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更新日記と小説(18禁)とたまに嘆き. 嫌いな方・興味のない方・間違っちゃった方はバックバック

2026

0322
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2008

0122

Vizard (10)




綾は目を見張った。
こんな一哉知らない。

他の兄弟とは似ても似つかない整った顔にはいつものような柔らかな表情の代わりにひどく褪めた何も感じられないまるで人形のような顔がある。
つり上がった2つの瞳だけが鈍い光を放ち綾を捉えて離さない。
一瞬吐き捨てるように鼻で笑った後ますます綾を睨み付ける双眸を鋭くした。

嘲りの色を含んだ笑いに綾は目を見開いたがすぐにかっとなり眦をつりあげて自分と対峙する2歳年下の少年を見返した。
そんな笑いを向けられたことなどなかった。
常に自分の顔色を伺う者たちばかりだった。
寧ろそんな笑いを向けるのは自分の方だった。

「こんなところで何をしてるの?」

自然と声音はきつくなる。
さっきまでは、動揺で全く舌が回らなかったというのに、今度は頭よりも先に口が動いていた。
綾とは対照的に、一哉は何も答えなかった。
表情も何一つ変わらない。
まるで、命を持たない無機物に話かけているようだった。

「何で喧嘩なんかしてるの?」

いくら綾が聞こうとも一哉は何も答えなかった。

五月蝿い女だ…。

目前で顔を吊り上げて怒る綾を見て一哉はそう思った。
答えようとしない一哉に苛立ったように綾が高い声を上げた。

「一哉っ!」
「…五月蝿えよ」

腹の底から捻りだすような声だった。
自分の名を軽々しく口にする。

綾は、その声に言葉を飲み込んだ。
さらに驚愕に目を見開き、一哉の顔を見つめる。

「邪魔すんじゃねぇよ。お前に何の関係があるんだ?俺の私生活にまで踏み込んでくるんじゃねぇ」
「な……に…」
「鬱陶しい」

喉の奥がぎゅうっと締め付けられる。
上手く音にできなかった声が、空気に擦れる。

「ったく…よりにもよってお前にばれるとは…」

ちっと舌打ちして、一哉は綾に背を向けると大通りの方ではなく暗い路地の方へと姿を消した。
綾は、去っていく背中に声をかけることも引き止めることも…、動くこともできなかった。
ただ、黙って立ち尽くすしかなかった。

一哉の姿が見えなくなってもそれは変わらず…。
1人になった途端に、心臓がどくどくと脈打ち始める。
震える手で胸を押さえてずるずるとしゃがみこむ。

自分が見たのは、一体何か…。
夢か。幻か…。

そんな筈はない。

1人の少年の影を見た――。


目をつぶって陰鬱な表情の一哉の姿を思い出す。
目を手で覆って、視界に映る一切のものを排除する。大きく吐き出した息。少しだけ緊張がほぐれる感じがした。
そして、自分が緊張していたことを悟る。

「綾さんっ!」

焦った男の声を聞いて綾は顔を上げた。
男の顔を確認して、少し驚く。

肩で息をしながら綾に近づいてくる男を綾は、その場にしゃがみこんだまま待っていた。

帰ってなかったの……?

恐らく綾が消えた後を追いかけて漸く見つけたのだというのに存外に失礼な綾の言葉。
綾の身体を支えるようにして立たせる。

「急に走りだすから吃驚しました」
「帰っててって言ったのに?」

少し声が震えている。
男は、血相を変えて綾に言い返す。

「そんなことできませんよ!さぁ、僕と帰りましょう」

という男に手を引かれて綾は、漸くその場から動くことができた。
車の運転をしながら、しきりに一体何があったのかと聞く男の問いに頑なに口を閉ざしていた綾。
自分が見たこと言われたことを男に告げるのは、簡単だった。
だが、言ってはならない気がしたのだ。

何故かと問われれば、それをきちんと答えることはできない。

綾は、己の直感に従った。





夜、ベッドに入っても当然寝れるわけもなく…。
目がぎんぎんに冴えた状態で睡魔が訪れるのを待つしかなかった。
暗闇の中で、綾の頭からは一哉の姿が離れず。
笑いながら人を殴る姿。

無理に寝ようとしても、一哉から言われた暴言ともとれる言葉が耳のすぐ傍で再生されているようだった。



『鬱陶しい』



何度も何度も繰り返し、流れていた。

綾が眠りについたのは、空が白み始めるころだった。
いつまで経っても起きてこない綾に不審に思った使用人の1人が綾を起こしにくる。

身体を揺すられて綾が身じろぐ。

「…様…。お嬢様、朝ですよ」
「…ん…ぅ」
「お嬢様。起きてください。遅刻してしまいますよ」

ぼんやりとする頭で幼い頃から屋敷にいるもう老年期に入った女の言葉を聞き、綾は身体を緩慢な動作で身体を起こした。
眠い目を擦る。

「どうなさったんですか?珍しい」
「寝れなかったの」

欠伸をしながら、大きく伸びをする。
呆れたように大きく息を吐き出しながら女は、綾を見た。

「お食事の準備は整っていますからね。早く出てきてください。直にお迎えもお見えになりますから、急いでくださいよ」
「わかってるわ」

どこか口うるさい女に適当に返事をしてベッドから足を下ろす。
綾がベッドから降りるとき、ぎしりとベッドが音を立てた。
のろのろと身体を動かして、かけられている制服を手にとった。



「おはようございます。お父様」
「今日は、遅かったんだな。宗司がもう来ているよ。早くしなさい」
「はぁい……」

と気のない返事を父親に返しながら、宗司という名前を聞いて一哉の存在を思い出す。
昨夜寝れなかった元凶。
ぴたりと止まった娘の様子に、父親は怪訝な顔つきで目を通していた経済新聞から顔を上げて綾を見た。

「どうかしたかい?」

父の不審げな声にはっとして、慌てて否定する。

「ううん。…なんでもない」
「昨日も帰る時から様子がおかしいと堺くんから聞いているが…」

否定したのに、それでも食い下がってくる父親とそして余計なことを彼に教えた男に、余計なことを…と心の中で毒づいた。

「やだぁ、堺さんのただの心配性よ。別に何でもないわ」

と笑って誤魔化す。
父親は、疑わしい視線で綾を見ていたが、ふっと相好を和らげて「そうか」と頷くともう一度続きを読むために広げた新聞に目を落とした。
漸く納得してくれた父親に、ほっと肩の力を抜いていると遠慮がちに開いた部屋の扉から宗司が顔をのぞかせる。

「お嬢様。もう、そろそろ…」
「分かったわ」

時計を気にしつつ綾を見る宗司の姿に、綾は頷くと「では、いってきます」と父親に挨拶をして宗司の後について部屋を出て行った。

宗司の運転する車の後部座席でわずかな振動を感じながら、綾はしきりに考えていた。
一哉のことを。

どう接したらいいのかわからなかった。
今までのようには、振舞えないと思った。

あまりに鮮烈な記憶を綾に残していた。
学校についたのか、車が止められると宗司が先に車を降りて綾のためにドアを開ける。
外の光が差し込んでくるのに眩しさを感じつつも一回だけ、溜息を小さく零すと車から降りた。

「おはようございます。お嬢様」

車から降りた綾を待っていたのは、一哉だった。
いつものようににこりと笑って柔らかな口調で言う。

昨夜の翳りなどどこにも感じられない。
あまりに普通すぎて、綾の方が戸惑う。
ぐっと言葉を飲み、立ち止まったまま硬直したように動けなかった。
食い入るように一哉を見ていると宗司が怪訝な顔で綾の顔を覗き込んでくる。

「お嬢様。いかがなさいましたか?」
「…あ、ううん。な、なんでもないわ」
「……そうですか。では、いってらっしゃいませ。いつものお時間にお迎えにあがります」
「おねがい」

頭を下げる宗司に向かって言うと綾は、目の前に立つ少年の顔を見据えた。
柔和な顔で笑むだけ…。

一瞬、昨日見たものは夢だったのではないかと錯覚する。

「行きましょうか?お嬢様」
「…ぇ、ええ」

言葉に詰まりながらも頷いて綾は一哉の後を追った。

 

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2008

0121

Vizard(9)




「ちょっと!綾さん、どうしたんですかっ!?」

後ろから慌てたような男の声が聞こえた。
だが、綾は、振り替えらなかった。

「やっぱり、自分で帰りますっ」

と少し大きな声で答えると走る足の速さを加速させてその場所へと向かった。
今までにない位に、走るということに力を注いだ。
それでも、もっと早く走れなかったのかという錯覚を抱いた。





往々にして、人は見誤る。
自分の力を図り間違えてくれる。
それは、自分からしてみれば好都合なことこの上ない。
丁度いいストレス発散にもなる。
一体、いつからこんなことに興じていただろうか。

見た目のひょろ長い着やせする体は、ただでさえ肉付きの薄い自分の体をさらに細くみせる。
また、記憶に残っていないがおそらく母譲りである甘い顔立ちは、その貧弱さにさらに花を添える結果となる。
その所為で、こういった手合いの輩には事欠かなかった。
夜の街を歩いていれば、自然と囲まれることが多い。
通りを行きかう人間は、明らかに己の窮地に気づいていながら決して手を差し伸べるということはしない。
傍観者に徹するのだ。
それは、いい。
それこそが人間の本質。

困っているものを見てどこかで安心するのだ。自分は幸福だと。

そのことをよく知っている。
これまで、身をもって経験してきているのだから…。



ざっと数人に回りを囲まれた時、「またか…」と一哉は思った。
それほどまでに自分の相貌は、貧弱に、カモにしやすく見えるのか…とも思う。
にやりと笑った相手の顔を即座に殴りつけてもいいのだが―。

ぐるりと視線を自分囲む男達に向ける。
人相は悪い。
そりゃあ、誰だって避けたくなるというもの。
体つきもがっしりしているのが多い。
腕に覚えがある者達かもしれないと思った。
だからと言って身構えることはしない。
もう少し、人数を増やしてもらわないとやりがいというものが全くと言っていいほどない。それでも、まぁいいかと考える。
自分に絡んできたのだ。それ相応の覚悟をしてもらおう。

少し俯けた一哉に、周りは彼が怯えているようだと勘違いしたようで、方々から嘲るような笑みがこぼれる。
下を向いたまま一哉は眦を吊り上げ、片頬の筋肉を持ち上げてわざと笑みを零した。
一哉の様子に、彼の周りを囲っていた男達が気づき、一哉が笑っているのを見て気色ばむ。

「んだぁ?てめえ」

ぐいっと大きな手で乱暴に服の襟を掴まれる。
その拍子に、体が揺さぶられるが一哉の顔色に変化はなかった。
それどころか……。

「離せ」

と言った一哉に男達が虚を突かれたような顔になった。
一瞬呆けたような顔をするが、一哉の言葉を理解するやいなや、顔を真っ赤にして怒り出す。
予想にたがわない単細胞ぶりに一哉は、笑みを深く刻んだ。

「てめえ、なめてると…」
「痛い目見るって?それは、こっちの台詞だ。バカ共。つるむしか能がないサル以下だな」

相手の自尊心を傷つけるような言葉をわざと並べてみせる。
最後に、ふっと鼻で笑ってやれば、それで終了。

伸びてきた拳を軽く手でパシッと受け止めてやると男は驚いたような顔をして一哉を見てくる。
一哉は、男の拳を手で受け止めながらも、冷静に男の力を分析していた。

何だ。この程度か…。つまらない。

そう評した。

「ここは、往来のジャマになる。場所移せよ」

と命じてやるが、当然聞く耳など持つはずも無い。
そんなこと分かっていた。

「恥を掻くのはお前らだけど」

煽るように言ってやれば、ますます頭に血を上らせた男達が掴みかかってくる。
それをひらりと交わしながら、一哉は場所を移動する。
どこで誰の目があるともわからない場所でやるのは、避けたかった。見つかれば――。

走り始めた一哉に、男達は逃げ出したと思い後を追う。
一哉は走りながら、男達が追ってくるのを確認すると小さく「バカめ」と呟いて路地に入る。
少し、大通りに近い気もしたが、まあいいだろうと及第点を与え、その場で男達が近づいてくるのを待った。
さて、今日は何分で片がつくか…。
腕に嵌められた腕時計で時間を確認しているとばたばたっという足音が聞こえてくる。
腕時計から顔を上げて、現れた男達を見ては、にやりと酷薄な笑みを浮かべた。

「覚悟はできてんだろうなぁ」
「覚悟がいるのは、お前達だろ?ごたごた言ってねぇで、とっととこいよ。面倒くせ」

顔に似合わない乱暴な言葉遣いで言うと小さく笑いながら流し目を送るようにして男達から視線を外した。
邪魔になりそうだったシャツをその場に脱ぎ捨てる。

「ガキが調子のってんじゃねぇっ!」

向かってくる男達を適当に交わしながら、偶に足を振り上げて蹴り飛ばしたり、拳を胴体にもぐりこませる。
相手の動きは決して一哉には当たらない。
一哉からしてみれば、男達の動きは止まって見えて、全てが隙だらけだった。
日ごろから鍛えられているものと鍛えられていないものの差。

それでも今日の相手は、物足りなかった。
汗ひとつかかない。
普段から、武術・体術をやらされている一哉は、稽古と称してここぞとばかりに暴力的になり、加減など知らない彼らを相手にしているだけに、強すぎたのかもしれない。
結局、見掛け倒しか…と思いながら、向かってくる相手を笑いながら交わして適度に力を加減しながら腕を振り上げたりという行為を繰り返していた一哉だったが、いい加減飽きてきたので、そろそろ切り上げるかと考えていた時だった。



「一哉っ!」

甲高いヒステリックな声がしたと思ったらぐいっと腕を引っ張られる。
そして、そのままもの凄い力で引っ張られた。
バランスを崩しながらも自分の腕を引っ張った相手を確認しようと身体の向きを変える。
引っ張られるようにして、自分の腕を引いて走る彼女の後を追う形になった。
最初、自分の腕を掴んだ相手の後姿を見たとき、目を見開いた。
今日、一番の驚きだったかもしれない。

何故、ここに…。

という疑念よりも、一哉は心の中で…。



見られた。



即座にそう思った。
後方を振り返ると何か遠吠えのようなものが聞こえたが、あの様子では追ってくることすらしないだろう。



綾は、ひたすら少年の腕を掴んだまま走った。
だから、彼の身体が硬直したことに気づかなかった。
すでに現場に向かうまでに全速力で走ったのだから、彼の腕を捕まえたときにはすでに息が上がっていたのだが、それでも丁度大通りに面した位置に立っていた少年の名前を呼び、腕を掴んで、そのまま走った。
もう既に疲れていたはずなのに、足は不思議と軽やかに動いた。
決して離すまいとぎゅっと腕を掴んだまま走った。

どれくらい走ったのだろうか。
どこに向かうのか考えもせずに走った。
自分がどの位置にいるのかもあまり把握していなかった。頭は、真っ白だった。

しかし、ぴたりと止まった相手に釣られるようにして、綾の足も止まる。
不審に思った綾が後ろを振り返るといつもとは、全く違う少年の顔があった。

その表情は、穏やかや甘さなどは一切抜け落ちていて……。



そう例えるなら、氷のような冷たく暗い表情だった。
何も写さないような冷めた視線の奥は、暗く陰湿で翳りが見える。そんな目で綾を見る。
纏うオーラも異質だった。

そんな視線、表情、全く見覚えがなかった。

いつも…。自分がどんな我侭を言ったって、無理難題を押し付けたって笑いながら従順に従っていた彼ではなかった。
自分を睨みつけることなど決してなかったのに…。
確かに彼なのに、全くの別人に見える。
こんな人物は、知らない。

身が竦む。
己を睨みつける相手の顔を食い入るように見つめながら綾は、一歩後ろに下がった。
目が逸らせなかった。

聞きたいこと、言いたいことは沢山あった。
何で喧嘩などしていたのか?
何故こんなところをうろついているのか…?
ぐるぐると頭の中でいろんな言葉が巡る。

「か…ずや、こんなところで何をしてるの?」

やっと出てきたのは、明らかにうろたえた声だった。
だが、一哉からの返事は、嘲笑のようなものだった。
彼は、一回ふんっと鼻で笑った。

綾は目を見開いて一哉を見返した。

 

2008

0120

Vizard(8)





時間は過ぎる。
時間は短くなる。

日々の過ぎて行く時は、それまで過ごしてきたときの倍の速度でかけていくようだった。
止まってと願っても止まらない。
時を止めるなどという行為は、人の力では成し得ない。
そして、それを願う人間は愚かでしかない。

限られた時間をいかに使うか。
そこに人の本質が現れるのではないだろうか…。

そう、自分のように無為に過ごしている人間が一番始末が悪いのだ…。





肩に置かれる手に何も感じない。
心臓はただ同じ速度で血液を拍出し、送り出された血液が全身をめぐる。
そこに体が踊り出すような高揚感も緊張感も何もない。
あるのは、鬱陶しいと思う心だけ。
そして、それを受け入れてこそ己の価値があるという事実を認識するだけ。

楽しそうに笑う男に何と言ったらこの男の表情が翳るのか…。
そんなことを思いながら、顔ではそれらしい表情を作ってみせる。

持てる知識を披露する男の言葉を右の耳から左の耳へと聞き流して、適当に相槌を打つ。
ほとんど、何も聞いていない。
聞く価値もない。

所詮、会社のための家のためのコマのひとつだ。



「……綾さん?」

声を掛けられて綾は、少しうつむけていた顔をあげた。

「気分でも悪い?」
「…いいえ、そんなことないわ」

綾がまだしたくないと我侭を言ったことで公表はされていないものの婚約者である堺の心配そうな声に、綾はゆるりと首を振った。
気分なら悪い。
それは、生理的なものではなく…。
心理的なものだ。

それをこの男に言ったところで何にもならないことは十分分かっている。
慣れるべきなのだ。
否、慣れなくてはいけないのだ。

ふと笑みを顔に刻んで、綾は止めていた手を動かした。





水原 綾。高校2年生の6月。
季節は梅雨から、初夏へと移り変わろうとしていた。





堺が綾を迎えに来て、夕食をと誘われた。
断る理由も見つからなかった綾は、気乗りしないまま男について夜だというのに、人工的な光で明るい繁華街へと出てきた。
高級料理店で、食事に舌鼓をうつ。
料理に関しては申し分ないほど十分満足のいくものだったが、同席した相手が気に食わなかった。
だからと言って、何も相手が悪いわけではない。
相手がこの男でなかったとしても綾は同じことを思っただろう。
相手が云々ではないのだ。
自分に待つ運命が嫌なのだ。

それでも、これが自分の一生添い遂げる相手なのだ。
添い遂げなければならない相手なのだ。
この男の子供を生むことが自分の仕事――。義務。

伏せた目で何も写さない瞳を覆い隠す。



食事を終えた後、当然もう用はないとばかりに帰ろうとする綾を男は引き止めた。

「綾さん。待ってください」
「まだ、何か?」
「送ります」

と車の鍵をちらつかせる。
別に男に送ってもらわなくとも迎えを頼めばいいだけの話なのだが…。
まぁ、いいか。これも自分の義務のうちだ…と気にせずに綾は踵を返して男のところに戻ろうとした。

だが、ふと顔を横に向けた時だった。

繁華街とは言えども一歩奥に足を踏み入れれば、薄暗い路地が広がる。
ごろつきのような人間達がうろついているときもあれば、不良たちが喧嘩にあけくれるときもある。
騒がしい声に目を向けるとやはり喧嘩だった。
何気なく目を向けた綾の視界に見覚えのある人物が目に映った。
足をぴたりと止めて、食い入るようにそちらへと向けてしまう。

見間違いだろうか。
その姿は、あまりにも自分の知る姿とはかけ離れていて…。
自分の中にあるそう古くない記憶と照らし合わせながら、綾から少し離れた位置で動き回る姿を目で追いかけた。

表情も行動も何もかもが違っていた。

「綾さん?」

遠くから数時間一緒にいた男の声がするが、綾はそんな男など振り返る気もなかった。
ひたすらに目で、自分の視界に移る姿を追いかける。

否、目を離すことができなかった。


当然、綾から返事の返ってこなかった男は、不審に思う。
いくら声をかけても返事ひとつ返ってきやしない。
それどころか、自分の声など聞こえてやいやしないのかとすら思える綾の態度だった。
少なからず男の持つプライドというものが傷つく。

婚約者の自分が…ここにいるのに。
何を見ているのだ…と。

つかつかと足音をわざとさせて綾に近寄る。
ぐいっと綾を自分の方に向かせる。
突然のことに綾は驚いたように自分の目の前に立った男を見返した。
そして、はっとする。

「…あ……」
「行きましょう」

と綾の背中に手を置きながら、綾が見ていた方向を一瞥する。
何てことない若者同士の喧嘩の風景だった。
何でこんなものを自分のかける声にも見向きもせずに見ていたのかと半ば、いらだたしい気持ちになりながら…。

「ただの喧嘩ですよ。綾さんには、関係ないことでしょう?行きましょう」

ともう一度言って、綾の背中を強く押す。
その力に流されるようにして綾の足が一歩、また一歩と前に出る。

歩き出した綾の姿を少し高い位置から見下ろした男は、満足そうに笑った。
そして、また何かを語り始めたが、綾はこの時すでに何も聞いていなかった。

綾の脳裏には、さきほど見た光景が繰り返し繰り返しビデオの映像のように流れている。
まだ幼さの残る少年の姿―。

すらりとした長身。
一瞬、軟弱そうに見えるが、それは見るものの期待を裏切るもの…。
いつものように穏やかな笑みを称えた温和な表情ではなく、鋭い眼差しで相手を見据え、口許には柔和な笑みとは180度異なる酷薄な笑み。それは、嘲笑に近いものだった。
犬歯を見せて、実に愉快そうに拳を振るう。
足を振り上げる。

何もかもが違っていた。
他人の空似かとさえ思った。

だが、彼のような秀麗な造形の持ち主がそうそう居ては堪らない。

やはり、彼なのだ。

おそらく、見間違いなどではない。





路地で複数の人間に囲まれながら喧嘩に興じていたその少年。
それは、自分の護衛を任されている草壁 一哉。その人だった。



「綾さん?」

男の言葉が引き金になった。

綾はぴたりと足を止めた。
怪訝な表情をして自分を見る相手の視線を感じた。
だが、どうでもよかった。

それ以上に気になって仕方がなかったのだ。



一哉の姿が……。





「ごめんなさいっ」

気づけば、そう言って男の前から駆け出していた。
男の呼び止める声も碌に聞いていなかった。
ひたすら足を動かし続けた綾だった。
向かった先は――。

決まってる。

 

2008

0110

Vizard(7)




遅れて一哉が屋敷の中に入ると常駐の使用人の1人が「あちらです」とある部屋を指し示した。
軽く会釈をして「ありがとうございます」と言ってから部屋に入ると遅れて入ってきた一哉を咎めるような視線が一気に自分の身に集中するのを感じた。
恥ずかしくもその雰囲気に飲まれそうになるのを一哉は、感じた。

「遅くなり、大変申し訳ありません」

頭を深く下げる。
顔をあげると綾の父親でもあり、この屋敷の主でもある男が手招きをするので、彼の近くに足を進める。
彼の向かい側には、兄と同じかそれより若いだろう男が立っている。
その横には、綾がつまらなさそうな顔をして立っていた。
それだけで、一哉は、自分が今日屋敷に呼ばれた理由が何であるか何となくわかった。

「この子ですよ。ご安心いただけたかな?」
「草壁と申します。よろしくお願い致します」

主の言葉の後、一哉が名前を名乗ると男は尊大な態度でふんと鼻息を荒く噴出した。

なるほど…。
権力の上に胡坐を掻くようなタイプか……。

と一哉は即座に男を判断した。
そして、次に来る台詞も容易に想像できた。

「大事な婚約者をこんな貧弱な子どもに任せられるものですか」
「そう仰らずに、一通りの武道は仕込まれているし、若いとは言え、草壁の出身だから、その点に関しては充分かと私は思って彼を綾に付けたんだが…」
「ですが…」

婚約者の父親に諌められて勢いはなくしたものの、まだ言い足りない様子だった。
この調子だと一哉が問題なのではない。
どうしても、綾を男のいない女子高に放りこみたいというところか。あるいは、結婚の時期を早めたいというところか…。
恐らく後者だろうと一哉は男の様子から悟った。

馬鹿馬鹿しい。

一哉は、伏せた瞳の奥で侮蔑の眼差しを男に向けた。
その後も、何だかんだで難癖をつけていた男だったが、最終的に宥められるようにして納得したようだった。
それでも不満だったのか、帰り際に一哉の横を通りすぎるときに低い声で脅していった。

「綾さんにもしものことがあったら、僕がお前を殺してやる」

一哉は、男の言葉を聞かされた時、鼻で笑いそうになるのを堪えた。

できもしないのに…よく言う。

去って行く男に向かって頭を下げながら、床に向けた顔は笑っていた。
恐らく男が一哉が影で笑っていると知ろうものなら怒り狂ったかもしれない。
幸いにも男は、気づかぬまま去っていった。




授業が延長したために、少し遅れて一哉が自分の在籍する中等部の校舎から、綾のいる高等部の校舎に向かう。
綾のいるだろう―否、休み時間になるとどこかへと姿を消す彼女のことだから、いることは滅多にないのだが…その教室に向かう。

今日は、珍しく教室にいた。
というよりも一哉を待っていたようだった。

「遅いわよ」

一哉の姿を見つけるなり、駆け寄ってきて開口一番に言う。

「申し訳ありません。…ですが、よろしいのですか?」
「何が?」
「いつもなら…」

男とどこかへ消えるだろう?という言葉は濁した。
すると綾は何でもないことのように頷く。

「別にいいのよ。ただの暇つぶしだから…それより、昨日のこと謝りたくて」
「昨日のこと?」

首を傾げながら聞き返した一哉に綾は大きく頷いた。
別に今、言わなくていいだろうと思ったことは口には出さなかった。
余計なことを言うと身を滅ぼす結果になりかねない。
一番の得策は、口を噤んでにこにこ笑っていればいい。

だから、この時も一哉はそうしていた。
綾の言う昨日のことというのが、何なのか…。

「ごめんなさい。堺さんが変なこと言って」

と綾が語りだした途端に、そっちか…と一哉は思った。
落胆に近かったと言ってもいい。
そんなこと別に謝ることではないだろう。

寧ろ、謝って欲しかったのはずかずかと土足で自分の過去に入りこんできたこと―。
だが、このお嬢様は気づかないようだった。
まぁ、気づくはずもないだろうとは思っていたが…。

「いいえ。堺様のご心配は尤もですから。気にしておりません」
「何もあんなこと言う必要ないわよね」

婚約者である綾にこんな風に言われていたのなら男も報われないな…と思いつつ綾を見やる。
不満そうに頬を膨らませている。
一哉は、適当に相槌を打ちながら、綾の言葉を聞き流していた。
聞くに値しないと思ったから――。

ただ、彼女は満足したようで。
妙にすっきりとした顔で、「もうすぐ授業始まるから帰ったら?」と言われたので、一哉も頷きその場を後にした。
教室に入っていく彼女の姿を確認した後、廊下を歩いていると一哉は、急に手を引っ張られ、人のいない静かな教室内に連れ込まれる。
誰だ?と思って顔を向けると……。

そこに居たのは、綾の友人と認識している女子生徒だった。
彼女は、一哉と目が合うと薄く笑いかけて、一哉に口付けを落とす。
黙ったまま、一哉はそれを受け入れる。

「どうしたんですか?」
「今日の帰り。一緒に帰りましょ」
「…お嬢様をお送りした後でよければ…」
「いいわ。待ってる」

とだけ言うと教室を飛び出していった。
誰もいなくなった教室で、一哉はふんと軽く鼻で笑った。


それからは、特にこれと言ったこともなく時間だけが過ぎていった。
綾は、相変わらず我侭三昧。
一哉は、綾の我侭を嫌な顔一つせず、受け入れる。
学校にいる間だけの、守られるものと守るもの。
一歩外に出たら一切の干渉はしない。
偶に、綾の婚約者である堺から嫌味のようなものを言われたところで、一哉は全く堪える様子もない。
ただ日々が過ぎていく。

2人が出会った秋から冬へ。
そして冬から春へ…。

綾は、二年生に進級し、一哉も同じように3年生に進級。

時が経てばそれだけ、綾の自由な時間も着実に減っていった。
残り2年弱。

春から初夏へと季節は、変わろうとしていた…。

 

2008

0109

Vizard (6)




「お帰りなさいませ。お嬢様」
「ええ。ありがとう」

がちゃりと開けられたドアから、吸い込まれるようにして綾が車の中に乗り込む。
いつもと同じように綾を兄に引き渡して、自分の仕事は終わりだった。
車に乗り込む綾を見届けていると兄の冷たい視線が己へとむくのを一哉は感じた。
兄と同じ土俵で戦ってはいけない。
一哉は、兄の視線を身体で受け止めながら、兄とは対照的に誰に対しても同じように向けるような柔らかな表情で兄を見返した。
彼は、綾が車内に乗り込んだのを確認するとドアを閉めながら吐き捨てるように言う。

「何をしている。この鈍間。さっさと乗れ」

理不尽にもほどがある。
いつもならば、綾は兄が車で家まで連れ帰る。
一哉は、彼らを見送った後、ここから家まで公共の交通機関を乗り継いで帰ることになっていた。
今日は、何も聞かされていなかったので一哉は、いつものように車が出るのを待っていたに過ぎないのだが…。
一哉が忘れていただけかというそうでない。
一度言われたことは、決して忘れない。
初めから言われていなかっただけのことだ。
だが、こんな理不尽な扱いなどとうに慣れきってそこにやりきれなさや腹立たしさを感じるというような神経はとうに消えていた。
いつものようににっこりと笑って謝る。

「申し訳ありません」

すると何を言われても顔色を変えることのない弟に兄は気持ち悪いものでも見るかのような視線を送りつけ、ふんっと大袈裟な動きで運転席に乗り込む。
一哉は、助手席側まで回ると車に乗り込み、シートベルトを着用した。

「何かあったの?」
「いえ、大したことではありません」

通常、決して同乗することのない一哉の姿に綾が尋ねたが、宗司がそう答えるともう聞いてこなかった。
何があるのか…と少しの不安感を覚えながらも兄がハンドルを操作する横でただ流れていく景色を眺めていた。
車の中は、無言の空間だった。
兄と弟の間にあるのは、ぎすぎすとした妙な空気。
それを綾は、じっと後部座席から伺うように見ていた。



水原の屋敷に着くと車を置いてくるという兄の代わりに綾に付き添って屋敷の中に入る。
これで2度目だった。
以前、父に連れられて綾と引き合わされたとき以来か…。
玄関までも道に敷き詰められている砂利を踏みしめながら思い出していると、横を歩いていた綾から急に声を掛けられる。

「ねぇ」

この場にいるのは、綾と自分しかいない。
一哉は、それが己に向けられたものだと悟ると顔を綾に向けた。

「何でしょうか」
「ねぇ…どうして、一哉の名前って一ていう文字がつくの?」

突拍子もない、脈絡もない綾の疑問の声に、一哉は一瞬虚を突かれたように相手を見返すことしかできなかった。
何故と言われても、入っているからついているだけだ…。
答えようもない。
彼女の意図していることがわからなかった。
すると、さらに……。

「だって、一哉って4番目でしょ?おかしいじゃない」

そういうことかと一哉は、そこで納得する。

「それに、他の3人とは年も離れているし…顔も似てないし……本当に草壁の人間?」

ついに来たかと一哉は思った。
顔にこそ出さないが、胸の中では、盛大に舌打ちをした。

「草壁の人間でなかったら、お嬢様をお守りすることはできませんよ。正真正銘、父とは血が繋がっています」

柔らかな口調で答えたからか、さらに相手は踏み込んでくる。
こういう態度は、一哉の最も厭うものだった。
相手の痛みがわからないこそ人の奥底まで平気で踏み込んでくるのだ。入ってきて欲しくないところまで…。

「じゃあ、何で名前に…一ってつくの?」
「今、お答えしたとおりです。父とは、血が繋がっています」

笑みを張り付かせて答える一哉の表情からは、決して彼女の問いに不快感を感じているなどとは、到底見えないだろう。
しかし、目の前の人物を殴りつけたいくらいには、不快感を感じていた。
それを感じ取らせるような子どもっぽさは見せないが…。

一哉の答えに漸く理解したのか、綾は目を見開いた。

「母とは血が繋がっていません。要は、妾の子という奴です。今の家には、実の母親が亡くなってから引き取られました。4歳のときです」

くすりと笑いながら答える一哉。
綾が何と答えて良いか分からずにいると、背後から叱責の声が飛んでくる。

「何をこんなところでぐずぐずしている。お前は、碌にお嬢様をお連れすることもできないか?」
「宗司。待って」

車を置いて戻ってきたのだろう一哉を睨みつけて言う宗司の厳しい姿に、綾が自分の所為だと言おうとしたのだが、それを遮って一哉が頭を下げた。

「申し訳ありません」
「違うの」
「さぁ、お嬢様行きましょう」

綾の言葉など聞かずに宗司は、彼女の肩を押して屋敷の中に入らせようとする。
頭を下げる一哉を置いて―。
綾は、強引な力で宗司に押されながらも首を動かして、自分より幼いはずの妙に大人びた少年を振り返ろうとした。
合点がいった―。
彼に対する兄弟たちの妙な雰囲気も…。
全てが……。

屋敷の中に入っていったのを確認した後、一哉は顔を上げた。
そして、己も用があるからここへ呼ばれたのだろうと理解していたので、遅れて屋敷の中へと入っていく。
その顔は、暗く険のある顔つきだった。
決して、誰もが見たことないような……。

チッと小さく舌打ちをしたが、その音は誰の耳にも入ることはなかった。
主君の屋敷である水原の家に足を踏み入れるころには、その顔つきは消失し、いつもの穏やかなソフトな顔つきに戻っていた。




それは、彼の―草壁 一哉という人間の仮面だった。
10年という時を経て培われてきた分厚い仮面……。
決して剥がれない。破れない。強力な仮面。



それを彼が、剥がすのは、1人になったときだけだろう。

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