更新日記と小説(18禁)とたまに嘆き.
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2008
Vizard(73)
「ねぇ、ねぇ。遊びに行ってきてもいい?」
子供の少し甘えたような懇願する声が響く。
毎度のことながら、遠巻きに眺めるものたちは、微笑ましい光景に目を細めるばかりだ。
まだ、幼い小さな手で大きな大人の男の手を掴むと力加減もなく、ぶんぶんと振り回す。
その所為で体を揺さぶられながらも、自然と顔は綻ぶばかり―。
上背のある男を首をこれでもかと曲げて、仰ぎ見ながら上目遣いにしきりに懇願する少年。
すらりと伸びた手足、はっきりとした顔立ちは将来が実に楽しみな風貌だ。
ましてや、これが血の繋がった息子ならば可愛くないわけがない。
今も良い答えを期待したらんらんとした瞳でじっと男を見つめている。
「今日は…」
「わかってるってばぁ。それまでには帰ってくるから!お母さんが一哉が良いって言ったら行ってきても良いって言ったんだもん。ねぇ、いいでしょ?」
ソプラノの声がそう告げるのを聞いて、子供にぐいぐいと腕を引っ張られながら「全くあの人は…」と心の中でため息と同時に零す。
自分に注がれる期待に踊る瞳を見つめ返しながら、苦笑を浮かべつつも仕方なさそうな声で告げる。
「きちんと時間までには、帰ってくるんですよ」
苦笑いとともに彼が云うとぱあっと少年の顔が輝き、嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
「うん!ありがと!」
「その代わり、今日は…」
「いってきまぁす!」
男が皆まで告げる前に、脱兎の如く飛び出して行った少年の耳に男の言葉は届いてはいなかっ。
男がはぁっと息を吐き出しながら、がっくりと肩を落としているとくすくすと笑う声が聞こえてきて、そちらに目を向けると肩を揺らしている同僚と目が合う。
肩を竦めて見せる男に、首を横に振る彼女達。
「あら、でかけちゃったの?」
そこへ、ぎしっと古い家特有の床の軋む音をさせて現れた女が問う。
「…ええ、そうですよ。では、私もいってきます」
息子に自分が良いと言ったのならば遊びに行ってきてもいいと―そう告げた張本人である女に少し恨めしげな視線を送る男に、彼女は気づいているのか気づいていないのか意味深に笑うだけだった。
「よろしくね」
女の言葉を背に受けながら、本来の自分の職務である既にこの場から姿を消した少年の後を追うべく玄関へと向かった。
いつもの午後の一時が、いつものように流れていた。
男の仕事は、たった今まで自分にしがみついていた少年から危険を遠ざけること―。
とはいえ、始終ついて回るのも子供からしてみれば鬱陶しいものこの上ない。
遊びたい盛りの子供からすれば尚更のことだ。
だから、いつも後からこっそりとついていくだけに留まっている。
それは、男の独断で決めたことだったが、子供の母親も容認しているが故に今まで不満等が出たこともない。
「おや、怜迩様どこかにお出かけで?」
「うん!遊びに行ってきまーす」
庭で水やりをしていた老人が小さな少年の姿に気づき、声をかけるが、少年―怜迩は、この後のことに気を取られているのか相手を見ることもなく老人の横を通り過ぎながら大きな弾んだ声で答えると颯爽と姿を消してしまった。
微笑ましい光景に老人の頬の筋肉も緩む。
そんな老人の耳に庭に敷き詰められた砂利を踏む足音が聞こえてきて、口許に笑顔を象ったままそちらへと顔を向けた。
「ご苦労様です」
老人の視線に気づいたその靴音の持ち主である男が一礼すると、口から軽い笑い声を零しながら、目を細めた。
「お元気で何よりです。ついこの間まで、はいはいしていたような気がするのは私だけですかなぁ」
もう姿の見えなくなった誰もいない空間を細めた目で見つめては、誰に聞かせるでもなくそう口にした。
老人と同じように視線を老人から恐らく怜迩が姿を消したであろう方向へと向けていた男に、老人は喉の奥で笑った。
「私のような老いぼれとこんなところでのんびりしていると見失ってしまいますよ。子供は見当もつかないところにすぐ行ってしまいますからな」
という老人の言葉にそれもそうだと思った男は、老人に一礼すると足早にその場を去り、怜迩の後を追いかけた。
今から遡ること数年前――。
国内有数企業の社長の溺愛する娘―水原 綾は決して事実が他者に知られてはいけない出生を持つ赤子を産み落とした。
赤子の父親は、水原が娘にボディーガードとしてつけた草壁 一哉である。
対外的には、赤子の父親は、綾の戸籍上の夫である旧姓・堺―水原 正一の子供となっている。
名を怜迩と名づけられた子供は、成長して8歳になっていた。
彼は、親の欲目なしにも、聡明で勘の鋭い子供だった。
遊びの中に潜ませた英才教育の数々―。
彼は、まるでスポンジが水を吸うかのように吸収してしまっている。
但し、初孫であり、唯一の孫である怜迩を猫かわいがりし、甘やかす水原の存在や、その他の人間に至れり尽くせりの生活を教えられた子供は、同年代の子供よりも傲慢で、自分勝手な子供として育っているのかもしれない。
そんな兆候がみられた。
それでも誰も咎めるものなどいなかった。
―否、咎められるものがどこにいようか…。
この8年間、戸籍の上での父親である堺は、怜迩の前に姿を見せたことはなかった。
全くということではないのだが、少なくとも怜迩の記憶に残っている父親の姿は、朧気だ。
怜迩は、父親というものが、知識として何かは知っているが、実体としての父親は知らない。
それこそ、まだ赤子の頃に何度か対峙はしているのだが、そのたびに一哉が堺から遠ざけた。
何かをしでかしかねない暗い瞳に本能的に危険を感じた一哉の判断だった。
強ち、それは間違いではなかったのかもしれない。
堺は、いわば怜迩が成長するまでの繋ぎでしかないのだ。
怜迩が成長して、水原を告げる人間に成長したときには、用済みとなる。
その時のことを想像しては、実際に危機感を堺は感じていた。
己の血を引いていない己の子に、忌々しさすら感じていた。
それは、日を追うごとに徐々に増していくばかりだった。
いっそのこといなくなれば、全ては自分のものになる―。
男の危険な思想を一哉は感じていたのだろう。
一哉は、怜迩を堺に近づけないその点だけは徹底した。
怜迩が意志を持ち始める頃には、既に怜迩は堺には全く近寄らないようになっていた。
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