更新日記と小説(18禁)とたまに嘆き.
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2008
Vizard(15)
それは、一哉と綾が夏休みに入る前のこと。
綾は、婚約者である堺に連れられてオペラ鑑賞に来ていた。
しかし、上の空は相変わらずでほとんどまともに鑑賞などしていなかった。
横にいた堺は横目でそんな綾を何度も確認していた。
咎めるような堺の視線にも綾が気づくことはない。
舞台を見ていてもそこに居る人物は見ておらず、瞳はどこか虚ろ。
かと思えば下を向いて、手遊びをするように動かしていた指の動きを追いかけては、物憂げなため息をつく。
これでは、誘ってくれた堺にもそして、舞台の上で歌う声楽者にも失礼というもの―。
心ここにあらずといった綾を連れてオペラの公演が終了した後、堺は予約してあったフレンチレストランへと誘った。
そこでの綾も相変わらず。
全く堺の声には、耳も傾けず、これまでなら聞いていないにしろ適当に相槌を返していた筈の綾だったが、それすらもなかった。
堺の顔は、当然曇る。
男としてもプライドが傷つかないわけがなかった。
「どうしたんですか?心ここにあらずといった感じですね」
わざとらしく咳払いをした後、大きな声で堺が発した言葉は、その声の大きさに綾がはっとして顔をあげる。
「え…。な、何かしら?」
とは言っても男の言葉は聴いていなかったようで、とりあえず何かを言っていたということだけ分かったようだった。
もう一度、綾が確認すると堺は、顔を強張らせたまま眉尻をぴくぴくと動かした。
流石に男の表情を見て、一緒にいるはずの堺を置き去りにして自分の考えの中に埋もれていたことに気づく。
「…何を…いや、誰をと聞くべきですかな?」
「え?」
不快そうな表情を浮かべたまま言葉を口にする堺の顔を食い入るように見つめた。
動揺のせいかうまく取り繕うこともできなかった。
「僕といるのに、他の人間のことを考えるなんて許せないな…」
と睨みつけるように堺が言うと綾は顔を俯けた。
男は、綾の様子をじっと見つめながら眉を持ち上げる。
「…ごめんなさ…い」
小さく謝る綾に対して、大げさに息を吐き出してみせる。
しかし、別の人間のことを考えているという男の言葉には否定をしなかった。
謝罪はしても否定はしない綾にぐっと堺が顔を顰める。
「誰のことを考えているのか知りませんが、僕と居る時には、僕のことだけ考えてくださいね。綾さんと僕は、近い将来夫婦になるのですから」
釘をさすような言葉に綾は顔を俯けるだけだった。
そんなやり取りが堺と綾の間であった後、終業式を終えて、家に帰ってきた綾が外の不快な暑さとは無縁の冷房の効いた部屋でくつろいでいた時……。
玄関先に姿を見せた屋敷に住む当主の一人娘の婚約者の登場に来客を告げるベルの音に応対に出た使用人の1人は驚くと同時にいずれ屋敷の―そして、己の主人となる男にうやうやしく頭を下げた。
「これは、これは堺様。どうぞ…」
「急に来てしまって悪い」
「いえ、ただ今お嬢様をお呼び致しますので、客間でお待ちください」
使用人に案内されるままに屋敷の中を歩く。
いずれは自分のものになるものに目を光らせながら俄かに相好を崩した。
それは、欲にまみれた卑しい人間の瞳だった。
しかし、ここへ来た目的を思い出してその顔を引き下げた。
そして、己の前を歩く小さな使用人の背中を見た。
「いや、綾さんのところへは、自分で行くよ。それよりも綾さんのボディーガードの彼……草壁と言ったかな?彼を呼んでもらえるか?」
「草壁…ですか?」
「ああ。いるか?」
「屋敷の中にいることには、いますが」
一体、何故?
という問いの前に、堺は客間の高級なソファにどかりと不遜な態度で腰を下ろしながら足を組んで横に立って怪訝な顔つきをしている女のじろりと睨みつけるように見た。
女は、男の鋭い目に言葉をぐっと飲み込んだ。
「ここにくるように言ってくれ」
「か…かしこまりました」
がばっと音がしそうなほど勢いよく頭を下げるとぱたぱたとスリッパの音をさせながら客間を後にする。
下手な詮索は、しないほうがいいと長年使用人という立場にある彼女の勘が告げていた。
命じられたことを遂行するべく、屋敷にいる宗司のもとに急いだ。
屋敷の中に割り当てられた自分の狭い部屋でコーヒーカップを傾けていた宗司は、突如現れた顔馴染みの女に目を見開いた。
「堺様がお呼びです」
更に、女の言葉に宗司は怪訝に顔を顰めた。
手にしていたカップをソーサの上に置くと椅子から立ち上がり女に近寄る。
「堺様が?私に」
「ええ」
「何でしょう?」
「それは…」
「まぁ、いいです。どこにいらっしゃいますか?」
「客間でお待ちです」
足早に客間に向かった。
宗司が客間に入ると足を組んだまま横柄な態度でソファに座る堺を見つけた。
一瞬、眉間に皺が刻まれたがすぐに元の表情に戻す。
静かな足取りで堺の傍に近寄ると部屋に入ってきた宗司に気づきながらもある一点を見つめたまま見向きもしなかった。
宗司は、彼に近づくと黙ったまま頭を下げた。
「お呼びとお伺いいたしましたが…」
落ち着いた宗司の声に堺は視線を宗司に向けると詰まらないものを見るような目で宗司を見た。
顔をあげた宗司と堺の視線がかち合う。
伸びてきた腕にネクタイをぐいっと乱暴に掴まれる。
乱暴な扱いにも宗司は、眉ひとつ動かさなかった。
こんなところで驚いた表情を浮かべていては、この仕事は務まらない。
「一体、どうなっている?」
低い声。
不機嫌さを最大限に表した境の表情。
「どうなっていると申しますと?」
「何があった?」
と問われても宗司には答えようがない。
答えない宗司に苛立ったようにネクタイを掴む腕に力を入れて引き寄せる。
「何のことでしょうか」
「何のことだと?貴様…お前の仕事は何だ」
「…私の仕事はお嬢様の護衛でございますが」
「ふん、よくも偉そうな顔で言えたものだ」
乱暴に振舞われても顔色変えなかった男だが、堺の言葉に宗司の顔が怪訝に歪む。
偉そうなのはどっちか。
すっかり、主人気取りか…。
と瞳に鈍い光を宿らせた。
「だったら、それ相応の仕事をしてみせたらどうだ?」
「昨日、何かあったのでしょうか?」
「あったも何も、人の話も聞かずにずっと考え事をしていた。お前の仕事というのも怪しいものだ」
宗司は男の言葉を聞き流しながら心の中で舌打ちをする。
大体、貴様が悪いんだろうが…。
たかが16歳の小娘1人ひきつけて置けないぼんくらめ。
自分の仕事に落ち度はない。
何もなかったはずだ。
あるとしたら…。
自分の目の届かない―学校でのこと。
とくれば、原因はおのずと見えてくる。
あの憎らしい弟しかいない。
自分の仕事ならいざ知らず宗司の仕事まで影を落とすような真似をしてくれた一哉に宗司の心中は穏やかでない。
頭を下げながら「申し訳ありません」と言う。
フンと鼻で笑って、堺は立ち上がると部屋を出て行く。
「今日は、お前はこなくていい。役立たずなどこられても迷惑以外の何モノでもないからな。せいぜい理由でも調べてくるんだな」
吐き捨てるように言って部屋を出て行く堺だった。
宗司は、もう見ていない堺に向けて深く頭を下げると足音が遠ざかるまで顔を床に向けていた。
隠された顔は、怒りを秘めた表情だった。
「一哉…貴様……」
ぎりっと歯軋りをしながら、腹の底から搾り出すような声を出す。
握り締めた拳。
手のひらの皮膚に爪が食い込みどろりと血液が滴る。
一哉の所為で、自分の仕事ぶりまで評価を落とされることは冗談ではなかった。
腹の虫がうずいて収まらない。
そして、その矛先は当然、張本人である義弟の一哉に向く。
一哉の綾を守るという行為に落ち度はなかった。
あるとすれば、綾の思考を奪っているのが、一哉であるということだけだった。
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