更新日記と小説(18禁)とたまに嘆き.
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2008
Vizard (59)
どこにも行かないで―。
私を一人にしないで―。
「綾、こんなところで何をしているんだ?」
背後から聞こえてきた怪訝な色を含んだ声に綾はハッと目を見開いて自分の後ろを振り返った。
そこに、面食らったような顔をして自分を見ている父親の姿を見つけた。
確かに彼の驚きは、尤もだろう。
何せ、彼女がいるのは玄関先なのだから。
何をするわけでもなくただ立っているだけだったり座ったり、うろうろと落ち着きなく歩いてみたり、一体、何をしているのか水原からしてみれば、皆目見当も付かない奇行としか言いようのない行動。
彼が堪らずに、そう尋ねてくるのも致し方ないことだろう。
尋ねられた綾は、慌てて姿勢を正すと引きつった笑みで誤魔化そうとするのだが、咄嗟に上手い言い訳など思いつくはずもなくまごついた答えしか出てこなかった。
「あ…あの……ちょっと…」
屋敷内に一哉の部屋があるから、ここに居れば帰ってきたときにすぐ捕まるだろうと思って綾は空いている時間のほとんどを玄関先で過ごしていたのだが、通り過ぎる使用人たちには一体どうかしたのかと気にかけられるし、父親に見つかって答えに窮してしまっている。
綾にそこまでさせる人物は一向に帰ってくる気配はない。
どこで、何をしているのかもわからない。
自分が彼を掴んだはずの手を振り払った冷たさと鋭い視線の強さだけを覚えている。
きっと怒っているのだ。
いつまで経っても自分本位な考えから抜け出せない自分に―。
呆れているのだ。
そう思うと胸が締め付けられる。
この痛みは、ただ好きだという言葉を喚き散らしていたときとは違う。
喪失感にも似た穴の空いたところを抉られるような痛み。
近くに居て一度は触れ合える距離まで近づいた相手と触れ合えないもどかしさはあっても、近くに――目の届く範囲にいてくれるということが自分にとっての、この苦痛の山でしかない屋敷での心のよりどころとなっていた。
しかし、それを願うことは所詮綾のわがままの域を越えないものであり、また綾自身気づいてはいたが、かといって一哉にいなくなられたら気が狂いそうになる。
触れ合えなくても、綾にとって一哉は一種の精神安定剤のようなものなのだ。
他の何もいらない――。
綾が、父親に対し何と言い訳をするべきか迷っていると玄関の扉が音を立ててゆっくりと開く。
扉の開く音に綾と水原は反射的に顔を上げた。
綾は、待っていた人物だと顔を輝かせて、水原は突如聞こえてきた音に反応して振り返った。
だが、そこに居たのは綾の待ち望んでいた人物などではなかった。
一方、水原は驚いた顔をして自分と娘を見る男の姿に全てを察したように鷹揚に頷くとにこりと笑みを深く刻むと娘の肩を叩いて2、3度頷いた後、「そういうことか…」と小さく呟いた。
「お義父さんに綾さん…こんなところで一体何を……」
玄関先でなにやら顔を付き合わせていた水原と綾の姿に面食らったような顔をするのは、玄関の扉から入ってきた堺だった。
水原は、玄関先に居た娘に彼女が夫である堺を待っていたのだと考えて、自分が思っていたよりも娘と堺が上手くいっていると思い、嬉しそうに笑いながら上機嫌で綾の前から去っていったのだった。
しかし、実のところ綾が待っていたのは堺などではなく、一哉その人だ。
水原は曲解したに過ぎなかった。
彼の去った後、残された綾と堺の間には沈黙だけが残った。
堺を見ようとしない綾と碌に家に寄り付かなくなった堺。2人に会話が成立するはずもなかった。
どちらも気まずさから口を開こうとはしない。
まだ驚きから抜けきれずに玄関の三和土からあがることもせずに、呆然と綾を見る堺と堺を見ることなく顔を逸らし続ける綾。
その2人の姿は、ぎこちなく、夫婦と呼べる形態の代物ではなかった。
「あ…や」
堺が呼び止めようとした声にも振り返ることなく綾は、一度も堺と目を合わせることもなく玄関から立ち去った。
一人取り残された堺は、その屈辱とも言える綾の態度に奥歯をぎりぎりと強く噛み締め、歯軋りをした。
そして、自分が手にしているカバンの中の入っている手に入れたばかりの封書の存在を思い出し、乱暴に靴を脱ぎすてると綾の後を追った。
煌々としたライトの明りの下に並べられた写真を見て一哉は、喜ぶでもなく、また憤るでもなく、まるで詰まらないものを見るかのように無感情の瞳でそれを見ていた。
ブラインドの下ろされた窓の外は夜の帳が降り、暗い闇が支配する。
街中にはない、寂れたビルの周囲は外灯の灯りしかなく、暗い。
それとは対象的に室内は、蛍光灯に明りがひどく明るい。
「これだけ?」
飛び出した不満そうな声にそれらの写真を準備した女は、一瞬呆けた顔をしたが、すぐにむっと眉間に皺を寄せた。
「…これだけって…あんた、あたしがこれを手に入れるのにどれだけ時間を費やしたと思ってるわけ?」
「さぁ?この程度なら、俺も手に入れているんだけど」
広めのテーブルに所狭しと並べられた写真を無造作に取り上げながら目を通した後、すぐにぽいっと写真を投げた。
ひらひらと空気の抵抗を受けながら宙を舞う写真。
やがてとさっという音とともに、机の上に落ちる。
数十枚にも昇る写真には、どれも男女の姿が映っている。
「あんたって子は…」
「決定打にはならないんだよなぁ」
写真を押しのけて、机の上に肘をつくと手の平に顎を載せて誰に聞かせるわけでもなく自分に言う。
彼の前に座っていた女は、それを自分の仕事に対する不満ととり、むっと眉間に皺を寄せた。
「ちょっと!」
「ケンカふっかけようとしてんの仮にも水原の次期社長候補だよ?こんなぼやけた写真ばっかじゃ揉み消されるに決まってんじゃん」
視界に入る写真をぴっと弾く。
強く弾かれた遠くから撮影された写真は、映りが悪く、ぼやけている。
一哉の言うとおりかもしれないと思った女は、一度は開きかけた口を閉ざし、悔しげに噛み締めた。
「まぁ、でもあの男が浮気してるのは、間違いなさそうか…。でも決定打が欲しいんだよ。結局のところ、あんたが調べた過去の女は微妙なラインだったしなぁ……。自分の保身のためだろうけど、口割らなかったし…。そんな手合いに手出すんだから本当に底意地ひん曲がってるよな。あの男」
聞く人が聞いたらば、どの口がそれを言うといいかねない発言だったが、力なく呟かれた声は、どこか悔しさをはらんでいる声音だった。
女は女で、机に並べられた写真に目を向けていたために一哉の顔ははっきりと確認できなかったが、いつもの一哉らしくない声音にはっと顔を上げて一哉の方を見つめた。
視線を感じた一哉は、顔をあげて女を不思議そうな顔で見返した。
女は、一哉の瞳をじっと見つめて問う。
「…水原の過去の女の次は、今の女…。あんた、こんな浮気現場調べてどうするってのよ…。あのお嬢さんの結婚生活ぶち壊したいわけ?」
傍から見たら一哉の行動はそう見えるのかもしれない。
女の問いに、一哉自身そう思い、ふっと口許に笑みを忍ばせた。
そして、女から視線を外しながら小さな声で答えた。
「違う。俺は、ただ…」
その後に続く言葉は、小さすぎて女の耳には届かなかった。
しかし、一哉の遠くを見つめる表情に女は少なからずここにはいない、一哉の脳裏に浮かんでいるであろう人物に嫉妬心を覚えた。
女が見た横顔からは、いつもの力強い視線が柔らかく、虚空を見つめるせつなさを感じさせる瞳に――。
彼が自分をそんな瞳で見つめることは、決してない……。
望んだとしても決して手に入れられることはないだろう。
「ただ…、幸せになって欲しい…」
その言葉は、誰の耳にも届くことはなかった。
自分の分も…。
誰よりも…。
なのに、思い出すのはいつも沈んだような顔ばかりだ――。
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