Vizard (26)
更新日記と小説(18禁)とたまに嘆き.
嫌いな方・興味のない方・間違っちゃった方はバックバック
2008
Vizard (27)
仕方なさそうに笑う顔が好きだ。
同じくらいの身長だったはずなのに、いつの間にか頭一つ自分より大きくなって、それに追随するように体つきもしっかりとしてもう大人の男を匂わせる。
意地悪を言っては、自分が困る姿を見ている相手に嫌な感情ひとつ抱かない。
あまりに愉しそうな顔をしているから…。
時折、見せる悲しげな瞳の理由を知りたいと思う。
学校という狭い空間の中でしか、一緒にいることはできないけれど…。
自分を取り囲む環境がそれを許してくれないけど…。
このまま時が止まれば……。
などと夢物語のようなことを何度考えたか。
しかし、いくら考えたところで不毛だ。
あの日から、彼が自分を見る瞳にそれまでは明らかに見せていた嫌悪の色は消えたけれど、宣言通り彼が自分を好きになることはないだろうから。
自分が思うように相手は返してはくれない。
しかし、捨て置かれるよりはマシではないだろうかと思う。
苦しさは膨れ上がっていく一方だが…。
頼めば、キスはしてくれる。
頼まなくてもしてくれるようにはなった。
以前に、自分以外にも彼に触れた女がいると思うと嫉妬で気が狂いそうだ。
もっと深いつながりがあったかと思うと良家の子女にあるまじきことだが、自分にもと言ってせがみたくなる。
しかし、それはいくら頼んだところでしてはくれないだろうと綾は分かっていた。
自分に触れた後に伏せられた顔を見ていればわかることだ―。
時がくれば……。
終わる。
近づけば近づくほど、遠くに感じるのは何故か。
いずれ離れなければならないということが分かっているからか―。
時など止まってしまえばいいのに。
そんなくだらないことばかりを考えていた所為だろうか…。
この状況は。
時が止まってしまえばいいなんて馬鹿なことをずっと考えていたからか。
確かにそのまま押し当てられているものを突きつけられれば自分の時は間違いなく止まる。
それでもいいかと思えてしまうのだから…。
好まない相手との結婚などせずに死ねるのだから……。
「私を殺すの?」
自由になる口で問うた声は、落ち着いていた。
自分で自分の冷静な声を耳にして笑いそうになる。
しかし、答えはなかった。
自分の喉元に押し当てられた鋭利な刃物が一度、動揺に揺れただけだった。
年の瀬も迫った12月。
いつもと同じように一哉から一哉の兄である宗司へと自分の身体は引き渡されて帰りの車に乗っていた。
もっと一緒にいたいと言った綾に、一哉は困ったように笑いながら「我侭言うな」と一蹴して綾を兄が待つところへと連れていった。
兄の視界に入るまでは、手を握ってくれていた。
大きくて。冷たい手。
この手がずっと自分を放さないでいてくれればいいのに…。
ぎゅっと力を入れて握り返した綾に気づかないはずはないが、一哉は知らない顔をして先を歩き、宗司を視界の遠くに捉えるとぱっと手を離した。
宗司に促がされるままに車に乗った。
車の外で立ったまま見送る一哉の顔をじっと見つめる。
何の感情も読み取れない表情で彼は自分を見つめていた。
そのまま加速して走り出した車は、いつもと同じルートを辿って屋敷へと帰れるはずだった。
しかし、その日はイレギュラーだった。
白昼堂々と行われた誘拐劇。
狙われたのは、国内有数の企業の社長の娘。
目的は、金と欲望。
犯人は――。
彼女を守るはずの男は、暴漢の手によって傷を負い、気絶させられていた。
自分1人で十分だという自負が誤りだった。
そして、相手はきっと調べつくしていたに違いない。
彼女達の車が信号で停止しているときに起こった出来事だった。
いとも簡単に彼女は、連れ去られた。
突然の出来事の所為もあってか、彼女は暴れることもしなかった。
ただ小さくここには、居ない人物の名を呼んだ。
「一哉」
と。
複数の覆面を被った黒尽くめの男達の手によって汚いバンに載せられて目隠しをされる。
手を拘束され、騒ぐなと一言低い声で言われる。
騒いだところで何もならないということは冷静な頭で判断できていたので、何も言わなかった。
物分りよく、頷くだけだった。
どこにつれていかれるのかと思えば、ホテルだった。
清掃員の格好をした男達によってホテルの一室に運ばれた。
目隠しをされたままだったので、はっきりとは分からないが、聞こえてきた会話から判断すると自分を攫った男達は、雇われた人間だったようだ。
ここで引き渡されて、今は別の人間が綾の傍で見張っていた。
それは、気配でわかった。
暗闇の世界で思った。
男が脅迫の電話をかけているのをどこか遠い世界でただ今の状況を見ているような錯覚に陥りながら聞いていた。
喉元に押し当てられたナイフのような鋭利な刃物も別に怖くなかった。
すぐ傍に、死の臭いを感じながらも―。
冷静な証拠に他人のことを考える余裕もあった。
恐らく父は、慌てているに違いないと。
そして、婚約者だとでかい面をしているあの好まない男も…。
きっと周りに当たり散らしているに違いない。
気絶させられた宗司は無事だろうか…。
そして、最後に彼を想った。
一哉を…。
このことは既に彼の耳に届いているだろうか。
心配を…。
少しでもいい。自分の身を案じてくれているだろうか。
そう考えて、下らない期待をするのは止めようと思った綾だった。
自分など彼を困らせるだけの存在だ。
だから、寧ろこのままいなくなってしまえば清々するに違いない――。
それでも、こう思ってしまうのだ。
自分がここで死ねば少しでも彼の記憶に長く留まることができるだろうかと。
それとも、いなくなった者のことなど綺麗さっぱり忘れてしまうだろうか。
我ながら馬鹿馬鹿しい考えだ。
でも、どんな形でもいい。彼の記憶にずっと消えない自分の姿があればいいと思う。そうどんな形でも。
どれだけ醜悪でみっともなくとも。
自分という存在が、彼の中に残ればいいのだ。
屈折した想い。
一哉からしてみれば、いい迷惑にしかならないかもしれない。いや、きっとそうだろう。
それに、ここで物言わぬ体となれたらきっと自分は幸せなまま逝けると思うから――。
望まぬ相手との結婚もしなくて済む。
ここ数ヶ月の自分にとって幸福な時間だけを抱いていけるのなら、本望だ。
最期まで、自分のことしか考えていない自分にほとほと嫌気が差してくる。
自嘲気味に口許を歪めた綾に、同じ室内に居た男達が眉をひそめた。
一段と強く刃物が押し当てられる。
動揺などしなかった。
「このまま、殺してくれる?」
少しでもいい。
あなたは、私の身を案じてくれる?
ほんのこれっぽちっでもいいの。
それさえあれば、心置きなく死ねるから……。
そして、解放してあげられるから―。
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2008
満足だった。
幸せだった。
この時間があれば、他に何もいらなかった。
欲しいのは、この時間が永遠に続くこと――。
しかし、それは叶うことのない夢のまた夢。
季節は、すでに夏を過ぎ、秋へと移り変わっていた。
既に手馴れたもので、傷を作ることはなくなった。
これまで、料理などしたことのなかった綾が、屋敷の厨房に足を踏み入れるだけでなく、「お料理教えて欲しいのだけど…」と口にしたときは、流石に長年この屋敷に勤めてきた家政婦ですら驚きを隠せなかった。
少し顔を赤らめて照れたように言う少女の顔を失礼だと分かっていてもまじまじと見つめてしまった。
それもだいぶと前のことだ。
それからというものの、暇を見つけてはこうして厨房に足しげく顔を出すようになった彼女は、今ではすっかり手馴れたものだった。
何を想像しているのか。嬉しそうに笑みながら、それを少し大きめのお弁当箱につめる姿は、恋する女の子さながらだった。
「一体誰に?」というような無粋な質問は長年努める老女は問わなかった。
彼女の将来が家によって潰されることを憂いて――。
今は好きにさせてあげることがいいのだと……。
それを受け取る彼女の指から絆創膏が消えたのは、何時の頃か。
最初見たときには、一体何があったのかと驚いたものだ。
そして、突き出されるものを受け取る次いでに傷だらけになった手を掴みあげた自分を驚いた表情で見つめた彼女の顔は忘れない。
問えば、顔を赤らめた後、逸らした。
意外にも古風な女だと思った。
同時にこれがいつまで続くかと内心では、鼻で笑っていたものだ。
その日以来、止むことはない習慣。有に1年近く経過しようとしていた。
これを兄が知れば、どうなることかと思いつつも頭から邪魔な存在を追い払った。
己の主が己が馬鹿にしている自分に甲斐甲斐しく毎朝、早起きして弁当を渡してくるのだから―。それはそれで面白い。
こんな茶番、すぐに飽きると思っていた。
どうせ一時の我侭に違いないと…。
それがどうだ?
もうすぐで1年が経過しようとしている。
綾は、3年に進級し、最後の年を迎えている。
そして、一哉は高等部に進学した。
身長もぐっと伸び、体つきもひょろひょろで頼りなかったはずの体つきが徐々にしっかりとしたものに変貌を遂げようとしていた。
母譲りの秀麗な顔つきとあいまって、見た目にも魅力的な青年だ。
主に向かって我侭に付き合ってやると言った自分に主である彼女は喜んでいた。
かといって、大々的にその様を見せることはまずいと一哉だけでなく綾自身が分かっていた。
だから、彼らがそうすることができるのは、誰の目もつかない学校という狭い空間だけだった。
この場には、煩わしい兄達もいない。
矢鱈と口を挟もうとする婚約者もいない。
この場だけが、綾にとって至上の場所であり、一哉にとっては戸惑いの空間と言ってもよかった。
学校という場所故に、下手なことはできない。
もとより、終わりが見えているのだ。
綾はともかく茶番程度にしか思っていない一哉は、彼女に触れるつもりもなかったし、彼女のしたいことに付き合うだけのつもりだったのだ。
せがまれてキスはした。
しかし、それ以上はしていない。
彼女と一緒にいる時間が増えて、知ったのは面白いくらいに大人しい姿だ。
もっと我侭で尊大な態度でも取るかと思えば―そうであったのなら一哉も付き合いやすかったに違いないのだが―全くそんなことはなく。一哉からしてみれば、出鼻をくじかれたような感じに陥った。
だったら、こちらが振り回してやればいいと振り回している一哉でもあった。
そうすることで、相手が付き合いきれないと自分を見限ればいいのだ。
しかし、現実は思ったより上手くはいかなかった。
綾の自分を見る目は、変わらなかった。
ちらりと横目で綾を見ると不思議そうな瞳で自分を見返してくる。
太くなった腕を伸ばして、今では自分より小さくなり丁度いい位置にある彼女の後頭部を大きな手の平で引き寄せると躊躇いもなく唇を重ね合わせる。
触れるだけで顔を離した後、綾を見返すと目をぱちぱちとさせていたが、やがて頭が理解できたのだろう。
顔が紅潮しはじめる。
くっと鼻で笑う一哉に綾が上目遣いに少し吊り上げた瞳で見返した。否、睨み返したといったところか。
「こんなもんで赤くなって。やっぱガキだな」
片頬を吊り上げて、少し低くなった声で言う一哉は、男くささを増していて心臓に悪い。
顔を手で押さえながら睨み返すが、威力は全くなかった。
「こんなところでしないでよ」
少し頬を膨らませて言う彼女の姿は子供っぽい。
「今更だろ」
「もうっ」
と怒ったような口調をしてみせるもののそれは、どこか嬉しそうだった。
そんな表情を見せられると居た堪れない気持ちになる。
不自然さを悟られないように視線を外す一哉だった。
何故に自分がこんな思いをしなければならないのだ。
間違えるな。
自分は、ただお遊びに付き合っているだけだ。
最後の遊びに。
いつもの女達に接するのと同じでいい。
良いはずなのだ。
罪悪感も感じる必要はない。否、感じる必要などない。そんなものであるはずがないのだ。
では、この感情はなんだ?
この言葉に出来ない気持ち悪さは…。
最初に言ったじゃないか。
絶対に好きになどならないと――。
だから、違う。
絶対に違う。
これは、そんな感情じゃない。
そんな甘いものじゃない。
超がつくほどの我侭で尊大だった彼女があまりに、自分に見せる姿が一途で…。
だから、こんな変な感じがするだけなのだ。
絶対に違う。
これは、違う。
違うのだ。
彼女は、自分にとって――。
2008
Vizard (25)
肉親と呼べるものはただ1人だった。
綺麗な母親。
とても子供なんて産んでいるようには、見えなかった。
子供ながらに、自慢だった。
父親がいないことは、別に何も思わなかった。
どうしてお父さんがいないのと言って困らせるような子供でもなかった。
そういうものだと受け入れていた。
親類と呼べるものはいなかった。
寂しいとは思わなかった。
同じ保育園に通う友達が自慢げに彼らの祖父母の話をしたところで、何も思わなかった。
自分には、綺麗で若い母親がいた。
自分へと向けられる母の愛情が深かったというのも気にならなかった理由のひとつかもしれない。
母さえいれば他に何もいらなかった。
彼女さえいてくれれば―。
それは、彼女も同じだったようで…。
彼女に良く似た自分が笑うだけで、彼女も嬉しそうに目尻に皺を刻む。
若い女が1人で幼児を抱えて生活をするのは、並大抵の苦労では語れない。
少しでも実入りのいい仕事をと探していくうちに、夜の仕事に彼女は身を落とした。
自分が眠った後、家を出て、起きる頃に帰ってくる。
寂しいとはいわなかった。
自分がそう言えば、彼女が困るということは分かっていたから。
大好きな母を困らせることはしたくなかった。
悲しみに歪む瞳は、見たくなかった。
母譲りの愛らしい容姿に年にそぐわない聡明さを兼ね備えた幼児だった。
草壁―否、上田 一哉は……。
それでも、休みの日に自分の傍に居てくれる母親に一哉は、普段甘えられない分、その穴を埋めるように存分に甘えたものだった。
疲れているだろうに、彼女は嫌な顔ひとつ浮べることなく、一哉のしたいようにさせてくれた。
自分にも父親がいると知ったのは、何時だったか―。
それは、彼女が亡くなる少し前のことだった。
まるで、彼女が自分がもう少しでこの世からいなくなると悟ったようだったと後から思ったことは数度のことではない。
最初聞かされたとき、自分にも父と呼べる存在がいるのだと不思議に思ったものだった。
ずっと母と2人だったが故に、妙な違和感しか一哉には与えなかった。
嬉しいとも何とも思わなかった。自分には母さえいればそれで満足だったのだから…。
きょとんとした顔で自分を見る息子に、眉根を寄せ、眉尻を下げて、困ったように笑う母の姿が印象的だったことを覚えている。
そして、小さな声で「ごめんね」と謝られたこと。
そのごめんねが何を意味しているのか一哉にはわからなかった。
そして、彼女はそれから幾許も経たないうちにこの世を去った。
動かなくなった彼女は、まるで別物のようで怖かった。
自分が笑っても笑ってくれない。
青白い冷たいモノがそこにあるだけだった。
自分が状況を理解する前に、大人たちの手によって彼女の姿は悲しくも骨だけになった。
それが、母だといわれても一哉には理解できるはずもなかった。
ただ、理解できたのは、自分に向けられる笑みはこの先、一生見ることが適わないということだけだった。
5歳を迎えるまで後、数日という日だった。
母を呼んでも返事はない。
近所の大人が収入の少ない母が一哉のためにと少しずつ蓄えていた金で小さな位牌と遺影だけがひっそりと置かれていた。
写真の中の彼女は、笑ってはいても一哉を見てくれるわけではない。
寂しさは、感じたものの涙は出なかった。
ぽっかりと穴の開いたような喪失感だけがあった。
育てる者のいなくなった一哉の身を周囲の大人が案じる前に1人の男が表れた。
一哉は、男を見ても顔色ひとつ変えなかった。
「私は、君の父親だ」
と口を開いた男に、一哉は父親って何だっけというくらいにしか思わなかった。
しばらくして、母が生前話してくれた存在だと思い出しても、別に驚きもしなかった。
表れた父と名乗る男の手に引かれるまま、一哉は母と過ごしたぼろいアパートを出た。
母の位牌と遺影だけを持って。
しかし、直ぐにそれらは捨てられた。
新しく出来た家族と呼ばれる者たちの手によって――。
父に連れられて到着したのは、今まで住んでいたところとは全く異なる大きな豪華な佇まいの家。
背を押されて入るように促がされ、小さな幼児は足を踏み入れた。
待っていたのは、母とは全く違う化粧の濃い、醜悪なまでに歪めた顔で見る女の姿と自分よりずっと大きい幼児の一哉からしたら、十分大人に見える兄と呼ばれる存在たちだった。皆一様に、女と同じ瞳で一哉を見ていた。
歓迎されてなどいないことは分かった。
母は、妾だったのだ。
当時は、言葉こそ知らなかったが、母が彼らにとってどんな存在だったのか悟った。
「体裁が悪いったらないわ」
開口一番に彼女は言った。
「…」
女の言葉に、父は何も言わなかった。
「大きくなって金銭目的で強請られても困るから、引き取っただけよ。水原に迷惑をかけるようなことだけはあってはいけませんからね。草壁の名に傷がつくわ」
こんな幼児に大人の何がわかろうというのか。
そんなもの女には関係なかったようだ。
「手元に置いて飼い殺しにする方がずっとかマシだから、引き取ってあげただけよ。感謝しなさい」
と母を失って悲しみにくれている筈の幼児に向かって高々に宣言した。
ぎゅっと手にした母の遺影を抱きしめる。
彼女はあろうことか、一哉の小さな腕からそれを乱暴な手付きで取り上げると床に叩き付けた。
ガラスの割れる音がする。
小さく声をあげてそれを拾おうとする一哉に対して容赦なく一哉の頬を肉厚な手で叩いた。
小さな体が床に叩きつけられる。
叩かれた熱が発生すると同時に、一哉の耳にくすくすと笑う男達の声が聞こえてくる。
「弥一。燃やしなさい」
「はいはい」
あっと思ったときには遅かった。
一哉の目の前で薄く笑う美しい、自慢の母は灰となった。
位牌は、他の少年によってゴミ箱へと捨てられた。
それを見ては高らかに笑うもう1人の少年。
泣きはしなかった。
ただ、目の前の女をにらみつけた。
それが気に入らなかったのか。燃えていく写真を満足げな笑みを浮かべながら見ていた女は一哉の視線に気づいた女は、もう一度手を振り上げた。
「あの泥棒猫に良く似たこと。その恩知らずなところも!誰も引き取り手のいなくなったあんたを引き取ってあげた私に感謝したらどうなのっ!礼のひとつくらい言ってみせなさいっ」
その口で飼い殺しと言った癖にそんなことを言う女の矛盾に幼いながら一哉は気づいていた。
聡明すぎたのだ。
そこに居た誰よりも。
そして、父親は何も言わずにその場にいただけだった。
ここには助けてくれる者は誰もいない。
母のように笑いかけてくれる人はいない。
いるのは、敵だ。
「あんな女、死んで当然よ。いい気味!天罰だわっ」
母をあざ笑う女が憎かった。
その笑いがあまりに癪に障って――。
「クソババア」
小さな可愛らしい声が紡いだのは醜悪な言葉。
ピシャリと手が飛んできても泣かなかった。
堪えた。
「このっ…」
頬がはれ上がるまで叩かれながら、母を罵る言葉を聞きながら一哉は誓った。
報いを――。
この醜悪なる人間達に―。
母を見捨て、愚弄し、ゴミと同然に扱った人間達に―。
綺麗な母親。
とても子供なんて産んでいるようには、見えなかった。
子供ながらに、自慢だった。
父親がいないことは、別に何も思わなかった。
どうしてお父さんがいないのと言って困らせるような子供でもなかった。
そういうものだと受け入れていた。
親類と呼べるものはいなかった。
寂しいとは思わなかった。
同じ保育園に通う友達が自慢げに彼らの祖父母の話をしたところで、何も思わなかった。
自分には、綺麗で若い母親がいた。
自分へと向けられる母の愛情が深かったというのも気にならなかった理由のひとつかもしれない。
母さえいれば他に何もいらなかった。
彼女さえいてくれれば―。
それは、彼女も同じだったようで…。
彼女に良く似た自分が笑うだけで、彼女も嬉しそうに目尻に皺を刻む。
若い女が1人で幼児を抱えて生活をするのは、並大抵の苦労では語れない。
少しでも実入りのいい仕事をと探していくうちに、夜の仕事に彼女は身を落とした。
自分が眠った後、家を出て、起きる頃に帰ってくる。
寂しいとはいわなかった。
自分がそう言えば、彼女が困るということは分かっていたから。
大好きな母を困らせることはしたくなかった。
悲しみに歪む瞳は、見たくなかった。
母譲りの愛らしい容姿に年にそぐわない聡明さを兼ね備えた幼児だった。
草壁―否、上田 一哉は……。
それでも、休みの日に自分の傍に居てくれる母親に一哉は、普段甘えられない分、その穴を埋めるように存分に甘えたものだった。
疲れているだろうに、彼女は嫌な顔ひとつ浮べることなく、一哉のしたいようにさせてくれた。
自分にも父親がいると知ったのは、何時だったか―。
それは、彼女が亡くなる少し前のことだった。
まるで、彼女が自分がもう少しでこの世からいなくなると悟ったようだったと後から思ったことは数度のことではない。
最初聞かされたとき、自分にも父と呼べる存在がいるのだと不思議に思ったものだった。
ずっと母と2人だったが故に、妙な違和感しか一哉には与えなかった。
嬉しいとも何とも思わなかった。自分には母さえいればそれで満足だったのだから…。
きょとんとした顔で自分を見る息子に、眉根を寄せ、眉尻を下げて、困ったように笑う母の姿が印象的だったことを覚えている。
そして、小さな声で「ごめんね」と謝られたこと。
そのごめんねが何を意味しているのか一哉にはわからなかった。
そして、彼女はそれから幾許も経たないうちにこの世を去った。
動かなくなった彼女は、まるで別物のようで怖かった。
自分が笑っても笑ってくれない。
青白い冷たいモノがそこにあるだけだった。
自分が状況を理解する前に、大人たちの手によって彼女の姿は悲しくも骨だけになった。
それが、母だといわれても一哉には理解できるはずもなかった。
ただ、理解できたのは、自分に向けられる笑みはこの先、一生見ることが適わないということだけだった。
5歳を迎えるまで後、数日という日だった。
母を呼んでも返事はない。
近所の大人が収入の少ない母が一哉のためにと少しずつ蓄えていた金で小さな位牌と遺影だけがひっそりと置かれていた。
写真の中の彼女は、笑ってはいても一哉を見てくれるわけではない。
寂しさは、感じたものの涙は出なかった。
ぽっかりと穴の開いたような喪失感だけがあった。
育てる者のいなくなった一哉の身を周囲の大人が案じる前に1人の男が表れた。
一哉は、男を見ても顔色ひとつ変えなかった。
「私は、君の父親だ」
と口を開いた男に、一哉は父親って何だっけというくらいにしか思わなかった。
しばらくして、母が生前話してくれた存在だと思い出しても、別に驚きもしなかった。
表れた父と名乗る男の手に引かれるまま、一哉は母と過ごしたぼろいアパートを出た。
母の位牌と遺影だけを持って。
しかし、直ぐにそれらは捨てられた。
新しく出来た家族と呼ばれる者たちの手によって――。
父に連れられて到着したのは、今まで住んでいたところとは全く異なる大きな豪華な佇まいの家。
背を押されて入るように促がされ、小さな幼児は足を踏み入れた。
待っていたのは、母とは全く違う化粧の濃い、醜悪なまでに歪めた顔で見る女の姿と自分よりずっと大きい幼児の一哉からしたら、十分大人に見える兄と呼ばれる存在たちだった。皆一様に、女と同じ瞳で一哉を見ていた。
歓迎されてなどいないことは分かった。
母は、妾だったのだ。
当時は、言葉こそ知らなかったが、母が彼らにとってどんな存在だったのか悟った。
「体裁が悪いったらないわ」
開口一番に彼女は言った。
「…」
女の言葉に、父は何も言わなかった。
「大きくなって金銭目的で強請られても困るから、引き取っただけよ。水原に迷惑をかけるようなことだけはあってはいけませんからね。草壁の名に傷がつくわ」
こんな幼児に大人の何がわかろうというのか。
そんなもの女には関係なかったようだ。
「手元に置いて飼い殺しにする方がずっとかマシだから、引き取ってあげただけよ。感謝しなさい」
と母を失って悲しみにくれている筈の幼児に向かって高々に宣言した。
ぎゅっと手にした母の遺影を抱きしめる。
彼女はあろうことか、一哉の小さな腕からそれを乱暴な手付きで取り上げると床に叩き付けた。
ガラスの割れる音がする。
小さく声をあげてそれを拾おうとする一哉に対して容赦なく一哉の頬を肉厚な手で叩いた。
小さな体が床に叩きつけられる。
叩かれた熱が発生すると同時に、一哉の耳にくすくすと笑う男達の声が聞こえてくる。
「弥一。燃やしなさい」
「はいはい」
あっと思ったときには遅かった。
一哉の目の前で薄く笑う美しい、自慢の母は灰となった。
位牌は、他の少年によってゴミ箱へと捨てられた。
それを見ては高らかに笑うもう1人の少年。
泣きはしなかった。
ただ、目の前の女をにらみつけた。
それが気に入らなかったのか。燃えていく写真を満足げな笑みを浮かべながら見ていた女は一哉の視線に気づいた女は、もう一度手を振り上げた。
「あの泥棒猫に良く似たこと。その恩知らずなところも!誰も引き取り手のいなくなったあんたを引き取ってあげた私に感謝したらどうなのっ!礼のひとつくらい言ってみせなさいっ」
その口で飼い殺しと言った癖にそんなことを言う女の矛盾に幼いながら一哉は気づいていた。
聡明すぎたのだ。
そこに居た誰よりも。
そして、父親は何も言わずにその場にいただけだった。
ここには助けてくれる者は誰もいない。
母のように笑いかけてくれる人はいない。
いるのは、敵だ。
「あんな女、死んで当然よ。いい気味!天罰だわっ」
母をあざ笑う女が憎かった。
その笑いがあまりに癪に障って――。
「クソババア」
小さな可愛らしい声が紡いだのは醜悪な言葉。
ピシャリと手が飛んできても泣かなかった。
堪えた。
「このっ…」
頬がはれ上がるまで叩かれながら、母を罵る言葉を聞きながら一哉は誓った。
報いを――。
この醜悪なる人間達に―。
母を見捨て、愚弄し、ゴミと同然に扱った人間達に―。
2008
涼子からその日のうちに深岬の携帯に謝罪のメールが入った。
『今日はゴメンね…』
という簡素なものだったが、深岬も同じように言い過ぎたと謝りのメールを入れた。
その後の返事はなかったが、恐らく大丈夫だろうという確信のようなものはあった。
深岬のその考えは間違いじゃなく、次の日からは普通に過ごしていたと思える。
当初は、ぎすぎすしたような空気が2人の間には、流れていたが時間が解決してくれた。
そして、時間はもう一つの変化をもたらした。
「彼女できた~」
と間延びした声で言うのは津田 旭その人だ。
でれっと笑いながら言うのは、ココに深岬しかいないから―。
いつものように深岬を誘って買い物に来たのはいいのだが…彼女がいると分かっていたのなら深岬は、津田と2人でこんなところには来ない。
そもそもなんで深岬が津田の買い物に付き合わなければならないのかという疑問が浮かんでくる。
ご飯を食べようといわれて適当に入ったファミリーレストランの机の下で脛を思いっきり蹴り上げると悲鳴があがる。
「いたいっ!」
―痛いじゃないっつーの。
「彼女できたなら早く言えっつーの。分かってたらあんたに付き合って買い物なんかこなかったのに…」
「何で?」
「何でじゃないわっ!このウスラトンカチ」
一応声は抑えてはあるものの、深岬の顔はこわばっていた。
しかし、津田は何故深岬がそんな怖い顔をしてそんなことを言うのか分かっていない様子で、首を傾げている。
「あんたねぇ。彼女からしてみたら、自分以外の女と買い物に行くなんて言語道断よっ。私、嫌だからね。いらぬ嫉妬浴びて迷惑被るの!本当に!マジで!勘弁っ!!」
食事を中断して端を握り締めて言う深岬の剣幕に津田は、飲まれるようにして頷く。
「う…うん」
「分かったのならよろしい」
津田が頷いたのを見てふぅっと息を吐き出しながら椅子に座りなおす深岬。
やはり、どこかずれてると思わずにはいられなかった。
いずれ、どこかで会うだろうなと思いながらも津田の彼女が自分のことを誤解しなければいいが…と淡い期待を寄せながら中断していた食事を再開する。
それと同時に涼子がどうでるかなと思ったりもした。
しかし深岬の予想は外れ、その後深岬が津田の彼女に会うことはなかった。
それどころか当初はもう少し疎遠にはなるだろうと思っていた深岬だったが、津田との時間が減ることもなかった。
そんな様子に深岬は首を傾げずにはいられないのだが、これが津田の付き合い方なのかもしれないと口に出すのは止めた。
講義の後は、深岬達と時間を過ごすし、昼ごはんのときも一緒だ。
キャンパス内を歩いていると声を掛けられるのも前と変わらない。
「旭クン」
「ああ。小西サン」
「ねぇ、最近、彼女できたって本当?」
「本当」
最近の話題は専らこれだ。
今日、声をかけてきた彼女も今までの声をかけてきた者達同様の話題を吹っかけてくる。
その度にどれだけ顔が広いのかと言いたくもなるが、声をかけてくる津田の知り合いは毎回のように横にいる深岬を意味深な視線で見つめるのだが、すぐに津田が彼らのそんな視線に気づいて否定する。
「深岬ちゃんじゃないよ」
「えー?てっきり一緒にいるからそうかと思っちゃった~」
「深岬ちゃんは友達」
などと言ってくすくす笑うその笑いの意味に気づかない深岬ではなかった。
特に女に限ってそれが顕著だ。男の場合、仕方ねぇなというような意味合いを込めた苦笑だったが、女の場合それが明らかな嘲笑に変わる。
声に出して、「やっぱり?」という者もいれば含みのある笑いをするだけの者もいる。
最初の頃こそ、一々頭にきていた深岬だったがそれが何度も続けば慣れるというもの。
最近では彼女達が去っていった後に謝ってくる津田が鬱陶しく感じるほどだ。
彼女達は、気に入らないのだ。自分みたいな取り分け美人でもない十人並みの女が津田の傍にいることが―。
「ゴメン」
いつものように津田に話しかけてきた人物の姿が見えなくなった後のお決まりの台詞。
深岬は一瞥をくれてやるとぴしゃりと言い放った後にヒールの音を鳴らして津田を置いて先を歩く。
「あんたが謝る必要なし!」
「はい…でも…」
「五月蝿い。あんたってどんだけ顔が広いの?」
「いやー、見たことあるなぁって程度の子もいるんだよ?でも向こうが声かけてくるから…」
「あ、そ」
聞けば聞くほどまるで自分は、声をかけてくる者たちのことは興味ないというように―何だかひどい台詞に聞こえなくもない。
深岬は聞いておきながら適当に返事をしてつかつかと先を歩くとすぐに慌てて追いかけてくる。
「待ってってばぁ」
無視して先を歩いていると走って追いかけてきた津田が深岬の前に立ち、にたりと人の悪い笑みを浮べてぼそりと呟く。
「焼餅?」
「帰る」
冷たい一瞥とともに言い放つ。
「ごめーん。もう言わないから待ってくだしゃい」
「知らん」
と言い捨てても後を追ってくるのだから仕方ない。
津田が追いついたところで立ち止まって相手の顔を見上げる。
深岬の真っ直ぐの視線に戸惑いながらも視線を合わせる。
「彼女、文句言わないの?」
「へ?」
「私みたいのがうろちょろしてるって知って文句言わないのって聞いてんの。あんた、付き合う前と付き合った後も全く変わらないんだもん。もっと彼女と過ごしてやれば?」
「やだよ」
深岬の苦言に津田はきっぱりと答えた。
自分が間違っているのかと思えるほどはっきりとした答えだった。
「深岬ちゃんとの時間減らしてまで会う彼女なんかいらない」
その台詞に深岬が盛大に顔を顰めたのは言うまでもない。
「あんた、それ変!」
「どーして?」
びしっと指を指して断言した深岬に不思議そうな顔をする津田。
―こっちがそんな顔したいっつーの!
と心の中で叫ぶ。
「私だったら絶対嫌っ!」
「えー」
津田の眉間に皺が寄る。
「考えてもみなってば…おっかしいでしょ?ただの友達と彼女どっちが大切?」
「深岬ちゃん」
「だから私じゃなくて…」
どうやって言えば相手に上手く伝わるかと深岬が少しイライラしながら言葉の選択をしていると落ち着いた声が聞こえてきて、深岬はゆっくりと相手の顔を見た。
「彼女は別れたら終わりだけど、友達は違うでしょ。だから、彼女より友達を優先するの」
真摯な津田の表情に毒気を抜かれたように深岬は言葉を失った。
ただ呆然と自分の顔を見てくる深岬に特に気にした様子を見せることもなく、薄く笑いながら「行こう?」と言われてしまい、深岬は頷くしかなかった。
その後、津田が付き合い方を変えるということは全くしなかった。
この数日後、漸く深岬は津田の彼女に出会うことになった。
同じ大学の4年生。
最初に向けられたのはあからさまな敵意で辟易したものだった。
だが、それは津田 旭という人物の友人をやっている限り切っても切り離せないものなのだろうと諦めることにした。
なんだかんだで友人というポジションを気に入ってるのも事実なのだから――。
『今日はゴメンね…』
という簡素なものだったが、深岬も同じように言い過ぎたと謝りのメールを入れた。
その後の返事はなかったが、恐らく大丈夫だろうという確信のようなものはあった。
深岬のその考えは間違いじゃなく、次の日からは普通に過ごしていたと思える。
当初は、ぎすぎすしたような空気が2人の間には、流れていたが時間が解決してくれた。
そして、時間はもう一つの変化をもたらした。
「彼女できた~」
と間延びした声で言うのは津田 旭その人だ。
でれっと笑いながら言うのは、ココに深岬しかいないから―。
いつものように深岬を誘って買い物に来たのはいいのだが…彼女がいると分かっていたのなら深岬は、津田と2人でこんなところには来ない。
そもそもなんで深岬が津田の買い物に付き合わなければならないのかという疑問が浮かんでくる。
ご飯を食べようといわれて適当に入ったファミリーレストランの机の下で脛を思いっきり蹴り上げると悲鳴があがる。
「いたいっ!」
―痛いじゃないっつーの。
「彼女できたなら早く言えっつーの。分かってたらあんたに付き合って買い物なんかこなかったのに…」
「何で?」
「何でじゃないわっ!このウスラトンカチ」
一応声は抑えてはあるものの、深岬の顔はこわばっていた。
しかし、津田は何故深岬がそんな怖い顔をしてそんなことを言うのか分かっていない様子で、首を傾げている。
「あんたねぇ。彼女からしてみたら、自分以外の女と買い物に行くなんて言語道断よっ。私、嫌だからね。いらぬ嫉妬浴びて迷惑被るの!本当に!マジで!勘弁っ!!」
食事を中断して端を握り締めて言う深岬の剣幕に津田は、飲まれるようにして頷く。
「う…うん」
「分かったのならよろしい」
津田が頷いたのを見てふぅっと息を吐き出しながら椅子に座りなおす深岬。
やはり、どこかずれてると思わずにはいられなかった。
いずれ、どこかで会うだろうなと思いながらも津田の彼女が自分のことを誤解しなければいいが…と淡い期待を寄せながら中断していた食事を再開する。
それと同時に涼子がどうでるかなと思ったりもした。
しかし深岬の予想は外れ、その後深岬が津田の彼女に会うことはなかった。
それどころか当初はもう少し疎遠にはなるだろうと思っていた深岬だったが、津田との時間が減ることもなかった。
そんな様子に深岬は首を傾げずにはいられないのだが、これが津田の付き合い方なのかもしれないと口に出すのは止めた。
講義の後は、深岬達と時間を過ごすし、昼ごはんのときも一緒だ。
キャンパス内を歩いていると声を掛けられるのも前と変わらない。
「旭クン」
「ああ。小西サン」
「ねぇ、最近、彼女できたって本当?」
「本当」
最近の話題は専らこれだ。
今日、声をかけてきた彼女も今までの声をかけてきた者達同様の話題を吹っかけてくる。
その度にどれだけ顔が広いのかと言いたくもなるが、声をかけてくる津田の知り合いは毎回のように横にいる深岬を意味深な視線で見つめるのだが、すぐに津田が彼らのそんな視線に気づいて否定する。
「深岬ちゃんじゃないよ」
「えー?てっきり一緒にいるからそうかと思っちゃった~」
「深岬ちゃんは友達」
などと言ってくすくす笑うその笑いの意味に気づかない深岬ではなかった。
特に女に限ってそれが顕著だ。男の場合、仕方ねぇなというような意味合いを込めた苦笑だったが、女の場合それが明らかな嘲笑に変わる。
声に出して、「やっぱり?」という者もいれば含みのある笑いをするだけの者もいる。
最初の頃こそ、一々頭にきていた深岬だったがそれが何度も続けば慣れるというもの。
最近では彼女達が去っていった後に謝ってくる津田が鬱陶しく感じるほどだ。
彼女達は、気に入らないのだ。自分みたいな取り分け美人でもない十人並みの女が津田の傍にいることが―。
「ゴメン」
いつものように津田に話しかけてきた人物の姿が見えなくなった後のお決まりの台詞。
深岬は一瞥をくれてやるとぴしゃりと言い放った後にヒールの音を鳴らして津田を置いて先を歩く。
「あんたが謝る必要なし!」
「はい…でも…」
「五月蝿い。あんたってどんだけ顔が広いの?」
「いやー、見たことあるなぁって程度の子もいるんだよ?でも向こうが声かけてくるから…」
「あ、そ」
聞けば聞くほどまるで自分は、声をかけてくる者たちのことは興味ないというように―何だかひどい台詞に聞こえなくもない。
深岬は聞いておきながら適当に返事をしてつかつかと先を歩くとすぐに慌てて追いかけてくる。
「待ってってばぁ」
無視して先を歩いていると走って追いかけてきた津田が深岬の前に立ち、にたりと人の悪い笑みを浮べてぼそりと呟く。
「焼餅?」
「帰る」
冷たい一瞥とともに言い放つ。
「ごめーん。もう言わないから待ってくだしゃい」
「知らん」
と言い捨てても後を追ってくるのだから仕方ない。
津田が追いついたところで立ち止まって相手の顔を見上げる。
深岬の真っ直ぐの視線に戸惑いながらも視線を合わせる。
「彼女、文句言わないの?」
「へ?」
「私みたいのがうろちょろしてるって知って文句言わないのって聞いてんの。あんた、付き合う前と付き合った後も全く変わらないんだもん。もっと彼女と過ごしてやれば?」
「やだよ」
深岬の苦言に津田はきっぱりと答えた。
自分が間違っているのかと思えるほどはっきりとした答えだった。
「深岬ちゃんとの時間減らしてまで会う彼女なんかいらない」
その台詞に深岬が盛大に顔を顰めたのは言うまでもない。
「あんた、それ変!」
「どーして?」
びしっと指を指して断言した深岬に不思議そうな顔をする津田。
―こっちがそんな顔したいっつーの!
と心の中で叫ぶ。
「私だったら絶対嫌っ!」
「えー」
津田の眉間に皺が寄る。
「考えてもみなってば…おっかしいでしょ?ただの友達と彼女どっちが大切?」
「深岬ちゃん」
「だから私じゃなくて…」
どうやって言えば相手に上手く伝わるかと深岬が少しイライラしながら言葉の選択をしていると落ち着いた声が聞こえてきて、深岬はゆっくりと相手の顔を見た。
「彼女は別れたら終わりだけど、友達は違うでしょ。だから、彼女より友達を優先するの」
真摯な津田の表情に毒気を抜かれたように深岬は言葉を失った。
ただ呆然と自分の顔を見てくる深岬に特に気にした様子を見せることもなく、薄く笑いながら「行こう?」と言われてしまい、深岬は頷くしかなかった。
その後、津田が付き合い方を変えるということは全くしなかった。
この数日後、漸く深岬は津田の彼女に出会うことになった。
同じ大学の4年生。
最初に向けられたのはあからさまな敵意で辟易したものだった。
だが、それは津田 旭という人物の友人をやっている限り切っても切り離せないものなのだろうと諦めることにした。
なんだかんだで友人というポジションを気に入ってるのも事実なのだから――。
2008
電車に揺られているとバッグの中にしまってあったマナーモードにしてあるそれが震えて、着信を告げる。
うとうととしていた深岬は、目を擦りながらバッグの中から取り出して、確認する。
『相談があるんだけど…明日いい?』
というメールは、言わずもがな涼子からのものだった。
文面を確認した深岬は、やっときたかと思いながらも快諾するようなメールを返信する。
存外遅かったなと感じながら―。
深岬が涼子と津田が揃っていなかった日に津田の友人達と昼を一緒に食べに行った先で彼らから言われたことに―彼らを通した涼子の意思に腹を立てた日から数日が過ぎていた。
言いたいことがあるなら面と向かって言えと彼らに切り捨てた深岬に対して、あまりに早い行動だと怪しまれると思ったのだろうか。
それから、数日経ってから漸く涼子からメールが来た。
深岬に一喝された彼らは、翌日から妙によそよそしかったが、涼子は普通に接してきたものだから、いつ彼らから深岬の言葉を聞いていたのかはわからない。
どういう出方をしてくるかと思いながら深岬は、小さくだが卑屈な笑みを浮べた。
その日は、深岬の部活の練習日にあたらなかったためにそれは講義終了後になった。
「深岬ちゃん。買い物行こうよ」
講義終了直後に教室を出た深岬にそんな日に限って間の悪くそんなことを言ってくる津田。
横には涼子もいる。
涼子の方が先約なのでばっさりと切り捨てる深岬。
「無理っ」
「何で?今日は部活ないでしょ」
「涼子と約束してるの。ゴメンね」
ちらりと津田が深岬の横にいる涼子に視線を走らせる。
「仕方ないか…。じゃ、また今度」
と手を振って別れたのだが、すぐに携帯がぶるぶる震える。
深岬には、それが誰からのものか分かっていたので敢えて見なかった。
涼子との話が終わった後に確認すればいいと思ったからだ。
「どこでする?」
「家でいい?」
「別にいいけど」
と言って涼子の家に向かう。
部屋に入って小さなローテーブルを挟んで向かい合う。
「あのね相談っていうのは、旭クンのことなんだけど…」
「分かってる。それで、私にどうして欲しいの?」
数日前に分かってはいることだが、敢えて聞く。
「お願いっ。協力して欲しいの」
顔の前でパンッと手を合わせて顔を軽く下げる。
意外と正攻法で来たかと思った深岬だったが、よくよく考えてみたらその前にワンクッション置かれているわけだから正攻法であるとは言いがたいなとのんびりと考えていた。
反応のない深岬に涼子が上目遣いに深岬を見る。
涼子と目のあった深岬は、にっこりと笑う。
「嫌」
ちょっと意地悪いかもしれないが、深岬ははっきりと答えた。
「え…なんで?」
驚愕に見開いた目で涼子が力の抜けた声で言う。
断られるとは思ってもみなかったのだろう。
いい返事が貰えるとでも思っていたのだろうか―。と深岬は思わず笑いそうになった。
本来ならば、いいよと言って頷いてやるべきなのだろうが深岬は津田の気持ちも知っているだけに頷くことはできなかった。
「友達でしょ?」
―来たな。
即座にそう思った。
利用するための友達―。
便利な言葉だ。
間をおいた後、軽く息を吐き出しながら諭すように言う。
「友達って便利な言葉よね」
意味深な発現をする深岬に涼子の顔が怪訝な顔つきになる。
「そうやって言えば協力したくなっちゃうのかなぁ」
勿体つけるように言う深岬に、一番初めに深岬がはっきりと「嫌」と言ったはずなのに、涼子は期待に満ちた目をして深岬を見つめる。
そんな涼子を調子のいい子と思いながら深岬は続けた。
「そういう時に“友達”っていう言葉を楯にするのはおかしいでしょ。それに…津田も私の友達だよ。どっちかに肩入れするっておかしいでしょ?私からしたら2人とも友達だから何もしない。協力もしなければ、邪魔もしない…」
「嘘」
深岬の言葉は途中で遮られた。
涼子の睨みと共に―。
「深岬ちゃんは、嫌なんでしょ?私と旭クンが仲良くするの。だからいっつも邪魔するんだわ」
険のこもった台詞に深岬の顔が顰められる。
「私がいつ邪魔したっていうのよ」
邪魔も何もそもそもただの傍観者に徹していたのだから、深岬にそんなつもりは毛頭ない。
こんな風に責められることすら想像もしていなかった。
言い返す深岬の語気も自然と強くなる。
「いっつもいっつも私から旭クン取っていっちゃうじゃない」
「取った覚えなんてないわよ。あいつが勝手にしてることじゃない。それにねー、アイツの彼女は相当疲れるよ。見た目だけで惹かれてるならやめた方がいい」
「何それ自慢?自分の方が好かれてるって?自分の方が旭クンのこと良く知ってるって?最悪ー」
嫉妬に駆られてそんな言葉を口にする涼子に、分かってはいても深岬は聖人君子ではない。悪し様に言われれば腹も立つ。
「私のこと影で笑ってるんでしょ?何で旭クンも深岬ちゃんがいいのかわかんな…」
「いい加減にしなよ」
深岬の発した低い低い声に涼子が息を呑む。
「アンタ…、自分の言ったこと分かってるの?あいつのことも否定してんじゃん。本当に好きなの?」
深岬の言葉に口を噤む。
言い返してこないのをいいことに続けざまに深岬は吐き捨てるように言う。
「上手くいかないからって人の所為にすんなっ!腹の立つ……。少なくとも上辺だけに惹かれて集まってくる女とは付き合わないよ。それをアイツはきちんと見抜いている」
「違うもん…上辺だけじゃない…」
「あ、そう。それならそれでいいけど、私には関係ないことだわ。けどね…津田はあんたのことそうやって見てる。振り向かせたかったらその誤解を解くところから始めないと何やったって無駄よ」
深岬は冷たく言い放つ。
それでも、助言を一つ残してやる。
黙って下を向いた涼子にもう一度大きく息を吐き出して横においていたカバンを掴むと立ち上がる。
衣擦れのする音に涼子が深岬を見上げる。
2人の視線がぶつかりあったところで深岬が憮然とした表情で告げる。
「帰る。これだけは言っておく。私は、あんたの味方もしなければ、津田の味方もしない。やるなら2人でやれっつーの。人を巻き込まないでくれる?」
「み…さきちゃん」
上から少し目の潤んだ涼子を見下ろしながら言い放つ。
その姿はふんぞり返っているようにも見えてどこか偉そうだ。
「そういう顔は、私には通用しないから…やるなら津田の友達にでもすれば?…後一ついいこと教えてあげる。津田は、自分のために人を利用する子嫌いよ」
涼子が目を見開く。
心当たりがあるからだろう。
深岬もそのつもりで言った。言外にお前のことだとばかりに―。
そのまますぐ近くにある玄関に歩いていく。
最後に座ったまま動かない涼子を振り返る。
「話ぐらいなら聞いてあげるから…」
と言葉を残して涼子の家を出た深岬だった。
外に出るなり、震えていた携帯の存在を思い出してチェックするとやはり深岬の想像した通り、津田からだった。
『何かあった?』
雰囲気で感じ取ったのかもしれない。
そのメールにくすりと笑って深岬は電話をかける。
相手は、暇をもてあましていたのか直ぐに出た。
『もしもしっ!』
「うるさい」
『あ、ごめん…で…』
「何を聞きたいの?」
『あの鈴木さんと…』
「ああ、相談乗ってただけ。もう終わったから買い物行くなら付き合うけど?」
『それって…僕のコト?』
「自惚れんなバカ」
間髪入れずに言い捨てる。
どちらの味方もしないと言った時点で涼子とのことを津田に言うのはアンフェアな気がした深岬は黙っていることにした。
涼子が深岬の言葉に何かを感じて変わるならそれもあり、2人が付き合うなら付き合うで津田と深岬との関係にちょっとした変化は現れるかもしれないが別に自分には関係ないことだ。
付き合わないなら付き合わないでも別にいい。
それは、2人の問題なのだから。
電話の向こうで恐らく不満げな顔をしているであろう津田を想像して早々に話を切り替える。
「行かないっつーんならこのまま私帰るけど?」
『行く。行きますっ。だから帰っちゃヤ!』
食いついてきた津田にもう一度小さく「バカ」と言って電話を切る深岬だった。
うとうととしていた深岬は、目を擦りながらバッグの中から取り出して、確認する。
『相談があるんだけど…明日いい?』
というメールは、言わずもがな涼子からのものだった。
文面を確認した深岬は、やっときたかと思いながらも快諾するようなメールを返信する。
存外遅かったなと感じながら―。
深岬が涼子と津田が揃っていなかった日に津田の友人達と昼を一緒に食べに行った先で彼らから言われたことに―彼らを通した涼子の意思に腹を立てた日から数日が過ぎていた。
言いたいことがあるなら面と向かって言えと彼らに切り捨てた深岬に対して、あまりに早い行動だと怪しまれると思ったのだろうか。
それから、数日経ってから漸く涼子からメールが来た。
深岬に一喝された彼らは、翌日から妙によそよそしかったが、涼子は普通に接してきたものだから、いつ彼らから深岬の言葉を聞いていたのかはわからない。
どういう出方をしてくるかと思いながら深岬は、小さくだが卑屈な笑みを浮べた。
その日は、深岬の部活の練習日にあたらなかったためにそれは講義終了後になった。
「深岬ちゃん。買い物行こうよ」
講義終了直後に教室を出た深岬にそんな日に限って間の悪くそんなことを言ってくる津田。
横には涼子もいる。
涼子の方が先約なのでばっさりと切り捨てる深岬。
「無理っ」
「何で?今日は部活ないでしょ」
「涼子と約束してるの。ゴメンね」
ちらりと津田が深岬の横にいる涼子に視線を走らせる。
「仕方ないか…。じゃ、また今度」
と手を振って別れたのだが、すぐに携帯がぶるぶる震える。
深岬には、それが誰からのものか分かっていたので敢えて見なかった。
涼子との話が終わった後に確認すればいいと思ったからだ。
「どこでする?」
「家でいい?」
「別にいいけど」
と言って涼子の家に向かう。
部屋に入って小さなローテーブルを挟んで向かい合う。
「あのね相談っていうのは、旭クンのことなんだけど…」
「分かってる。それで、私にどうして欲しいの?」
数日前に分かってはいることだが、敢えて聞く。
「お願いっ。協力して欲しいの」
顔の前でパンッと手を合わせて顔を軽く下げる。
意外と正攻法で来たかと思った深岬だったが、よくよく考えてみたらその前にワンクッション置かれているわけだから正攻法であるとは言いがたいなとのんびりと考えていた。
反応のない深岬に涼子が上目遣いに深岬を見る。
涼子と目のあった深岬は、にっこりと笑う。
「嫌」
ちょっと意地悪いかもしれないが、深岬ははっきりと答えた。
「え…なんで?」
驚愕に見開いた目で涼子が力の抜けた声で言う。
断られるとは思ってもみなかったのだろう。
いい返事が貰えるとでも思っていたのだろうか―。と深岬は思わず笑いそうになった。
本来ならば、いいよと言って頷いてやるべきなのだろうが深岬は津田の気持ちも知っているだけに頷くことはできなかった。
「友達でしょ?」
―来たな。
即座にそう思った。
利用するための友達―。
便利な言葉だ。
間をおいた後、軽く息を吐き出しながら諭すように言う。
「友達って便利な言葉よね」
意味深な発現をする深岬に涼子の顔が怪訝な顔つきになる。
「そうやって言えば協力したくなっちゃうのかなぁ」
勿体つけるように言う深岬に、一番初めに深岬がはっきりと「嫌」と言ったはずなのに、涼子は期待に満ちた目をして深岬を見つめる。
そんな涼子を調子のいい子と思いながら深岬は続けた。
「そういう時に“友達”っていう言葉を楯にするのはおかしいでしょ。それに…津田も私の友達だよ。どっちかに肩入れするっておかしいでしょ?私からしたら2人とも友達だから何もしない。協力もしなければ、邪魔もしない…」
「嘘」
深岬の言葉は途中で遮られた。
涼子の睨みと共に―。
「深岬ちゃんは、嫌なんでしょ?私と旭クンが仲良くするの。だからいっつも邪魔するんだわ」
険のこもった台詞に深岬の顔が顰められる。
「私がいつ邪魔したっていうのよ」
邪魔も何もそもそもただの傍観者に徹していたのだから、深岬にそんなつもりは毛頭ない。
こんな風に責められることすら想像もしていなかった。
言い返す深岬の語気も自然と強くなる。
「いっつもいっつも私から旭クン取っていっちゃうじゃない」
「取った覚えなんてないわよ。あいつが勝手にしてることじゃない。それにねー、アイツの彼女は相当疲れるよ。見た目だけで惹かれてるならやめた方がいい」
「何それ自慢?自分の方が好かれてるって?自分の方が旭クンのこと良く知ってるって?最悪ー」
嫉妬に駆られてそんな言葉を口にする涼子に、分かってはいても深岬は聖人君子ではない。悪し様に言われれば腹も立つ。
「私のこと影で笑ってるんでしょ?何で旭クンも深岬ちゃんがいいのかわかんな…」
「いい加減にしなよ」
深岬の発した低い低い声に涼子が息を呑む。
「アンタ…、自分の言ったこと分かってるの?あいつのことも否定してんじゃん。本当に好きなの?」
深岬の言葉に口を噤む。
言い返してこないのをいいことに続けざまに深岬は吐き捨てるように言う。
「上手くいかないからって人の所為にすんなっ!腹の立つ……。少なくとも上辺だけに惹かれて集まってくる女とは付き合わないよ。それをアイツはきちんと見抜いている」
「違うもん…上辺だけじゃない…」
「あ、そう。それならそれでいいけど、私には関係ないことだわ。けどね…津田はあんたのことそうやって見てる。振り向かせたかったらその誤解を解くところから始めないと何やったって無駄よ」
深岬は冷たく言い放つ。
それでも、助言を一つ残してやる。
黙って下を向いた涼子にもう一度大きく息を吐き出して横においていたカバンを掴むと立ち上がる。
衣擦れのする音に涼子が深岬を見上げる。
2人の視線がぶつかりあったところで深岬が憮然とした表情で告げる。
「帰る。これだけは言っておく。私は、あんたの味方もしなければ、津田の味方もしない。やるなら2人でやれっつーの。人を巻き込まないでくれる?」
「み…さきちゃん」
上から少し目の潤んだ涼子を見下ろしながら言い放つ。
その姿はふんぞり返っているようにも見えてどこか偉そうだ。
「そういう顔は、私には通用しないから…やるなら津田の友達にでもすれば?…後一ついいこと教えてあげる。津田は、自分のために人を利用する子嫌いよ」
涼子が目を見開く。
心当たりがあるからだろう。
深岬もそのつもりで言った。言外にお前のことだとばかりに―。
そのまますぐ近くにある玄関に歩いていく。
最後に座ったまま動かない涼子を振り返る。
「話ぐらいなら聞いてあげるから…」
と言葉を残して涼子の家を出た深岬だった。
外に出るなり、震えていた携帯の存在を思い出してチェックするとやはり深岬の想像した通り、津田からだった。
『何かあった?』
雰囲気で感じ取ったのかもしれない。
そのメールにくすりと笑って深岬は電話をかける。
相手は、暇をもてあましていたのか直ぐに出た。
『もしもしっ!』
「うるさい」
『あ、ごめん…で…』
「何を聞きたいの?」
『あの鈴木さんと…』
「ああ、相談乗ってただけ。もう終わったから買い物行くなら付き合うけど?」
『それって…僕のコト?』
「自惚れんなバカ」
間髪入れずに言い捨てる。
どちらの味方もしないと言った時点で涼子とのことを津田に言うのはアンフェアな気がした深岬は黙っていることにした。
涼子が深岬の言葉に何かを感じて変わるならそれもあり、2人が付き合うなら付き合うで津田と深岬との関係にちょっとした変化は現れるかもしれないが別に自分には関係ないことだ。
付き合わないなら付き合わないでも別にいい。
それは、2人の問題なのだから。
電話の向こうで恐らく不満げな顔をしているであろう津田を想像して早々に話を切り替える。
「行かないっつーんならこのまま私帰るけど?」
『行く。行きますっ。だから帰っちゃヤ!』
食いついてきた津田にもう一度小さく「バカ」と言って電話を切る深岬だった。