更新日記と小説(18禁)とたまに嘆き.
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2008
Vizard (68)
急いで帰ってきた男は、屋敷内でも走ってこの部屋に訪れたのだろう肩で息をしていた。
信じられないものでも見るかのように、室内のソファに腰を下ろして寛いだように座っている妻の顔を見た。
彼女は、男を睨みつけていたが、男の目が己の目と合ったとき、意識的に口角を持ち上げてにやりと笑った。
それに気づいた男の瞳がはっとさらに見開かれた。
「あなたも聞いて飛んで帰ってきてくれたのかしら?」
目は口ほどにものを言うとは、よく言ったもの。
嘲りを含んだそれに気づかないほど男は、愚鈍ではなかった。
「聞いたと思うけれど…。私、妊娠したの。3ヶ月目らしいわ」
淀みない声でされる宣言は、男からしてみれば最終宣告のようにも感じた。
男と綾の間に最低でも半年以上は、肉体的接触はなかった。
故に、綾の腹に宿った新しい命は、決して男のものではない。
そして、彼女の発言は彼女が自身の不貞を宣言する言葉。
「二人で話がしたいだろうに、わ…私はこれで」
この場において、邪魔者であろうと判断したことと先ほどの娘の言葉にショックを隠せない男は、逃げるようにぎこちない動作で娘夫婦を残して娘の部屋を去った。
父親が自室を後にする際にも、綾は気に留めた様子もなく、対峙している色を失った堺から目を離すことはしなかった。
水原が姿を消してからもしばらくは、2人とも口を開くことも身動き一つすることもなかった。
2人きりになってから数分が経過した後、先に動いたのは堺だった。
ゆらりと身を動かして一歩、また一歩と近づいていく。
「一体、どういうことだ」
間抜けな問いを一笑すると綾は堺から視線を逸らして、何もない虚空を見つめた。
「どういうことも何もないでしょ。妊娠したってだけでしょ」
「何故だ!?妊娠など」
「するわけがないって言いたいのかしら?」
男の言葉を先に奪う。
意味深に笑いながら男を見やると苛立ちを隠せない顔をして自分を見ていることに気づく。
だが、綾は笑い返した。
「だったらどうだって言うわけ?」
「誰だ!?俺とお前の間に…」
こともなげに言い返した綾に、男は声を荒げた。
掴みかからんばかりに荒立った男は、さぞかし滑稽なもののように映ったに違いない。
自分も同じことをしていたに過ぎないというのに、それを相手に許すことはできないなどとは、傲慢他ならない。
「子供なんてできるわけないわよね?そもそも、子供を作る行為そのものしてないんだもの」
「誰だっ!言え!」
「何で、言わなくちゃいけないの?」
「言えっ!!」
跳ね除けた綾の肩を掴んでがくがくと揺さぶる。
強い力に綾が悲鳴を上げる。
前後、左右問わず揺さぶられるのは、いい感覚ではない。
強すぎる力に身の危険すら感じる。堪らず、助けを求める声を上げた。
咄嗟に出た名前は、一番近くにいて欲しいものの名前。
「か…一哉っ!」
「誰だっ!誰の子だっ!!」
「一哉!一哉っ!!」
ただ、ひたすらに一哉の名を呼ぶ。
その甲高い声は、廊下の外まで響くほど大きな声だった。
東から綾に薬をと渡されていた一哉が、彼女の部屋に向かうために廊下を歩いていたところで綾の甲高い悲鳴が聞こえてきて慌てて部屋に駆け込んだ。
一哉が部屋に飛び込んだ瞬間、彼の視界に入ってきたのは、がくがくと体が揺さぶられ、男の手によって掴まれた衣服が綾の喉元を絞め、苦しげに眉根を寄せている姿だった。
「恥知らずなっ!何をしたか分かっているのかっ!よもや…私以外の男の子など冗談ではないわっ!!」
完全に自我を見失い相手を罵るだけに成り下がった男。
その姿を目にした瞬間、一哉は手にしていた盆の上に載っていた薬とグラスに入った水など気にすることなく床に落とすと、飛びつき堺を綾から引き剥がした。
グラスが床に落ち、割れる音と同時に水が零れる音がしたが、構ってなどいられなかった。
「何をしているんですかっ」
「う、うわっ!」
一哉の手によって引き剥がされた堺はバランスを崩して見事に床に尻をついた。
そんな男のことなど捨ておいて、一哉はソファに座る綾を気にした。
「大丈夫ですか?」
綾の顔を覗き込むようにして伺う。
彼女の一哉のシャツを掴む手に、力が籠められる。
「貴様!どういうつもりだっ!」
吼える男は無視をして、綾を落ち着かせるように背中をゆっくりと摩っていた。
綾は、一哉に隠れるようにして、男から逃げる。
「どういうつもりだ?ですか…」
床に尻をついたまま無様に声を張り上げるだけの堺に背を向けていた一哉だったが、相手を見ることなく低い声を発した。
そう口にした表情は、強張り、瞳は剣呑な色を宿していた。
切れそうな刃のような表情をしている一哉を彼が声を発したと同時に見上げた綾は見てしまい、息を飲んだ。
「か…一哉」
名を口にするが、ともすれば消え入りそうな弱々しい声だった。
一哉は綾には何の返事も返すことなく、ゆっくりと背後を振り返った。決して表情は和らげることはなく。
五月蝿いくらいに喚きたてていた堺は、一瞬にして押し黙った。
「どの口がそんなことを言うのか…。今、さっき何をしていましたか?」
突き刺すような声音。
冷たい視線。
ぞくりと背筋が粟立つ。
今にも人を殺めそうな凶悪な表情。
「何をしていたかと聞いてるんです」
あくまで口調は丁寧に、しかし、高圧的に――。
一哉の迫力に圧倒されて言葉も出ない。指一本動かせばそのまま取って食われると思い、動くこともできなかった。
明らかに怯えの色を見せ始めた堺を見ても、一哉は表情を和らげることはしなかった。
それどころか、綾から離れると一歩、また一歩と堺に近づいていく。
堺は、本能から距離を測ろうとして、尻をすりながら後ずさるが、歩く方が早いのは当たり前だ。
すぐに目の前に一哉が来てしまい、怯える他なかった。
威厳などあったものではない間抜けとしか言い様がない姿だった。
逸らしたいのに逸らせないと蒼白な顔で上から己を見下ろす一哉を見返すばかりの堺だったが、途中ではっとしたように大きく目を見開いてみせた。
「まさか…」
喉に絡みつくような声は、震えていた―。
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