更新日記と小説(18禁)とたまに嘆き.
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2008
Vizard (62)
どれくらいそうしていたであろうか―。
いい加減焦れたのは、一哉だった。
「用は?」
誰の目もない己の部屋の中では、素っ気無い態度であるのはいつもと同じ。
じっと見つめていた綾から顔を背けた後、立ち上がる。
自分から外された視線、立ち上がった一哉にはっとして慌てる綾。
また、このままどこかに去っていってしまう。いなくなってしまうと慌てた。
「ま…、待って」
呼び止める声にゆっくりと振り返る。
2人の視線が絡み合う。
「あの男が持ってきた資料にあったの…」
急に語られはじめた言葉。
しかし、一哉には綾が何を伝えようとしているのか要領を得ない。
怪訝な顔つきになり、眉間に皺がよる。
「お金貰ってたの?」
上目遣いに見つめてくる瞳は、縋るような瞳だった。
否定して欲しい―。
違うと言って欲しい―。
信じたくない―。
綾の心の表れだった。
過去の一哉が行ってきた行為―堺が口にした“男娼”という言葉がぴったりと形容するものだ。
綾は決してその言葉を口にはしたくなくて、してしまえば認めてしまうようで、その言葉を使わないように注意した。
しかし、結局のところ同じことであることに違いはないのだが…。
一部だけを伝えてくるような言葉は、一哉には理解ができない。
「金?」
「…女の人からお金貰ってたの?」
『女』、『金』というキーワードで漸く理解したのだった。
綾が何を言わんとしているかを…。
そして、隠しているつもりもなかったが、知られたのだと―。
女を抱く代わりに―欲を満たしてやる代わりに、金という見返りを受けていた自分に…。
汚いと思うだろうか。
軽蔑するだろうか。
縋るような揺れる瞳で見てくる彼女に、シニカルな笑みを浮かべた。
その一哉の表情の変化に綾が目を見開く。
それは歓喜へと変化するものではなく、寧ろ真逆への変化だった。
「それが、何か?」
過去を亡きものにはできない。
違うと否定することもできない。
それは、事実でしかないのだから。
金が必要だった。
何をするためにも―。生きていくためにも―。目的のためにも―。
顔では笑みを浮かべながらも一哉の拳が強く握られていたことに綾は気づかなかった。
肯定ともとれる言葉を口にした一哉にショックを受けている綾には、気づけるはずもなかった。
「そんな…」
「クビにするか?」
笑いながら―、まるで他人のことであるかのように自分の進退を口にする。
まるで、そうされることを望んでいるかのように見える一哉に綾はぐっと唇を噛み締めた。
「…しないわよ……」
小さく、腹の底から捻りだすように暗く淀んだ声だった。
どれだけ小さくとも、2人しかいないこの狭い空間で、他の音が存在しない中では、確りと一哉の耳にも届いた。
笑みをふっと消失させて綾に背を向ける一哉。
「そうか…」
落胆も喜びの色も含まない、ただの事務的な返事。
向けられた背に堪らず、綾は飛びついた。
どすっという音とともに背中にかかる重み、回される腕の温かさに一哉は、目を見開いた。ぎゅっと自分の体を掴む腕――。
離すまいと籠められた強い力。
細い腕がもたらす力、温もりに一哉の心臓が大きく跳ねる。
振り払うことは簡単だろう。手を伸ばして少し力を入れるだけで、非力な手を離すことは、造作もないことだ。
そのために持ち上げたはずの手は、己へと纏わりつく細い腕を振り払う力は出なかった。代わりに一哉に出来たことはと言えば、持ち上げた手を重ねることだけだった。
綾は、一哉の男にしては細い指が自分の腕に触れたとき、以前の振り払われた光景を思い出して一瞬、身を固くした。
しかし、綾に身を切るような寂しさと切なさを与える感覚はいつまで経っても訪れなかった。
ただ、布越しに肌に触れる指先は優しかった。
出会った当初は、自分とほぼ変わらない背丈で細く、頼りない印象しかなかったはずなのに、今では大きく成長し、肩幅も広くなった。
5年という月日は、綾の予想をはるかに超えて大きかった。それは、綾自身に限ったことではないはずだ――。
回した腕に力を入れて、広い背中に顔を寄せて目を閉じる。
ただ、それだけのことなのに目頭が熱くなってくる。
触れ合っている部分がじわりと熱を持つ。それは、どんどんと熱をもっていくようだった。
背を向けたまま、振りほどくこともできずに瞳を閉じた。
少し、ほんの少し力を入れるだけでいいのに…。
――できない。
――したくない。
「他の何もいらないわ…。一哉だけ…、他の誰に見捨てられてもいい。…一哉にだけは傍にいて欲しいの…お願い。離れていかないで……」
細腕に触れる指に力を入れて掴んだ。
ぐいっと身体を掴むと身体を反転させた。
強い力に驚き、閉じていた目をぱっと見開いた綾だったが、自分へと絡みつく強い腕の力に何も考えられなくなった。
驚くこともできなかった。
ただ、頭の中が真っ白で、折れそうなほど強い力で抱きすくめられていることを悟ると呆然と開いていた瞳は、やがて溢れてきた大粒の涙によって何も映さなくなった。
近くの一哉の顔すらも。
ただぼやけた視界で、瞬きすることも忘れて―。
身体中が歓喜する。
それを、体感する以外何もできなかった。
「か……や」
掠れた声は、上手く音にはならず、か細く揺れた声で自分を抱きすくめる男の名を呼ぶ。
ほとんど衝動的だったと言ってもいい。
離さなければと思って離したくないと思ったら、次の瞬間身体が勝手に動いていた。
「…馬鹿だよ…綾さん……」
半笑いで紡がれる言葉は、ひどく優しかった。甘かった。
いつぶりだろうか―。
その声が、唇が己の名を紡いだのは…。
閉じた瞳からぼろりと涙が零れ、頬を伝い落ちる。
抱き返す腕に力を入れた。同じ―いや、自分を抱きしめる相手の以上の力を入れて……。
ただ、誰の邪魔も入らないこの空間で、今だけは離れまい―離すまいとどちらからともなく、互いに苦しくなるほどの力を込めて――。
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