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2026

0211
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2008

0508

Vizard (39)




一哉は、後味の悪いまま夜を迎えていた。
簡素なベッドに横になっていた一哉だったが、寝つきが悪く何時まで立っても睡魔は訪れそうになかった。
知らず知らずのうちに彼の身体は、興奮していたのかもしれない。

それでもじっと睡魔が訪れてくれるのを待っていた一哉が漸く訪れた睡魔とともに、これで眠れると微睡んでいたところへ自分の部屋の扉が開く音を聞き、ぱっと目を見開き身体を起こした。
夜でも灯りが付きっ放しになっている廊下からの光が、僅かに開いた扉の隙間から室内に差し込む。
それと同時に扉に立っている人物のシルエットを写す。
暗闇から光が差し込んでくる時の瞳孔が慣れるまでの眩しさを感じながら、目を細めつつ部屋の入り口であるドアへと目を向ける。
ぼんやりとだが、一哉が捉えたその陰は細かった。
少しずつ目が慣れてきた一哉だったが、はっきりとそれを捉えるまでに、それは部屋の中に身体を滑りこませると後ろ手に空いた扉を閉め、そして一哉に飛びついてきた。
再び暗闇が訪れた室内の中で、一哉は飛びついてきたものから鼻腔を刺激する香りが、よく見知ったものだと悟り、目を見開いた。
甘い、それでいて不快にならない匂い。
思わず力ずくで抱き返しそうになるのを理性で堪えた。

―己のためにも、彼女のためにもならない。

非力な腕の力で自分に抱きつくその細い身体を引き剥がそうとして手に意志を込め、彼女の肩にかけた。
しかし、それは不意に紡がれた言葉にぴたりと止まる。

「分かってる」

何を?と問うような真似はしなかった。
続きを待つ。
彼女の肩に手を乗せたまま――

それは、ただ一哉が彼女に触れる手を離せなかっただけなのかもしれない。
聞くだけなら、彼女に触れている必要などない。

「分かってるの…。一哉が私を嫌いなことも…」

思わず咄嗟に、違うと口にしそうになった。
しかし、数時間前にその口で彼女を傷つける言葉ばっかり吐いておきながら、今更どの面下げて訂正することなどできようか。否、もとより訂正するつもりもなかったことだ。
ただ、それを彼女に言わせていることに途轍もなく後ろめたさを感じるだけなのだ。
きっと――

「でも…。でも、お願い」

と口にした彼女の声は震えていた。

綾は、一哉の肩に顔を伏せたまま何度も何度も、ここへくるまでに脳内で繰り返した台詞をもう一度、頭の中で繰り返した。
今まで以上に手酷く一蹴されるという最悪のシナリオも想定しながら…。

「最後、これで最後にするから……」

一度、間を置き、俯けて一哉の顔を見ないようにしていた綾だったが、ゆっくりと顔を上げて暗がりの中、夜目が効き、はっきりと知覚できる一哉の瞳をじっと見つめた。
一哉も黙ったまま自分へと向けられる綾の2つの瞳を同じように見返した。





――抱いて」





静かな最後の懇願に、一哉は目を見開く。
想像もしていなかった台詞に、絶句し、言葉は出てこなかった。
肌と肌が密着しそうなほど近くで見詰め合っていた2人だっただけに、綾は一哉が驚愕の表情を浮べているのに気づいていた。

もう既に、―否、最初から嫌われているのだ。
今更どのように思われても構わない。
どんなはしたなくて、厭らしい女に思われようとも…。

たとえ、それが、一時のものでも構わない。
全てが欲しい。
この少年の――
全てが……。

息をも忘れて綾の顔を見つめる一哉。
暗闇の中の彼女の表情は、真剣そのものだった。

――どこまで……。
どこまで、愚かなのか…。
自分という人間に、そこまで捧げるとは――
そして、それを拒絶できない自分という人間は――

表情の静けさとは打って変わって、心臓は五月蝿いくらいに早く拍動を繰り返していた。
相手にそれが聞こえているのではないか…と危惧したが、それも今更のことだ。
じっと、一哉が口を開くのを待つ。
それは、ひどく長く、そして、ひどく怖い時間だった。
期待というよりは、恐怖――
しかし、その時間は唐突に終わりを告げた。

「きゃっ」

軽い悲鳴があがる。
ぐいっと強い力で引き寄せられたかと思ったら、世界は反転していた。
簡素なベッドの上に仰向けに転がされ、上から睨みつけるような一哉の視線が自分へと注がれていることに気づく。
獲物を狙う肉食獣のような男を感じさせる強い眼差しにどきりとして、身体にさらに緊張が走る。
顔は紅潮し、早鐘を打ったように心臓がバクバクと脈打つ。

「後悔するなよ」

と口にしたのは、一哉自身なのに、一哉の方が苦しそうな声で、苦しそうな表情をしていた。
綾は、そっとすぐ近くにあるその彼の頬に手を滑らせる。
冷たいその感触。
忘れないように、指先に覚え込ませるように滑らせた。

「しない…」

はっきりと口にした。
射竦めるような視線に臆することなく、同等の―いや、それ以上の眼光の強さで見据えて――
そして、告げる。

「しないわ。だから、そんな顔しなくていいの」

一哉は、綾の言葉にはっと顔を硬直させた。

「悪いのは、私。我侭言って困らせて…。だから、一哉がそんな顔しなくていいの」

ぎりっと奥歯を噛み締める一哉だった。
自分がどんな表情をしているかなんて分からなかった。
知らず知らずの内に、余裕を失くしていたに違いない。
優位に立っているようで、実のところ包容力を要していたのは、綾だった。

「…最後の……」

一哉は、まるで気まずさを覆い隠すかのように、綾が皆まで言い終わる前に少し乱暴な動きで綾の唇を塞いだ。
突然の性急な動きに、最初こそ目を瞠って驚き、2、3度身じろぎをした綾だったが、すぐに静かに瞳を閉じて、自分よりも2つほど年下の少年から与えられるものを感受した。
一哉の動きも性急で、乱暴なものだったが、それはすぐに形を潜め、後は泣きたくなるほど甘くて静かでいて柔らかな手だった。

忘れるための行為。
諦めるための行為。

忘れないように、肝に命じるように、2人は触れ合った。
2人だけの暗い空間で…。

忘れるための、諦めるための――忘れられない甘い、切ない口付けを交わす。
誰にも邪魔されないこの場所で…。

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