2008
Vizard(5)
「あの子可愛いわよね」
自分のクラスで横に座る友人の声に綾はふと顔をあげて友人の顔を見返した。
「あの子?」
綾が怪訝な顔つきをしたのに対し、友人は可笑しそうに口元に手をあてて笑った。
鳩が豆鉄砲を食らったみたいに目を丸くした綾の顔が余程面白かったのか…。
「やだぁ。わからない?皆も言ってるのよ」
「わからないわよ…」
友人の言い方に少しむっとしたように眉間に皺を寄せる。
「あの子。よく綾を探しにくるじゃない?結構、あれを楽しみにしてる子おおいのよ?」
「ああ…一哉のこと?」
そこで漸く友人が口にした存在が、最近付けられたばかりの一哉だと悟る。
一哉の顔を思い浮かべて確かに、顔は他の兄弟と違って可愛い顔つきをしているかもしれないが、綾からしてみれば、そんなことどうだっていい。
取り分けて話題にあげるようなことでもないと思っていた。
はっきり言って理解できないとさえ思った。
「そうそう。あの可愛い顔で微笑まれたら。もうダメよ…」
と顔をうっとりさせて言う友人の顔を横目に見ていた綾だったが、突如にっこりとその顔に笑みを浮べた。
「デートする?」
綾の言葉に、友人はきょとんとした顔で綾を見返した。
しかし、すぐに机の上に置かれた綺麗に手入れのされた綾の手をばっと掴んで握ると目を輝かせて頷く。
「いいの?」
「いいわよ」
くすりと笑みを零した。
漸く今日の自分の仕事が終わると…一哉は思いながら綾の後ろをついて正門の傍で綾の帰りを待つ兄のもとに向かっていた。
これが終われば、一哉には自由な時間が与えられる。
やれやれと思いながら一哉は、兄の待つ場所へと向かっていたのだが、何故か今日に限って綾の横には、彼女の友人がいた。
見覚えのある彼女の顔は、以前綾を探していたときに、キスをせがまれた女子生徒で…。
何故か、一哉の方を何度もちらちら確認する。
あの時は、面倒でせがまれた通りのことをしてやったが、こうやってしてみると面倒だと感じざるを得ない。
自分は、さして大したことだと思っていないので平然とした顔で相手と顔を付き合わせることができるが、相手は違うパターンが往々にしてある。
そう、目の前の彼女よろしく…。
居心地の悪さを感じながらも、自分へと向けられる視線には、気づかない振りをした。
どうせ、後少しだ…と自分に言い聞かせて。
直ぐそこに兄の姿が見えていた。
「お帰りなさいませ。お嬢様」
「ありがとう」
「どうぞ」
正門で待っていた一哉の兄の宗司が、車のドアを開けて綾に促がす。
軽く礼を言いながら車に乗り込む綾だったが、くるりと一哉の方に顔を向ける。
一体何だろうか?と一哉は一瞬、身構える。
「一哉」
「何でしょうか?」
「彼女を送ってあげて。私の大事なお友達なの。何かあったら許さないわよ」
とだけ言い切ると綾は車に乗り込んだ。
バタンとドアが閉められ、一哉が聞き返す時間はなかった。
一哉が綾の言っていた相手を見るとにっこりと笑い返してくるので、同じように笑い返した。
面倒なことを…と思っても顔には出さなかった。
彼女の我侭や突拍子もない命令に従うことが己の仕事なのだ。
「行きましょうか?どちらです?」
柔らかな口調で2人きりになった相手に問う。
車の後部座席から、窓の外に映る2人の姿を見ながら綾は、くすりと笑みを零した。
そこに映る常に穏やかな表情、柔らかな笑み……確かに友人の言うとおり、可愛いといえるかもしれない一哉の姿ある。
そして、常に顔色を変えない少年が今の自分の要求に戸惑っているように見えるのは気のせいだろうか。
それは、綾を充分に満足させるものだった。
「お嬢様、いかがなさいましたか?」
「なんでもないわ。出して頂戴」
「かしこまりました」
綾のかすかな笑い声が運転席に座る宗司の耳にも届いたようで…。
だが、宗司の問いには、なんでもないと答えて車を出すように命じる。
主である綾の命令に宗司は、特に意見を言うこともなく従いアクセルを踏む足に力を入れた。
わずかな振動音を身体に感じながら、目を窓の外に向けていた綾だったが、2人の横を通りすぎるときに一哉と目があったような気がした。
車が2人の横を通り過ぎると綾は興味を失ったかのように窓の外から変わり映えのしない車の中に視線を戻した。
そして、ハンドルを握る一哉の兄である宗司の顔を斜め後ろからじっと見つめた。
流石に、食い入るような綾の視線に宗司は怪訝に思ったのだろう信号が赤になったところで綾を振り返る。
「いかがなさいましたか?」
「え?」
宗司の言葉にはっとして彼を見返すと相手がふっと相好を崩す。
「私の顔をじっと見つめていらっしゃったようですから」
指摘されて漸く自分が彼を見つめていたことに気づく。
慌てて視線を逸らした。
「あ、ごめんなさい」
「いえ。私の顔に何かついていましたか?」
「え?そんなことは、ないわ。ないわよ」
「では、どうなさいましたか?」
と尋ねられて、綾は一瞬彼女には珍しくも言うか言わないか逡巡した。
ずっと気になっていたことだった。
俯きがちに視線を泳がし始めた綾に宗司は、目を細めた。
「一哉が何か失礼なことでも?」
そう尋ねる宗司の声音は、綾にも分かるぐらい冷ややかだった。
「そんなことはないわ」
ここで頷いてしまえば、一哉は自分の護衛から外されて自分はあの男が望むように女子高へと編入させられる。
それに、一哉自身に不満はない。
自分のやっていることも黙ってくれている。
ついて回るという若干の煩わしさはあるが、それは致し方ないもの。いてもいなくても困らない存在程度だ。
「…ならいいのですが…」
否定の言葉を口にした綾に宗司が答えた直後、信号が赤から青に変わったので車を再び走らせる。
丁度、アクセルを踏んだときに綾が小さな声で尋ねた。
「ねぇ、何で一哉って一番下なのに名前に一っていう文字が入ってるの?」
綾の問いに宗司のハンドルを握る手がぴくりと震えた。
バックミラー越しに綾の顔を伺う。
「何だか他の3人とは似てないし…年も離れてるし」
その問いに宗司は大きく溜息を零した。
綾は、その吐息の大きさに反応したように宗司の顔を伺う。
「そのことについては、私の口からは何ともお答えできません。一哉に聞いてみてください。お嬢様がお聞きになればきっと答えてくれますよ」
というよううに宗司からは、含みのあるような答えは得られても綾が望むような答えは得られなかった。
別に、宗司が答えても問題はないことなのだが、彼が答えるのを拒んだだけだった。
しかし、綾からしてみれば何か根深い問題でもあるのかと想像してしまうような答えで…。
すっきりとしない顔で、ハンドルを操作する宗司の顔を見続けた綾だった。
だが、終ぞ答えを得ることはできなかった。