医師の口から告げられたときは、実感が湧かなかった。
その言葉を理解したときに訪れたのは、言い様の知れない喜びだった。
それは、後からあふれ出てきて留まることを知らないようだった。
これ以上嬉しいことはない。そう―体が、神経が、それを構成する細胞全てが告げている。

自分の中にいる自分ではない確かな存在を思って、しずかに手を寄せて瞳を閉じた。
いるのだ。
自分の子宮の中に、証が…。

口々にヒトの口から零れ落ちるように自分と同じように喜びを表す言葉が紡がれる。
いつもなら表情を変えない老婆ですら滅多に見せない笑みを張り付かせているのだから、他の使用人たちの驚きも当然のこと。
見慣れないものを見て喜びよりも驚きで目を白黒させた使用人たちに「ごほん」とわざとらしい咳払いと鋭い視線で咎めると彼らは、皆慌てたように顔を逸らしたものだ。
何にせよ喜ばしいことに変わりはない。
しかし、誰よりも喜んでいるのは、新たな命を―そして、愛しい男の子供を宿した彼女自身に違いない。



それを聞いた時、彼の体に戦慄が走った。
足のつま先から天頂を走りぬける雷光。
その正体は何か―。
他の者が感じたのと同様の主の吉報を喜ぶ歓喜の衝撃か―。
それとも、地の底からせりあがってくる恐怖の予兆か―。

それでも、目にした彼女があまりに嬉しそうに笑うから、何も言えなかった――
自分の胸にあるぐちゃぐちゃとした感情を上手く言葉に載せることはできなかった。





にこやかに、雄弁にそして、流暢に話す父親の言葉を右から左へと聞き流す。
馬鹿馬鹿しいと鼻で笑いながら―。
目も合わせずにつまらなさそうな表情を隠すこともなく、ただそこに座っているだけだった。
場所が自分の部屋なれば、その自室に訪れた客である父親を置いてただ出ていくこともできまい。
出て行こうと思えば出て行けないこともなかったが、体がだるくてそんな気にはなれなかった。
聞くに堪えない話にただ聞いている振りだけを続ける。気を抜けば零れそうな欠伸をかみ殺した。

「それで、男か?女か?」

父親のその問いに綾は、彼の目に映らないように顔を背けて嫌悪の表情を浮かべた。
当然、返事も返さない。
聞いたのに何も言ってこない娘を怪訝に思った父親は、綾の前に回りこんできて、彼女の顔を覗き込むようにしてもう一度問う。

「綾?どうした?」
「いいえ、別に」

うんざりしながら綾は、また父親から顔を逸らした。
娘にそんな態度を取られた父親の顔には、深い皺を刻んだ。

「綾、聞いているのか?」
「うるさいなぁ…。もう」

つんとそっぽを向いて、頬を膨らませながら小さく不満を漏らす。子供が拗ねたような表情さながらだ。
娘の乱暴な言葉に険のある表情をした。

「男か、女かですって?そんなこと分かるとでも思ってるわけ?」

いつになく不躾な言葉遣いの綾。
苛立ちを隠せないように、父親に食ってかかる。

「性別なんてどっちでもいいわ。無事に産まれてきてさえくれれば…」

声のトーンを和らげて、愛おしむような手で己の腹部を服の上から撫でる。
その姿、眼差し、表情は母親そのもので―。
男は、娘の姿に目を瞠った。
記憶の中の断片を呼び起こされるようなその光景。
今はもういない。己が随分、昔に失くしてしまった者の姿が脳裏に浮かび、娘に重なる。
過去のものになり、消えていたはずの懐かしさと切なさを感じさせる既視感。
しかし、その姿は娘がうつむけていた顔をあげて自分を睨みつける瞳によって霧散した。

「そりゃあ、そうよね。お父様は、水原の後をついでくれる跡取りが欲しいんですものね」

皮肉たっぷりに告げられる言葉は、綾自身の恨みが籠められていた。
挑むように睨みつけ、そして口許は無理やり笑みを象るために筋肉が吊り上げられている。

「水原の後を継がせるためには、男じゃなきゃ意味がないんですものね。まぁ、たとえ女の子でもお父様ならその使い道を探してくれるかしら、どこかの企業のご子息を宛がって下さるのでしょうね。私にしたように…。水原のためなら、娘だろうがなんだろうが構わず道具として扱うくらいですから」

他者から言葉にされて始めて気がつくということは、如何に愚かしいことか―。
往々にしてそのような場合、気づいてももう手遅れであることが多い。
良かれと思って決め、強いたことに過ぎないのかもしれないが、相手に自分の意志が一字一句違わず伝わるかというと決してそのようなことはあり得ない。
寧ろ、伝わらないことがほとんどだ。
彼もまた、ご他聞に漏れず己の真意が娘に伝わっていないことを知った。
何故、自分の思いが娘に伝わっているはずだなどと思えようか。それこそ、彼女が聞いたらば、何を言いだすかと一蹴されかねない。
家のためなら、血縁者すらも相手に差し出す冷血漢と罵られたことにただ、ショックを受けるばかり。だが、恐らく彼女の言葉を否定するものは誰もいないだろう。

「お父様が大事にしているのは、水原で私の意志など関係ないのでしょう?」
「あ、綾…。そんなわけ」
「お父様が言ったんじゃない。私の役目は、あの男と結婚して、その子供を産む。忘れたとは言わせないわ。この子が男の子だったら私はその義務から解放されるのでしょう?だったら、ぜひとも男の子が産まれてきて欲しいと私も思いますわ。こんな家など守って一体なんの価値があるのかしら」

話口調こそ丁寧で、落ち着いているように見えるが、綾の頭は見た目ほど冷静ではなかった。
唇が言葉を紡げば紡いでいくほど、冷静さを欠き、常日頃溜め込んだ鬱憤を撒き散らす。
丁度、目の前にその元凶がいるのだからまだ成人を超えたはいいものの、幼さの抜けきらない彼女に抑える術などなかった。
頭で理解する前に勝手に口が動く。
突き動かしているものは、感情と嫌悪。それだけだった。
目を瞠って娘を見つめる。彼の中では、驚くばかりで上手く整理がつけられないでいた。
一体、己の目の前にいるのは誰なのか―。
娘とは思えなかった。
幼稚な我がままはいつものことだったが、それでも最終的に従順順に己の言うことを聞いていた娘とは…。

父親から顔を背け、冷たく淀んだ視線で睨みつける。
その瞳が何よりの答えだった。

―私は、あなたを許さないと…。


バンッッ―。


娘の反抗に彼が言葉を失い、呆然としていると突如として部屋の扉が激しい音を立てて開く。
突然舞い込んだ乱雑で、邪魔としか言いようのない音に室内で緊迫した空気の中にいた2人の視線がそちらへ向く。
血相を変えた男の姿。
顔は蒼白で、髪は乱れている。男の焦りが如実に現れているようだった。
見ようによっては、聞きつけて飛んで帰ってきた善き夫のように見えなくもないが、彼女は気づいていた。
決してそのような類のものではないと。
綾は、父親に向けたのと同様に男も睨みつけた。

 

2008

0703

Vizard (66)



雪に埋もれた季節から、桜舞う季節を経て新緑鮮やかな季節へと移り変わり、雨の匂い漂う季節が訪れるまで後少し時間がかかるだろう。
日に日に日中の気温も上昇していき、まだ着慣れないスーツでは動きにくい上に蒸し暑いことこの上ない。

3月に高校を卒業して他に拘束するようなものもなく、今まで義兄に任せていた仕事が全て自分に回ってくる。
自動車免許を持たない彼は、車の運転だけはすることはできないが、それ以外の職務が肩にのしかかる。
面倒と言えば面倒以外の何物でもないのだが、仕方ないと思えるくらいの余裕はある。





いつもの時間になっても彼女は現れなかった。
主である水原 綾を待っていた草壁 一哉は、姿を見せない綾に首をかしげた。
同じように送迎のために出迎えに来ていた一哉の義兄である草壁 宗司を見やったが、彼も同じく不思議に思っていたのだろう首を横に振るだけだった。

「様子を見てきます」

兄に断って、一哉は綾の部屋へと向かう。
部屋の前で立ち止まるとノックして中からの返事を待つが、応えはなかった。
返事のない扉に怪訝な顔つきになり、ドアに耳を寄せて中の様子を探る。
厚みのある木の扉の向こうからは、人が動いている気配はする。しかも複数の―。
一哉の眉間にさらに深い皺が刻まれる。
もう一度ドアをノックしてみるが、またもや返事はなかった。
返事がないことを確認したあと、遠慮がちに戸を開いて中を確認する。
一哉が部屋の扉を押して顔を部屋に覗かせた瞬間に、すぐ間近にある老婆の顔にそこに人がいることは想像してはいても、流石に皺まみれの能面のような顔に驚愕し、体のバランスを崩しながら2、3歩後退した。
一方の老婆は、全く動じた様子を見せることもなく、じっと無感情の瞳で一哉を見据えると抑揚のない少ししわがれた声で告げる。

「本日は、お嬢様はお休みいたしますので、あなた方は結構です」

一哉の横を音も立てずに美しい所作ですり抜けながら告げる。
そう言われれば、気になるのは当然のことだ。
自分の横を通りすぎる東に尋ねた。

「何かあったのですか?」
「ご気分が優れないとのことですので、お休みしていただき、お医者様に見ていただきます。ご心配なく」

東からの答えを耳にしながら、一哉は室内に目を向ける。
彼女の言葉通り気分の悪そうな様子の綾がベッドに横たわる姿が視界に入ってくる。

「無礼ですよ」

咎められるような声にはっとして開けた扉を閉じた一哉だった。
それ以上、そこに留まる理由はない。
後ろ髪引かれる思いで、一哉はその場を後にした。





重厚なテーブルの上に置かれた電話がけたたましい音をたてて鳴る。
机に置かれた書類から目を上げて、受話器を取った。
会議前のために繋ぐなと秘書に申し渡したばかりだというのにものの数分立たないうちに鳴りはじめた電話のベルに眉間に深い皺を刻んだ。
苛立たしげに舌打ちをしながら、乱暴に受話器を持ち上げると声を荒げた。
しかし、すぐに機械ごしにもたらされた情報に深くかけていた椅子から音をたてて立ち上がる。
すぐに、歓喜の声が男の口からは零れ落ちた。
受話器を置くと、落ち着かない逸る足取りで部屋を出た。

そろそろ会議の時間だと告げようと部屋の前に立った男だったが、扉が乱暴に開きいつもの穏やかな表情とは打って変わって歓喜に満ち溢れた満面の笑みで現れた義父の姿に面食らったような顔をした。
約半年前に己の浮気―過ち―己、己だけでなく生家を案ずるなら決して知られてはならない事実を彼の娘に知られてからというものの男は、義父が苦手だった。
その目が怖かった―。
自分の行動を知られているのではないか―。
無言のうちに咎められているような気がしてならないのだ。
電話を受け取った後、意気揚々と部屋を出た男は、扉を開けた先に義理の息子である男の姿を見つけて深く笑みを刻むと満足そうに大きく何度も頷いた。
労うように肩をぽんぽんと叩かれるが、男の上機嫌の理由を知らない彼は不思議そうな顔をして首を捻ることしかできない。
だが、次の言葉によって義父の上機嫌の理由を知る。

「結婚3年目にして良くやったな」
「…はい?」

何のことを言われているのか分からずに聞き返すことしかできなかった。
余程、機嫌が良いのかにこやかに笑う男は豪快に喜びを体で表し、にこやかにそして高らかに告げる。

「先ほど、連絡があったんだがね。綾が妊娠しているというじゃないか。今、3ヶ月に入ったところだそうだ」
「…!!」

驚愕と疑問符だけが頭に残る。
がんがんと頭を何かで殴られたかのような衝撃が走る。
足が床に縫いとめられたかのように動けなかった。
ご機嫌な様子の男は、婿養子である彼の変化には気づかずに揚々と彼の前から姿を消した。

「これで、産まれてくる子が男の子だったら言う事ないがね…早々に綾は休学させることにしよう。何かあってからでは遅いからな。いやぁ、しかし、なんにせよ良かった。一時はどうなることかと思ったが、これで水原も…」

とまだ先にならなければ分からないことだというのに、早くもそんなことを言いながら、今まさに歌でも歌いだしそうなほど上機嫌な様子で去っていった。
対照的なのは、立ち尽くしたまま動けない男だった。
顔は青ざめ、目はぎょろりと剥き出しになったまま、今まさに聞いた言葉を反芻してはぶるぶると身震いした。

―ありえない…。

そう、ありえないのだ。
あってはならない。



それは――
数ヶ月の後に産まれてくる子供は――
妻と呼ばれるヒトの腹の中で日々、成長しているその新しい命は――

己の子ではないのだから――

 

カレンダー
02 2026/03 04
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
フリーエリア
最新CM
[02/18 誤字報告]
[02/16 MN]
[04/14 sega]
[01/27 海]
[06/27 けー]
最新記事
(12/31)
(09/25)
(06/28)
(03/01)
(02/24)
最新TB
プロフィール
HN:
HP:
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
最古記事
(01/01)
(01/01)
(02/10)
(02/10)
(02/11)
忍者ブログ [PR]
* Template by TMP