更新日記と小説(18禁)とたまに嘆き.
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2008
Vizard (60)
煙草の紫煙が部屋に充満する。
すぐ側に置かれた灰皿には、吸殻がこんもりと山を作っている。
数時間前までは、その灰皿には灰一つ落ちていなかった。
2人が口を閉ざしてから有に数時間が経過しようとしていた。
散らばった写真はそのままに、一哉は虚空を見つめ続け、女は煙草を燻らせる。
また、一本と灰皿に吸い終わったほとんどフィルターしか残っていない吸殻を押し付け、女が更にもう一本と手を伸ばそうとしたときに一哉が身じろぐのを察して女の注意が、一哉へと向けられる。
「どうしたの?」
「ちょっとね…」
ふふっと笑いながら言葉を濁して答える一哉に背筋に寒気が走る。
吸おうとして手に持ったままだった火のついていない煙草をぽろりと落としてしまった。
落とした煙草を拾うことも忘れて、ひきよせられるようにして女は一哉を見つめ続けた。
目を逸らすことができなかった。
次に紡がれる言葉をただ待った。待つことしかできなかった。
「こうなったら、墜ちてもらうしかないよね」
言葉自体は柔らかいものだったが、その発言内容は余りに黒く暗い。
告げる瞳も暗く淀んでいる。
「墜ちるって…あんた…」
「協力してくれるよね?」
否とは言えない雰囲気がある。
誰が、言えようか。下手な男よりも迫力があるその姿。
女は、頷く事も首を振ることも、指一本動かすことすらできなかった。
ただ、ただ年若い男の少年の顔を見つめ続けるだけだった。
「手駒はありすぎるくらいで十分だからね」
それは、最早子供の吐く台詞ではなかった―。
自室の扉をいつもより荒立った手つきで閉め、背を扉に預けると髪をぐしゃりとかきあげてずるずると床にしゃがみこむ。
ふぅっと大きく息を吐き出す。
「どこに行ってるのよ…。なんで、いないの…。なんで帰ってこないの」
ここにはいない人物に向けられた言葉。
本当に居て欲しい人に向けられた言葉。
だが、聞いて欲しい相手にそれが届くことはない。
不安だけが膨らんで―。
がしがしと長く伸びた髪を乱暴にかきあげると立ち上がり、広い室内へと足を進めようとした。
丁度その時、今まで背を預けていたはずの扉が五月蝿く音をたてて開く。
最低の礼儀でもあろうノックもせずに無礼極まりない行為。
突如、耳に飛び込んできた音と人の気配に、扉に背を向けたまま目を見開いた綾だった。
遠慮の欠片もないその音に驚くと同時に、そんな行為をする人物に心当たりなどなく、一体誰だと思ったが、即座に脳裏に浮かんだのは、一哉の姿だった。
期待を胸に秘め、振り返った先にいたのは綾の期待には程遠い人物。対極にいるといっても過言ではない。
顔を紅潮させ、険しい表情で綾を睨み付けんばかりに目を吊り上げている堺の姿がそこにはあった。
期待した一哉ではなく、堺の姿に一気に綾の体を落胆の色が走りぬけ、不快そうに眉間には深い皺が刻まれた。
相手の顔が不機嫌そうだろうがなんだろうが綾には関係ない。
ふいっと顔を逸らしながら素っ気無い態度で問う。
「何の用かしら?」
その声は2人の冷え切った関係を如実に表すような冷え冷えとした声だった。
玄関先で、最初に己が家の中に足を踏み入れたとき以来、自分を見ようともしない綾の態度に腹を立てている堺の苛立ちを煽るばかり。
「ノックもせずに入ってくるなんて、無礼にも程があるんじゃなくて?」
堺には背を向け、室内に足を進める綾。
一瞬の己へと向けられた侮蔑の色を含む瞳に堺は、吊り上った目尻をますますつりあげた。
乱暴にカバンの中に手を突っ込むと掴み上げた封書を床の上にぶちまけるようにしてほうりなげた。
ばさばさっと紙が音を立てる音に人の部屋にずかずかと無遠慮に入り込むだけじゃ飽き足りず、一体、何をしているのかと怪訝な顔つきで綾は再び、見たくもなかったが後ろを振り返った。
そして、床に散らばる紙に眉を潜めた。
何かの報告書のような形式のそれが散らばっていた。
床にぶちまけた本人は、拾う素振りも見せず、俄かに興奮しているせいか、どこか血走ったようなぎらぎらとした瞳で綾を睨みつけるだけだった。
口許には、不自然な引きつった笑みが象られ、乾いた笑いが零れ落ちる。
どこか尋常でないその姿は、不気味を言わせしめる効果がある。
綾は、堺の様子に気味の悪さを感じつつも彼のことは気にせず、床に散らばる紙のある場所に近づくとゆっくりと腰を下ろして、それらの中から一枚を手にとった。
紙面に踊る文字を追いかけた綾は、目を僅かに見開いた。
耳障りな男の低い笑い声はその間も綾の鼓膜を刺激する。
「人は見かけによらないものだ」
嘲笑混じりに聞こえてくる声は、極力排除して、綾はそのほかにも散らばる紙を拾い上げては、目を通す。
「あんな薄汚い金に群がるハイエナのような奴に水原の敷居を跨がせるなど言語道断。お義父さんがこのことを知ったらどうするか…想像しただけでも愉しくなってくるだろ?あのいけ好かない無能な草壁も只ではすまないだろうに」
くくっと喉で笑いながら高らかに宣言する堺。身勝手きわまりない発言。
それは、己にとって好都合な材料が手元にあるからこそ言える言葉だ。
その材料とは、堺がいままさにばらまいたものであり、今の綾の意識を占有しているそれである。
今まで散々な扱いを受けたことに対してもこれで少しは気が晴れるというもの――。
笑いが次から次へと零れてきて、止まらない。
愉悦に浸る男が綾に持ってきたものとは、彼女の夫たる己の意見を聞かず彼女が唯一といってもいいほど固執しているものの別の一面。
草壁 一哉の身上書。
過去に行ってきた悪行。男娼まがいの行為で大金を手にしていたこと―。
堺は、それを綾や水原の一哉に対する信頼を失墜させるのに十分であると踏んだ。
気に食わないものは遠ざける。
自分にとって邪魔なものは、排除する。
使用人に馬鹿にされたままでは腹の虫が収まらない。
これで幾分かは気が晴れるというもの。
悔しそうにあの秀麗な顔が歪むのを想像すると―、己を馬鹿にしてきた綾が自分への見識を改めるのを想像すると―、水原からの信用がおかれるのを想像すると今にも足が踊りだしそうになってくる。
これからが見ものだ―と。
まずは、目の前の女から……。
そう思いながら下卑た笑いを繰り返していた堺だったが…。
―ビリビリッ。
紙を裂く音にはっとした。
笑みを浮かべていた口許は不自然に筋肉が持ち上げられたまま、恐る恐る音のする方に目を向け、綾が自分がぶちまけたものをびりびりに裂いている姿に絶句した。
「なっ!何をしているっ!?」
声を荒げた堺に構うことなく、綾はひたすらびりびりに紙を破ってしまうと、丁寧に紙片をかき集めて、立ち上がる。
そして、迷うことなく自分の部屋の中央にあるテーブルに向かうとテーブル上に置かれていた皿の上にそれらを載せ、引き出しの中からお香を焚くときのために部屋においてあるマッチを取り出すと火をつけて紙片を焼いてしまった。
見る見るうちに灰へと変化し、残ったのは燃えカスのみ。
絶句し、驚愕に目を見開いている堺を綾は、睨みつけると口の端を持ち上げて嗤い返した。
「このゴミがどうかしたかしら?」
悪びれる様子など全く見せずに淀みない口調で聞き返す。
「なんてことをっ!!」
我に返った男はどたどたと足音を立てて、綾に近づいてくると綾の体を突き飛ばして、さきほどまで燃えていた僅かにものが焼ける臭いを残すそれらを確認する。
突き飛ばされた拍子にバランスを崩し、悲鳴をあげた綾は、体を床に打ち付けた。
「これはっ!大事な…」
「あら、だって床に落ちてたんですもの。ゴミじゃないの?」
体を起こしながらも綾は毅然と言い放つ。
男の顔が怒りに赤く染まっていく。
確かに床に放り投げたのは堺だ。
だが、綾の言い分はあんまりだろう。
堺が意図を持って床に投げたのを分かっていながら、綾は寧ろ堺の行動を逆手にとった。
「てっきり、いらないものだと思ったわ」
「そんなわけあるかっ…!」
「じゃあ、床に置かないでよ。紛らわしい」
ふんっと鼻で笑って顔を背ける綾に、ぎりっと歯軋りをする堺。
「残念ね。あなたの言葉だけじゃ、お父様は信じないわよ。余計、怒らせるのがオチだわ」
追い討ちをかけるような綾の言葉に堺は、綾を睨みつける。
その拳は、強く握られぶるぶると震えていた。
表情こそ勝ち誇ったかのように笑っていた綾だったが一発くらいは殴られるかと身構えた。しかし、堺は乱暴に机を叩きつけると部屋を出て行った。
強く叩きつけられた振動のせいで、皿の上にあった灰がひらひらと宙を舞った。
バタンと扉が壊れそうなほど大きな音を立てて閉まると同時に綾がぼそりと呟いた。
「馬鹿な男…」
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