更新日記と小説(18禁)とたまに嘆き.
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2008
Vizard (55)
外に出ると、陽が落ちてきたことで少し暗くなってきていた。
早く戻らないと小言の一つでも言われそうだと思いながら足早に帰路につく。
駅に向かう途中で、信号によって足止めされた一哉は何気なく道路の向こう側に目を向けていた。
何気なく行きかう人の流れを見ていた。
時刻は、丁度仕事が終わり、家へと帰宅するサラリーマンなどで人通りが多い時刻らしく、行きかう人の数は多い。
信号が赤から青へと変わるのを待ちながら、それをただ呆然と眺めていた一哉だったが、ある一角を見つめて体に緊張が走る。
目を何度も瞬かせてそれを注視した。
見間違いではないかと我が目を疑ったが、そんな都合のいいものではなかった。
やがて、信号が青に変わったことで一哉と同じく信号待ちをしていた人間が歩き始めるが、一哉は動くことができなかった。
通り過ぎていく人の肩がぶつかっていき、2、3歩足がまごつくことがあったが、それでも視線は逸らすことはできなかった。
行きかう人という障害によって、視界が塞がれる。
次に、見た時にはそこにあった姿は消えていたが、見間違いなどではないだろう。
それは、堺の姿だった。
堺だけなら、問題なかっただろう――。
肩を組んで歩く女の姿さえなければ、一哉とて堺の姿など捨て置いたに違いない――。
堺の姿が見えなくなった後も、つい先ほどまで姿があった空間をいつまでも立ち尽くして見つめていた。
信号は、再び青から赤へと変化していた。
手にしていた封書を強く握り締めた所為か、不自然な深い皺を刻んでいた。
「ご苦労様です」
屋敷へと帰りついた一哉が差し出したものを受け取りながら、東がねぎらいの言葉を口にする。
彼女は、深く刻まれた皺に気づいたようで、咎めるような視線を一哉に送る。
その視線の意味を悟った一哉は、気まずげに視線を逸らしながら小さく言い訳を口にした。
「すいません。電車の中が混雑していたもので…」
言い訳を口にしながら、自分へと向けられる鋭い視線にどうも落ち着かない気分を味わいながら、早くこの時間が過ぎてくれることを願った。
どうにも無言のうちに責められているような気がしてならない。
できることなら、この場から早く解放されたい。
「…まぁ、いいでしょう。もう結構です」
そう告げると彼女は受け取るもの受け取ってさっさと一哉の目の前から老婆は去っていった。
彼女の視線が外れた瞬間、ほっと安堵の息を漏らす自分に、思わず苦笑してしまった一哉だった。
そして、いつまでもその場で呆けたように立っているのも間抜けだとその場を立ち去った。
自室へと戻るために歩いていると向かい側から綾が歩いてくるのに気づいた。
綾の顔を認識すると同時に、一哉の脳裏に自分が帰り際に見た堺の姿がフラッシュバックする。
まだ、事実関係ははっきりしたわけではないが…。
あの様子では、一哉の予想は全く外れていないだろう。
堺は、不倫をしている。
それを、目の前の彼女は知っているのだろうか――。
恐らく、知らないだろう…。
「今まで、どこかに出かけていたの?」
一哉の姿に気づいた綾が、近寄ってきては彼に問うた。
恐らく、外に出かけていたような格好の一哉を見て聞いてきたに違いないだろうが、彼女は一哉が自分から顔を背けたことに気づいて目を瞠った。
「ああ…まぁ」
「一哉…?」
おざなりな返事をして背を向けようとした一哉の耳に、兄の声が聞こえてくる。
それは、決して自分に向けられたものではないが、自然と足が止まった。
「お嬢様」
「あら、宗司。まだ居たの?」
一哉に見せる態度とは、本当に異なるものだ。
宗司は、特に気に留めた様子もなく、綾と一哉の近くまで来ると、一礼した。
「これにて、失礼します」
「そう」
主である綾の返事を聞くと宗司は、2人の側を離れた。
一哉の横を通りすぎる際に睨みつけるのは、相変わらずでいつもなら笑い返してやるところだが、一哉はただ宗司の顔を見返すだけだった。
いつもとどこか違う弟の様子に気がついたのか、虚を突かれたような顔をした宗司だったが、足の動きを止めることはなかった。
下手に一哉を突っつくと綾を不快にさせ、ひいては自分の身が危うくなるということを理解しているからだ。
綾がこんな弟の何を気に入っているのかは宗司には理解できなかったが、主は絶対なのだ。
どうせ、窮地に立たされたときに助けにきたのが一哉だっただけに違いないと自分を納得させるように言い聞かせた。
それが、もし自分であったのならば、今の一哉の地位は自分のものだったに違いないと綾の胸中を知らない自分本位な考えしかできない男は、思った。
そして、過去の自分の振る舞いを後悔した。しかし、過ぎ去ったことだ、ぜんまいのように時間は戻すことはできない。
今、彼にできることは、余計な波風は立てないでおくことだけ――。
一哉は、背を向けた兄の背中を追いかけていた。
じっと兄を見つめたまま動かない一哉を怪訝に思った綾は、一哉の顔を不安気な瞳で見つめていた。
「一哉?」
弱弱しい声で綾が一哉の名を口にしたことがまるで引き金になったかのように、一哉は綾の声に反応することなく、兄の影を追うようにして宗司の後を追った。
当然、驚いたのは、綾の方で一哉の後を追いかけた。
しかし、すぐに廊下ですれ違った使用人の一人に寄って東が呼んでいると言われてしまい綾は足を止めざるを得なかった。
綾のことなど全く気にもかけずに一哉は、兄の後を追いかけ続けた。
去っていってしまう一哉を気にしつつも、綾は使用人の言葉に頷いた。
「兄上!」
どこか切羽詰った声で呼びかけられ、宗司は自宅に帰るために乗り込もうとしていた車のドアにかけていた手を止め、振り返った。
自分をこう呼ぶ人物など、この屋敷に一人しかいない。
ゆっくりと振り返ると厳しい顔つきをした一哉がそこにいる。
「何だ?」
「お願いがあります」
緊張した面持ちでそう口にした弟の姿に兄は多少なりとも驚きを隠せない様子だった。
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