2008
「もう、一体何よ」
「だって話は、聞いてあげないとね」
むすっと眉を顰めた深岬に対して、したり顔で笑うのは雪子だった。
練習後の更衣室で着替えていたところを雪子にジャマされた上に、見事に痛いところを突っつかれた上に、自分から怪しい態度をしてみせれば相手も当然気づくといもの。
薮蛇と気づいた時にはもう時はすでに遅し…。
帰ろうとする深岬をずるずる引っ張って大学近くの居酒屋に2人で入り込む。
というのは、少し語弊があるかもしれない。
1人は明らかに浮かない顔なのだから――。
言うまでもなく深岬である。
「まぁまぁ、リョウちゃんのことで悩んでたときに助けてくれたしね…今度は、私が深岬の話を聞いてあげよう」
と偉そうに腰に手をあてて言う友人の顔をひどく疑わしげに深岬は見返した。
深岬のそんな視線に気づいたのか、彼女は「何よ?」と深岬に対して少し眦を吊り上げてみせる。
「あんたのは、楽しんでるだけでしょ」
「あ?わかるぅ~?」
分かるも何もバレバレだっつーの。
心の中で深岬は毒づく。
雪子の顔には、でかでかと書かれていた「楽しんでます」と。
「まずは、飲むか」
と言っていつもの如く、焼酎を頼むあたりが雪子というところか…。
部活できているわけでもないのに、酒に対する姿勢は変わらない。
ただ、単に飲む口実が欲しかったのかもしれない。
以前まで、頻繁に小島・坂上の3人で飲み会をしていた雪子だったあ、小島に慶子という雪子もよく知る人物である彼女が彼の恋人になってからというものの3人の関係は疎遠だ。
気まずさのようなものもあるのかもしれない。
店員を呼びつけて注文する雪子を盗み見ながら、ふぅと溜息を一つ零した深岬だった。
「それで?」
やっぱり聞くのか…と深岬が内心舌打ちしたのは、雪子には秘密。
深岬が白状するまでずっと付きまとってきそうな雪子の態度に、少しばかり辟易した。
まぁ、いずれはバレてしまうことかもしれない…と己を納得させて、深岬はコップに入った酒を一気に喉の奥に流し込んだ。
その深岬の様子に虚を突かれたように驚き、目を見張るのは深岬から何かを聞き出す気まんまんだった雪子だった。
「どしたの?」
「別に…それで、あんたが聞きたいのは?」
「もう言わなくても分かってるでしょ?」
「はいはい」
「それで?」
「あんたさっきからそればっか」
「もういいからさっさと教えてよ。彼氏ができたわけじゃないでしょ」
と確認するように聞いてくる雪子にはこっくりと首を縦に一回振って頷いてみせる。
出来ていたら、今頃自分は、どれだけ気分が浮かれていたことか…。
「坂上が絶対男出来たって騒いでたからてっきりそうだと思ってたのに…」
「近からず遠からず」
「へ?」
深岬の言葉に雪子が顔をがばりと上げた。そして、深岬の顔をまじまじと見つめる。
「彼氏じゃないけど?」
「といいますと…?」
「片思いだけど…」
目を合わして話すのは、何となく気恥ずかしかったので顔を逸らして言う深岬だったが、相手がテーブルに乗り出すようにして自分を見ていることに気づいた。
「誰?部内?それとも全く別のところ?」
「そこまで聞く?」
「聞く」
断言されてしまい、苦笑を浮べるしかない。
「雪子も知ってる」
「え…?じゃあ、部活?」
驚いたような顔をしつつも深岬は尋ねられて正直に頷いた。
「誰か聞いていい?」
「何それ?聞く気まんまんだったじゃない」
今更遠慮がちに聞いてくる雪子に今更何をそんなに遠慮するのかと鼻で笑ってみせる。
「そりゃ、ま、そうなんだけど…」
「知ってるも何も、坂上さんだもん」
坂上の名前を口にするのに躊躇いはなかった。
ただ、ひどく驚いた顔をしている雪子が印象的だった。
そして、すぐに顔つきが険しくなったのを目にして、身構えた。
「…雪子?」
「坂上、彼女いるじゃん」
さっきまでの明るい声が嘘のようにトーンダウンする。
「知ってる。会ったもん」
「それなのに?」
「うん。ま、あの2人に限って別れるようなことはなさそうだけど…ラブラブだったし」
と言うと雪子がますます険しい顔つきになっていく。
どうしたのかと深岬の方が心配になる。
「どうかした?」
「アイツだけは、止めといた方がいいよ」
「…どういう意味?」
「アイツ浮気性だし、今の彼女に隠れて目一杯遊んでる。それに…アイツには絶対告らないほうがいいよ…」
浮気性だという単語は、前に望が言っているのを聞いた。
雪子もそう言っているということは、本当にそうなのかもしれない。
「は?」
「都合のいい女扱いされるよ」
雪子は、坂上の何を知っているのか…。
深岬は、雪子の忠告ともとれる言葉を聞きながらそう思った。
険しい顔つきで語る雪子を見つめることしかできなかった。その間にも、雪子はただ深岬に考え直させるような言葉をずっと言い続けていた。
「ね?坂上だけはやめといた方がいいって。遊ばれてぽいっだから…」
「で、でも…」
もう遅かった。
引き返すことはできないと深岬は思った。
どっぷりもう嵌まってしまっているのだ。
数ヶ月前に他人に指摘されて気づいた時には、もうすでに手遅れだったのかもしれない。
深岬が、坂上のことが好きだと告げてからというものの深岬と雪子の間には妙な空気が流れていた。
深岬が傷つくことを考えて諦めさせたい雪子ととうに踏ん切りがつかなくなっている深岬。
2人の言葉は、平行線を辿ってしまい…。
どちらからともなく帰ろうと言い出し、席を立つ。
外に出て並んで歩く。
とうに終電は出ていて、深岬は自宅へ帰る手段はなく…、雪子の家に泊まる予定になっているのだが、帰りの道で深岬の頭を駆け巡っていたのは、雪子に言われた言葉だった。
雪子の言うとおり、諦めるべきなのかもしれないと妙な不安を覚える。
ちらりと横目で雪子を確認すると彼女は、唇を引き結んで前を真っ直ぐみて歩く。
深岬の視線にも気づく気配はなかった。
深岬は雪子と同じように視線を前に向けると小さく声を発した。
「あ…」
「どうしたの?」
即座に雪子が深岬の声に反応した。
深岬が思わず声を出したのは、自分の向こう側から歩いてくる人物に見覚えがあったから…。
友人達だろうか。クラスでは見かけない顔数人の中央にいて歩いてくるのは、涼子が新しくターゲットとしている津田 旭だった。
向こうも深岬の顔に気づいたようで…。
深岬の顔を見て、目をわずかに見開いた後、いつかのすれ違ったときのように見蕩れるような笑顔を振りまく。
「知り合い?」
横から聞こえてくる雪子の問いには、うなずくだけで返事をした。
その間にもどんどんと近づいてくる。
というよりも、集団の中から抜け出してくる。
それに困ったのは、深岬。
言葉も碌に交わしたことがないというのに…。
慌てて近づいてくる津田から逃げようと視線を泳がすがその行動に意味はなかった…。
「じゃ、ここで」
と何故か後方の集団に手を振っている。
「んだよ。女かよ」
「お前、後で覚えてろよ」
「おつかれ~」
ついさっきまで、津田と一緒にいたであろう集団の男達はぞろぞろと姿を消した。
困ったのは、深岬で…。
さらに、その直後、深岬は途方にくれることになる。
「た、すかったぁ」
という声を聞いたと思ったら、急に身体に重みがかかる。
驚いているヒマもなかった。
津田の長身の身体が自分に覆いかぶさってきたのだから…。
「ぎゃあ!何っ!?」
みっともない声をあげて見た目は細身に見えるとは言え、重い身体を自分の身体ひとつで支える。
そんな深岬の耳に静かな寝息が聞こえてくるから吃驚だ。
「何で寝てるのさ!!さっきまで歩いてたじゃないっ!」
「大丈夫?」
「見てわかるでしょ!?大丈夫じゃないってば!」
心配そうな顔で覗き込んできた雪子にヒステリックに叫ぶ。
突然、ふってわいたような人という荷物に、深岬は困惑するしかなかった。
雪子に言われた坂上のことなど綺麗さっぱり抜け落ちていた。
正確に言うならば、そんなことより兎に角目の前の自分に覆いかぶさって寝た男をどうにかするほうが先だった。