更新日記と小説(18禁)とたまに嘆き.
嫌いな方・興味のない方・間違っちゃった方はバックバック
2009
vizard(86)
――時間は早く流れるように過ぎていく。
一哉の杞憂もそのままに、堺は妙な動きを見せることもなく、穏やかな時間を過ごしていた。
堺は水原の怒りを買ったことでその対応に追われる生活を強いられた。
一哉への恨みはありこそすれ、ただ報復をする時間もそれを計画する時間も無いほどに追われていた。
恨みだけが募っていくそんな時間の浪費しか彼にはなかった。
対照的に長年邪魔な存在でしか成り得なかった男を追い出すことができ、晴れて自由の身になった綾は自由気ままな時間を過ごしていた。
自由の身という表現は、男が居ようが居まいが、そこに存在しないもののように扱っていた彼女にとって些か可笑しい気がしないでもないが、法的にも、対外的にももう他人であるという証明があるのは、やはり彼女にとって与える印象は殊の外大きかったようだ。
数ヶ月前に水原の家で起きた醜聞とその結末を知っている者たちは、彼女を腫れ物に触るように扱ったが、そんなことは彼女からしてみれば瑣末なことにしか感じられなかった。
今まで以上に早く過ぎ去っていくように感じられる時間を彼女は、実に堪能していた。
そんな綾とは打って変わって、父親である水原は最近、富に頭を悩ませていた。
ここ数ヶ月の娘の様子と言えば、実に楽しそうで、生き生きとしている。それは、自分の選択に誤りがなかったという証拠だろうと彼自身、納得している。
自分の手で追い出し、もう自分の目の前からいなくなった男については、考えるだけの時間も勿体ないとばかりに、既に眼中になどない。
そんな彼の悩みは、夫に浮気されて離婚したというレッテルが世間的に張られた娘のことだった。
綾にしてみれば余計なお世話の一言に過ぎないだろうが、世間の体裁を気にする彼は、このまま彼女を放っておくことができなかった。
そもそもが、堺は自分が宛がった男だ。
次こそは、と目下自分の眼鏡に適う男を探している。
しかし、既に堺という男を選んでいる彼の眼鏡というものが如何なるものかは甚だ疑問であるのだが…。
綾と顔を合わせた時に、会話に織り交ぜてそれとなく彼女の意志を伺ってはみるものの、綾は全く興味がない様子だった。
このまま放っておけば、再婚までに相当の時間を要することは必至―。
もとより、水原は知らないが一哉がいればそれで満足な綾のことだ。そんな時はこないだろうと言った方がより正しいのかもしれない。
娘にそんな気がなくとも、父親としてどうにかせねばなるまいと妙な使命感に燃えて彼は、娘の再婚相手探しを水面下で続けた。
そして、漸くこれなら娘の納得してくれるに違いないという妙な自信を持てる人物を見つけた。
相手にも打診し、後は娘を納得させるだけというところまで準備を進めた上で彼は、綾を呼び出した。
父親に呼び出された綾は、一体何の話だろうかと訝しみながら、水原のいる書斎に入る。
妙に上機嫌な父がそこに居て、知らず知らずのうちに綾は、身構えた。
往々にして父が上機嫌なときには、碌なことがおきやしない―。
綾は、そう思っていた。
唯一の出入り口であるドア付近に立ち、このまま回れ右して帰ってやろうかと思案したままの綾に部屋の奥にあるソファに腰をかけるように促す水原。
「こっちへ来なさい」
言われるままに、綾は彼の真向かいにある1人掛けようのソファに腰をかけてみる。
座るなり、年のせいかもう皺が入ってきている水原がより深く皺を刻みながら、一冊の写真を渡してくる。
皮で綺麗に装丁されたそれに綾の警戒心がますます大きくなる。
「何。これ」
「いいから、見てみなさい」
ゆっくりと開けてみるのだが、そこに映っていたのは綾も知っている男。
父親の部下にあたる男の写真だった。
「どうだ?」
「…どうだって言われても。この写真が何か?」
答えは、聞かなくても分かっていた綾だったが、聞かずにはいられない。
「何って…。再婚相手には、うってつけだろう。この男なら、私も良く知っている。あの男のような真似は決してしないと思うぞ」
暗に堺のことを口にした水原だったが、綾は聞く気がないのだろう。
自分から聞いておきながら右から左へと聞き流すだけだった。
父親が言い終わるのを待って、拒絶の態度を示す。
「嫌よ」
ばっさりと切り捨てるように言うと手にしていた写真を2人の体の間にある机にぽいっとゴミでも捨てるみたいに放り投げた。
「何が嫌なんだ。真面目でいい男だ」
「全部」
ぷいっと子供のようにそっぽを向きながら答える綾に水原は思わず渋面を刻んだ。
「綾」
嗜めるように名を呼ばれて、綾はちらりと横目で父親を盗み見た。
「再婚なんてしない」
「そうはいかないだろう」
「体裁が悪いって言うんでしょ?」
核心をつかれて水原は軽く息を飲む。
わざとらしく咳払いをした後、すぐに補足を入れる。
「…まぁ、それもあるが…。お前は、あの男に裏切られた直後だから、嫌かもしれないが。怜迩のことを考えてみなさい。父親がいないというのは、可哀想だ」
堺のことを強調する水原だったが、その言葉は綾には響かない。
怜迩のことを引き合いに出されたら、多少の罪悪感は感じないでもない。
しかし、たとえ堺が居たとしても、怜迩の中で父親という存在がそれほど大きいものではないに違いない。
ほとんど家に寄り付かない男だった。また、自分とは全く血の繋がっていない怜迩に対して、堺も愛情など向けられる訳もなく、逆に憎しみに近い感情を抱いていたくらいだ。
怜迩の中で、父親というものはさしたるものではないだろう。
従って、綾は変わらず―それどころか、強くもう一度拒絶した。
「嫌ったらイヤなの」
娘の反抗に、父親は対応に困った。
どうやって言い包めようかと思案している途中に綾は、父親に向かって飛んでもない言葉を吐いた。
そっぽを向いたまま、つんとした口調で己の意志を口にした。
「そんなに私に再婚しろって言いたいの?」
「当然だ。それが女の幸せじゃないのか?」
勘違いも甚だしいというもの―。
その言い草には、腹立たしさを感じずにはいられない綾だったが、それには気づかない振りをして、醜い感情に蓋をした。
「そう。そんなに世間が気になるわけ…」
「どうして、そんな言い方をするんだ」
娘の言い草を嗜めようとする水原だったが、彼の言葉を遮って綾が強い口調で言葉を紡ぐ。
「そんなに体裁を気にして再婚しろって言うなら、一哉がいいわ。一哉とならしてあげる」
何も取り繕ってなどいない彼女の本心だった。
娘の言葉に口をぽかんと開け、呆気にとられる父親の顔を綾は一生忘れることはないだろう。
むしろ清清しい気分だった。
PR
Post your Comment