更新日記と小説(18禁)とたまに嘆き.
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2008
Vizard (66)
雪に埋もれた季節から、桜舞う季節を経て新緑鮮やかな季節へと移り変わり、雨の匂い漂う季節が訪れるまで後少し時間がかかるだろう。
日に日に日中の気温も上昇していき、まだ着慣れないスーツでは動きにくい上に蒸し暑いことこの上ない。
3月に高校を卒業して他に拘束するようなものもなく、今まで義兄に任せていた仕事が全て自分に回ってくる。
自動車免許を持たない彼は、車の運転だけはすることはできないが、それ以外の職務が肩にのしかかる。
面倒と言えば面倒以外の何物でもないのだが、仕方ないと思えるくらいの余裕はある。
いつもの時間になっても彼女は現れなかった。
主である水原 綾を待っていた草壁 一哉は、姿を見せない綾に首をかしげた。
同じように送迎のために出迎えに来ていた一哉の義兄である草壁 宗司を見やったが、彼も同じく不思議に思っていたのだろう首を横に振るだけだった。
「様子を見てきます」
兄に断って、一哉は綾の部屋へと向かう。
部屋の前で立ち止まるとノックして中からの返事を待つが、応えはなかった。
返事のない扉に怪訝な顔つきになり、ドアに耳を寄せて中の様子を探る。
厚みのある木の扉の向こうからは、人が動いている気配はする。しかも複数の―。
一哉の眉間にさらに深い皺が刻まれる。
もう一度ドアをノックしてみるが、またもや返事はなかった。
返事がないことを確認したあと、遠慮がちに戸を開いて中を確認する。
一哉が部屋の扉を押して顔を部屋に覗かせた瞬間に、すぐ間近にある老婆の顔にそこに人がいることは想像してはいても、流石に皺まみれの能面のような顔に驚愕し、体のバランスを崩しながら2、3歩後退した。
一方の老婆は、全く動じた様子を見せることもなく、じっと無感情の瞳で一哉を見据えると抑揚のない少ししわがれた声で告げる。
「本日は、お嬢様はお休みいたしますので、あなた方は結構です」
一哉の横を音も立てずに美しい所作ですり抜けながら告げる。
そう言われれば、気になるのは当然のことだ。
自分の横を通りすぎる東に尋ねた。
「何かあったのですか?」
「ご気分が優れないとのことですので、お休みしていただき、お医者様に見ていただきます。ご心配なく」
東からの答えを耳にしながら、一哉は室内に目を向ける。
彼女の言葉通り気分の悪そうな様子の綾がベッドに横たわる姿が視界に入ってくる。
「無礼ですよ」
咎められるような声にはっとして開けた扉を閉じた一哉だった。
それ以上、そこに留まる理由はない。
後ろ髪引かれる思いで、一哉はその場を後にした。
重厚なテーブルの上に置かれた電話がけたたましい音をたてて鳴る。
机に置かれた書類から目を上げて、受話器を取った。
会議前のために繋ぐなと秘書に申し渡したばかりだというのにものの数分立たないうちに鳴りはじめた電話のベルに眉間に深い皺を刻んだ。
苛立たしげに舌打ちをしながら、乱暴に受話器を持ち上げると声を荒げた。
しかし、すぐに機械ごしにもたらされた情報に深くかけていた椅子から音をたてて立ち上がる。
すぐに、歓喜の声が男の口からは零れ落ちた。
受話器を置くと、落ち着かない逸る足取りで部屋を出た。
そろそろ会議の時間だと告げようと部屋の前に立った男だったが、扉が乱暴に開きいつもの穏やかな表情とは打って変わって歓喜に満ち溢れた満面の笑みで現れた義父の姿に面食らったような顔をした。
約半年前に己の浮気―過ち―己、己だけでなく生家を案ずるなら決して知られてはならない事実を彼の娘に知られてからというものの男は、義父が苦手だった。
その目が怖かった―。
自分の行動を知られているのではないか―。
無言のうちに咎められているような気がしてならないのだ。
電話を受け取った後、意気揚々と部屋を出た男は、扉を開けた先に義理の息子である男の姿を見つけて深く笑みを刻むと満足そうに大きく何度も頷いた。
労うように肩をぽんぽんと叩かれるが、男の上機嫌の理由を知らない彼は不思議そうな顔をして首を捻ることしかできない。
だが、次の言葉によって義父の上機嫌の理由を知る。
「結婚3年目にして良くやったな」
「…はい?」
何のことを言われているのか分からずに聞き返すことしかできなかった。
余程、機嫌が良いのかにこやかに笑う男は豪快に喜びを体で表し、にこやかにそして高らかに告げる。
「先ほど、連絡があったんだがね。綾が妊娠しているというじゃないか。今、3ヶ月に入ったところだそうだ」
「…!!」
驚愕と疑問符だけが頭に残る。
がんがんと頭を何かで殴られたかのような衝撃が走る。
足が床に縫いとめられたかのように動けなかった。
ご機嫌な様子の男は、婿養子である彼の変化には気づかずに揚々と彼の前から姿を消した。
「これで、産まれてくる子が男の子だったら言う事ないがね…早々に綾は休学させることにしよう。何かあってからでは遅いからな。いやぁ、しかし、なんにせよ良かった。一時はどうなることかと思ったが、これで水原も…」
とまだ先にならなければ分からないことだというのに、早くもそんなことを言いながら、今まさに歌でも歌いだしそうなほど上機嫌な様子で去っていった。
対照的なのは、立ち尽くしたまま動けない男だった。
顔は青ざめ、目はぎょろりと剥き出しになったまま、今まさに聞いた言葉を反芻してはぶるぶると身震いした。
―ありえない…。
そう、ありえないのだ。
あってはならない。
それは――。
数ヶ月の後に産まれてくる子供は――。
妻と呼ばれるヒトの腹の中で日々、成長しているその新しい命は――。
己の子ではないのだから――。
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