更新日記と小説(18禁)とたまに嘆き.
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2008
Vizard (51)
ゆっくりと階段を踏みしめ、昇る。
1階の廊下を自分に与えられた部屋に向かって歩いている途中に一哉が聞いた2階からの物音。
廊下にいたから大きく聞こえた物音だが、恐らく自室に篭っていたら気づかなかったのではないかと考えながら、一体何だと首を傾げつつ音の発生したであろう方向に自分の勘のみを頼りにして向かう。
大企業の社長の屋敷ということもあり、警備は厳重だ。
防犯対策も確りとなされている。
万が一にも不法侵入者だとか、そういった類のものは、どうしても考えにくかった。
一体、なんだ?と疑問に思うのだが、それも確認すれば全てわかることだろう。
2階の廊下を歩いているとだいたいどの部屋もぴったりと部屋の扉は閉められているのだが、その中で一つだけ少し部屋のドアが開いている部屋があった。
一哉は、眉間に深い皺を刻み、怪訝な表情で足を止めてその部屋を見た。
そして、その部屋が誰のための部屋かということに気づき、一哉の表情はさらに険しくなった。
それが、彼女――綾の部屋だと気づいたからだ。
綾の部屋だと気づいた一哉は、そこから一歩が中々踏み出せないでいた。
綾の部屋は、堺と彼女が結婚した現在、堺がいる可能性が存分にある。
ましてや、新婚と呼べる時期。
体が動かなかった――。
夜中の2時すぎという時刻も時刻。
もしかしたら、物凄く無粋な真似をしでかすことになるやもしれない。
一哉が躊躇うのも無理はない。
恐らく、以前の一年以上前の一哉自身ならば躊躇いもなく入っていくこともできたかもしれないが、今の一哉にそれはできなかった。
ただ、見たくないのだ。
それだけだった。
いつまでも動くことができずにまるで、石のように固まったまま、一哉は薄く開いた部屋の扉を睨み続けた。
見たくない。
しかし、見たくないからと言っていつまでも廊下の外で立ち尽くしていたのでは、ただの変質者でしかない。
気づかなかった振りをして、このまま踵を返すべきか。
それとも、何か大変なことが起きているのならば、放って背を向けるわけにもいくまい。迷った末に、一哉は前へ足を踏み出すことを決断した。
もうすでに開いた状態にあった扉は、軽く押すだけでぎぃっと小さく木の音を立てながら、ゆっくりと開いていった。
部屋の中を確認して、その中に堺の姿はないようだった。
一哉は、自分がほっと変な形容のし難い安堵感を感じていることに気づいていた。
否、わかっていた。形容のし難い安堵感ではなく、形容したくない安堵感であることに――。
安堵したのも束の間、同時に部屋の主である綾の姿もすぐには見つからず、体が硬直し、身構えた。
しかし、部屋の中に足を踏み入れるとすぐに彼女は見つかった。
一哉が立っていたドアの位置からは見えなかっただけだった。
ベッドの影に隠れるようにして彼女は床に座っていた。
肩には、ガウンがかけられていたが、下は素肌で、それまで何をしていたかということを容易に想像することができる。
一哉は、身の振り方に少々困った。
しかし、そんな不安ごともすぐに消失してしまった。
綾は、部屋への侵入者にも気づかずに下を向いたまま、手で頬を押さえていた。
赤く腫れ、熱をもち、じんじんとした痺れを訴える頬を――。
近づいてくる気配にも気づかなかった。
だから、声がかけられたとき、酷く驚いてしまった。
「お嬢様。いかがなさいましたか?」
一哉が声を抑えて、問いかけると綾の体はびくりと大きく震え、がばっと顔を上げた。そして、目の前に立つ一哉の姿に目を瞠った。
「か…一哉……」
震える声で目の前で、自分を怪訝な顔つきで見つめる男の名を呼ぶ。
「物音が1階まで聞こえたので、失礼かとは思いましたがお部屋の中を確認させていただきました」
「…そ、そう」
綾の声を聞きながら、もう一人の人物の姿を探す。
こんな状態の綾を置いて何をしているのだと非難の意味を込めて――。
一緒にいるところなど見たくないと部屋に入るまでは、躊躇っていたのはどこの誰だろうか。
そんなことよりも明らかに尋常でない綾を置いて姿を消している男として―、夫としてあるまじき態度を示すここにはいない男に対して、腹立たしさにも似た感情を一哉は抱いていた。
きょろきょろと室内を見回しても、それらしき人物の影も形もなかった。
一通り部屋を確認した後で一哉は、綾に視線を戻す。
彼女はまだ驚いているのだろうか。零れんばかりに瞳を見開いて、一哉を見つめていた。
一哉は、もう一度よく綾を見ると、それに気づいてぴくりと眉間に皺を刻んだ。
綾の広げた指の隙間から見える白い肌が不自然なほどに赤く染まり腫れあがったようなそれに――。
衝動的に一哉は、手を伸ばし、驚き力が抜けていた綾の腕を掴んで、その手が隠していたものを確認した。
呆気にとられた綾が気づいたときには遅かった。
みるみるうちに一哉は、険しい表情になっていった。
「か…一哉?」
「何があった?」
ここには、自分と綾以外がいないことを分かっていて砕けた口調で問う一哉だったが、果たして堺がいたとしても冷静に彼が対処できたかどうかは甚だ疑問だ。
喉の奥から絞りだすような声には、綾は聞き覚えがあった。
特に、不機嫌であったり、苛立っているときの声。
「何があった?」
もう一度、ぎらりと光る瞳で見つめられ、訊かれる。
それは、一度目よりも低い声だった。
綾は、掴まれた手を強引に動かして、拘束から解放されるともう確りと見られていて今更隠しても遅いというのに、再び赤く腫れた頬を広げた手のひらで隠した。
「…あ、あなたに関係ないわ」
責めるような一哉の視線から逃げる。
ギリっと奥歯を強く噛み締めると一哉は、立ち上がり大股な足取りで部屋を出て行く。
遠ざかる人の気配にはっとした顔で綾は、一度は目をそらしたはずの一哉の背中を追いかけた。
しかし、背を向けた彼は一度も振り返ることはしなかった。
自分と堺の問題だと思い、拒絶の言葉を吐いたのは、自分自身。人に頼るのは簡単で、それでも縋るのは、間違っていると思った。
拒絶の言葉を吐いておきながら、それでも近くにいて欲しい。
言動と心が一致していなかった。
待ってと言えたら…。
でも、言えなかった。
項垂れたように自分が座り込む床に敷かれた絨毯を食い入るように見つめる。
瞼を深く閉じた。
口の動きだけで、一哉の名を呼ぶ。
「手、離せ」
素っ気ない声が聞こえてきて、綾は再度驚きに目を見開いた。
ゆっくりと顔を上げて、確認すると一哉が立っている。
顔は強張っていて、何を考えているのか綾には分からない。一哉は、綾と目があうと体を屈め、綾と目線を合わせる。
ゆっくりと綾の頬に置かれた手を取ると代わりに手にしていたものを押し当てた。
「…つめたっ……」
小さく零れた声。
水で濡らされたタオルだった。
一哉は、それを手にして戻ってきたのだ。
てっきり自分のことなど捨ておいて戻っていってしまったのだと思っていた綾は、驚きに言葉も出なかった。
「気休め程度にしかならないが冷やしておけ。人を呼ぶなら誰か呼んでくるが、どうする?」
声に険しさはなかった。どこか気遣うような声。
綾は、目頭が熱くなるのを感じた。
しかし、軽く首を振って自分を落ち着けると自分の言葉を待っている男に命じた。
「東を呼んで頂戴」
東というのは、使用人の中でも一番の古株の女だった。
綾の母親の死後、綾の面倒を見てきたのは、彼女と言っても過言ではない。
一哉は、そう口にした綾の迷いのない瞳を見て、寒気のようなものを感じた。
しかし、一哉に綾の胸中を推し量ることなどできなかった。
たとえ、できたとしても止められたかどうかは定かではない――。
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